第55話 意地
ボクの放った矢は、狙い違わずアンさんの魔瘴石を撃ち砕いた。
その結果、彼女……いや、彼女の『元』彼女の生命活動――いや、元から生きていないけど――ともかく、動きは停止した。
ガクリ、と力なくその場に崩れ落ちるアンさん。彼女は元の死体へと戻ったみたいだ。
しかしその様子が、他の二体のデュラハンに伝わる。
二体の視線――これまた、頭は無いけど――がボクの方に向く。
こちらに一歩踏み出してくるデュラハンだったが、その前に冒険者たちが立ちはだかる。
「町中に行かせるな!」
「ここで食い止めろ。おい、補助魔法、切れてるぞ!」
その中には、ギルドで見かけた怪我人の姿もある。シキメさんに癒されて、戦線に復帰した人だろう。
そんな彼の雄姿を見ていると、こちらも奮い立たされる気持ちになる。
「もう一射!」
気合を入れるため、敢えて口に出してから弓を引き絞る。
再び放った矢は、今度は角に当たって弾かれてしまった。円柱状の角だけに、上手く芯にあてないと弾かれてしまうようだ。
だが、こちらに注意が向いたことは、無駄ではなかった。
こちらに注意が向いたことで、他の方向への注意が逸れる。
その隙を突いて、冒険者たちが一斉に斬りかかった。
だがそれは、デュラハンの分厚い防御に阻まれてしまった。
元の鎧の防御力だけでなく、アンデッド化した影響か、皮膚が鉄のように硬くなっていたからだ。
何人もの剣が弾かれ、体勢が崩れる。
そこへデュラハンの剣が、まるで虫でも払うかのように薙ぎ払われる。
これを避け損ねた数人が斬り伏せられ、別の冒険者に引っ張られて戦線を離脱する光景が見えた。
「なんて、こと……」
たった一振り。それで数人の冒険者が退場させられた。
彼らは死亡するまでには至っていないが、これまでに死亡した者も周辺に倒れている。
今運び出された人たちも、助かって良かったと思う反面、ギルドに運び込まれてシキメさんの負担になってしまう。
「早く……早く、仕留めないと!」
二の矢、三の矢と続けるが、やはり不意を突いた最初の一撃とは違い、対処されてしまう。
ナッシュさんたちは、デュラハンになったことで理性は消え失せ、技術的な物は失われているが、それを補って余りある身体能力を手に入れていた。
こちらの矢を完全に見極め、剣を無造作に振り回すことで斬り払っている。
鉄の矢を小枝のように斬り払う姿は、そこらの剣士からすれば羨ましく思える程だろう。
「クッ、打開策が……」
ボクは元々、ただの狩人だ。狙って矢を放つしか、能が無い。
シキメさんなら、きっと魔法や錬金術でどうにかできただろう。他の魔法使いでも、似たようなことができるかもしれない。
専門の弓手なら、矢を使った特殊な技も持っているかもしれない。
だけどボクは、ただ矢を放つしかできなかった。
「これが……冒険者と猟師の違い……」
手札が少ない。いや、無い。
正面切って対峙してしまうと、対処法が無い。打開策が見つからない。
これが、今のボクの限界なのか?
「でも、撃つしかないじゃないか!」
こんなところまで出張ってきて、手も足も出ませんでしたなんて……どんな顔でシキメさんの前に顔を出せるっていうんだ。
狙いを研ぎ澄ませ、可能な限りの速さで矢を放つ。
それをデュラハンは、事も無げに斬り払い続ける。
状況は完全に膠着状態になっていた。
ボクはデュラハンに決定打を出せず、デュラハンは冒険者に阻まれ、近付くことができない。
それでも、冒険者たちがどうにかしてくれるかも、という淡い期待を抱いてもいた。
しかしそれを撃ち砕くように、ナッシュさんのデュラハンがこちらに手を伸ばした。
「? なに――!?」
その仕草に『なにを?』と口にしようとした直後、ボクの背筋に冷たい汗が流れた。
反射的にボクは身を躍らせる。例えその先に屋根が無かったとしても、そうしないと即死する、そんな確信があった。
ボクが屋根から飛び降りた瞬間、ボクのいた屋根が吹き飛ばされた。
運が良かったのは、その攻撃でボクが大きく跳ね飛ばされたこと。そしてボクの身体が軽かったことだろうか。
結果としてボクは屋根から大きく吹き飛ばされ、街路樹にぶつかってから地面に落ちた。
もし直接地面に落ちていたら、手足の一本は折れていたかもしれない。いや、命が無かった可能性もある。
「う、ぐぅ……」
呻くボクは、しばらく身動きが取れなかった。
おかげでボクの攻撃が無くなってしまい、デュラハンの猛攻で冒険者の人たちの囲みが解けてしまう。
遠くで冒険者や兵士たちの声が聞こえてきた。
「し、しまった!」
「追え、逃がすんじゃない!」
「チクショウ! あの野郎、足が速ぇ!?」
ボクのいた屋根は、壁から五十メートルほどの距離があった。
南へ向かう通りがあるため、この家と外壁までほぼ一直線。
そして身体能力を強化したナッシュさんは、五十メートル程度なら、ほぼ一息で駆け抜けてくる。
「グルルルルルアアアアアァァァァァァ!!」
口も無いのに、そんな咆哮が聞こえてくる。
ボクがようやく顔を上げると、ほんの数メートル先で剣を振り上げるナッシュさんの姿があった。
その後ろには、バーバラさんの姿も見える。
「――あ」
ボクは地面に倒れた状態。デュラハンの驚異的な身体能力から繰り出される剣撃を、避けられるような体勢ではない。
それに万が一躱したとしても、その後ろにはバーバラさんが控えている。
完全に逃げ道は無くなった。その事実を悟る。
「だけど……ただでやられてやるものか!」
寝転がった状態でも、かろうじて一射くらいはできる。
今ならナッシュさんを壁にしてバーバラさんを射抜くことができるはず。
ボクは相打ちを覚悟し、それでも反撃の一打を放つ。
同時にナッシュさんの剣が、ボクへと振り下ろされた。
そこから先のことは、ボクの理解の範疇を越えていた。
僕を狙って振り下ろされた剣は、なぜかヌルリと軌道を変えて地面を抉るに留まった。
そのナッシュさんの脇をすり抜けるようにして、ボクの矢はバーバラさんの角を撃ち砕く。
力なく崩れ落ちるバーバラさんを一顧だにせず、すれ違ったナッシュさんは次の一撃を放つ。
しかしそれも、ボクの直前で軌道を変え、外れてしまう。
「あ、うああああぁぁぁぁぁぁっ!!」
至近距離で攻撃を外したおかげで、ナッシュさんの体勢は大きく崩れている。
彼の左肩に生えている魔瘴石は、今ボクの前に大きく晒された形になっていた。
その角に向けて、ボクは至近距離にもかかわらず炎嵐弓を引き絞った。
二度に渡って攻撃を外したナッシュさんは、その原因を計りかねて硬直していた。
これは理性を捨ててしまい、本能だけになってしまったが故の危機感の無さ。
ボクに攻撃するための本能が、回避する意思を封じ込めてしまっていた。
この隙を逃すのは、天祐を逃すことに等しい。
ボクが放った矢は容赦なくナッシュさんの左肩を抉り取った。
結果として身体から魔瘴石が切り離され、黒い角が宙を舞う。
「グカッ!?」
それが彼に、どういう衝撃を与えたのか分からないが、ビクリと身体をこわばらせ、そしてゆっくりと倒れていった。
これで三体。これ以上の怪我人が出るのは、防がれたはずだ。シキメさんの無茶も、これで止まる。
ボクはそう確信すると、安心したかのように意識を手放したのだった。
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