第49話 愚者の末路

 ナッシュたちは一度町まで戻り、馬と毒を購入して再びマーテルの町を出た。

 丈夫さを優先して馬を選んだので、かなりの強行軍となったが、それでも先回りには成功している。

 馬車と徒歩による移動では、一日にせいぜい三十キロそこそこしか移動できない。

 対して馬を手に入れたナッシュたちは一日六十キロ以上を移動できていた。


「今日でちょうど六日。連中は今日、この水場を利用しに来るはずだ」

「でも井戸に毒を入れたら――」

「なんだ、お前もエレナと同じことを言う気か?」

「違うよ! 飲まれる前に毒に気付かれるんじゃないかって心配になったんだよ」

「それなら安心しろ。持ってきた毒は殺鼠剤に使われているやつだ」


 食ってもらわないと効かない毒なので、無味無臭。しかも巣に持ち帰った場合も想定して遅効性。

 毒の効果が出てくるころには、全員が致死量を口にしているという寸法だった。


「無味無臭で遅効性、さらに吸収されやすいように水に溶けやすい。今回みたいな状況にうってつけの奴さ」

「さすがナッシュ。抜け目ないわね!」

「分かったらさっさとやるぞ。まず俺たちの分の水を確保、それから毒を仕込んで姿を隠す。わかったな?」

「了解だよ」

「バーバラ、アン、それと水を節約するために、町まではお楽しみは無しだ」

「残念だけど、しかたないねぇ」


 剣士のバーバラと、斥候のアン。二人は抜けた魔術師のエレナと違い、今回のナッシュの提案に乗り気だった。

 だからこそ『お楽しみ』が無いという不満も抵抗なく受け入れる。

 彼女たちの脳内には、その後の光景が浮かんでいたのだから。


 バーバラとナッシュが水の補給をする間、アンが街道を見張ってエルトンたちの到着を見張る。

 ここまでの道中で空になった水を補給し終わった頃、アンが声を上げた。


「来たよ、ナッシュ。連中だ!」


 駆け戻ってきたアンは、エルトンたちの到着を告げる。


「先頭はハーゲンの野郎。商隊の左右を風の刃とシキメの奴が護ってる」

「配置変えしたか。まぁ、今は関係ねぇ。隠れるぞ」


 三日間の旅とは言え、それぞれの長所くらいは把握している。

 特にハーゲンの仲間の斥候と、ミィスの目の良さは特筆すべきものがあった。

 迂闊に近付いては、こちらの存在を察知される可能性がある。


「ハーゲンのところの斥候は油断できない。それとミィスってガキは目がいい。勘付かれないように距離を取るぞ」

「うん、しかたないね」

「薬の効果が出るまで一時間、余裕を見て二時間は森の中だな。まぁ我慢しろ」


 すでに成功を疑っていないナッシュの言葉に、バーバラとアンも頷き返す。

 彼女たちもまた奇妙な高揚感と万能感に呑まれて、まともな判断が下せなくなっていたからだ。




 二時間後、ナッシュたちは水場にある掘っ立て小屋までやってきた。

 そこには荷車にテントが設営されており、掘っ立て小屋の扉も、開けっ放しになっていた。

 常に警戒しなければならない護衛たちからすれば、扉を開け放ったままというのはあり得ない醜態だ。

 その醜態を晒した結果を想像してナッシュはニンマリと相好を崩すと、まずは掘っ立て小屋の中へ向かう、

 この連中の中で一番警戒しないといけないは、やはりリーダーであるハーゲンだと判断したからだ。


「上手く毒を飲んだようだな、馬鹿どもが。俺を甘く見るからこうなるんだよ」


 馬車の馬はすでに息をしておらず、毒が上手く機能したことを示していた。

 だというのに人の姿がないのは、全員小屋の中で死んでいるのか。


「おい、ハーゲンの野郎の死体を確認しに行くぞ」

「うん、まぁこの様子だと確認するまでも無さそうだけどさ」

「バカ野郎。俺は慎重なんだよ!」


 すでに余裕の様子を見せるバーバラを一喝し、ナッシュたちは掘っ立て小屋へ向かう。

 直後、その背後から何か柔らかい物が投げつけられた。

 それはパンと破裂音を残して弾け飛び、代わりに粘着性の高い液体を周囲に撒き散らす。


「うわっ、なんだ!?」

「げ、なにこれ! ねばねばして身動きが――」

「クソ、生き残りがいたのかよ!」


 それぞれが悲鳴を上げ、しかし動きを封じられてしまう。

 そこへ小屋の中からハーゲンが出てきた。


「やっぱりお前だったか」

「ハーゲン! 水を飲んだんじゃ――?」

「ああ。毒を口にした時は慌てたぞ。幸い事なきを得たけどな」


 そう言うハーゲンの様子は健康そのもので、毒を口にしたようには見えなかった。

 それを疑問に思っていると、ナッシュの背後からシキメの声がした。


「いやいや、僕の職業を忘れないでくださいよ。錬金術師ですよ? 毒薬に対する備えくらいありますって」

「シキメ! お前まで生きていたのか!?」

「まさか井戸に毒を投げ込むなんて暴挙に出るとは、ちっとも思いませんでしたけどね」


 背後を振り返ることができないナッシュを配慮してか、シキメは彼らの正面に回り込んでくる。

 その後ろには、ミィスも弓を構えて控えていた。


「ああ、安心してください。井戸の毒は解毒剤を放り込んでおいたので、また飲めるようになりましたから」

「なっ、なんだと!」


 これも考えてみれば、すぐわかることだ。錬金術師は薬物のエキスパートでもある。

 そこいらの毒に対応する魔法薬くらい、常備していてもおかしくはない。

 そこに理解が及ばない辺り、ナッシュがどれほど頭に血が上っていたか想像できる。


「公共の井戸に毒を盛るのは、死刑に値する罪だ。もはや言い逃れはできないぞ」


 命を懸けてまで旅商人に毒を盛るなんてことは、通常では考えられない。

 ましてやそこらの野盗では、ここまでの危険を冒そうとは思わないだろう。

 だからこそハーゲンは、これがナッシュの逆恨みであると推測できていた。


「そ、そんなことは……そうだ、証拠! 証拠がないだろ!?」

「さっき毒のことを口にしてましたよね?」

「いやそもそも本当に井戸に毒が投げ込まれていたのかよ!」


 シキメがすでに解毒している、ということは井戸に毒を盛った証拠は消えているということだ。

 それを期待してナッシュは悪あがきをする。


「あ、それだったら、解毒前の水は確保しておきましたので」


 シキメはそう口にすると、拡張鞄から水袋を取り出した。

 それをプラプラ振りながら、ナッシュの口元へ持って来る。

 明らかな挑発だが、今のナッシュは手も足も出せない状況だった。

 ミィスによって投げつけられた粘着弾は、既に硬化を始めており、指くらいしか動かせない状況になっていた。


「大人しく捕まるなら、命だけは助けてやる。町についたら処刑されるだろうがな」

「くそっ、ちくしょう!!」

「なんだったらここで処分しちまおうぜ。町まで連れていく食料だってもったいねぇ」


 風の刃に所属する剣士が、吐き捨てるように口にする。ナッシュが行ったことは、それに充分値する暴挙だった。

 これにハーゲンもしばし思案した後に、重々しく頷く。


「そうだな。連行する手間と食料を考えると、それが正しいか」

「ま、待ってくれよ。ちょっと魔が差しただけだったんだ!」

「たとえそうだとしても、許されないと言っている」


 腰に下げた剣を抜き、ナッシュへと迫るハーゲン。

 彼を拘束している粘着弾は、三十分は溶けない。引き千切るだけの力が無い以上、ナッシュに逃げる手段は残されていなかった。


「ミィス、向こうへ行こう。これは子供が見ちゃいけない奴だ」

「シキメさん、ボクは……」


 子供じゃないと言いたいのだろうが、見て気持ちいい物でもなかった。

 それを理解したのか、ミィスは小さく頷いてから、シキメと共にその場を去っていく。


「待って! 私はナッシュにそそのかされただけで――」

「いやだ、死にたくない! お願い、見逃してよォ」

「クソォ! なんで俺がこんな目に――ぎゃあああああああ!」


 聞こえてくる悲鳴を遮るように、シキメはミィスの耳を塞ぐ。

 胸焼けするような気分を堪えながら、荷車のテントへもぐりこんだのだった。



  ◇◆◇◆◇

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