第48話 狂気と暴挙
◇◆◇◆◇
ナッシュは不機嫌を隠そうともせず、地面を蹴り付ける。
その態度に、彼の仲間たちはびくりと背筋を伸ばした。
彼女たちにとって、ナッシュはただ一人の男性であり、半ば信仰の対象と化してもいる。
そこまで女性を心酔させられるナッシュは、ある意味稀有な才能の持ち主と言えた。
「くそっ、あのガキども! せっかく俺が使ってやろうって言ってんのに!」
彼の目当てであるシキメは、錬金術師として突出した能力を持っていた。
日に大量の回復ポーションを製造する能力、粘着弾という優秀な補助アイテムを生み出す開発力。
彼女を仲間たちのように下僕にすることができたのなら、どれほどの富を生み出したか計りしれない。
「誰が好き好んでイルトアなんて僻地まで行くかっての。お前のために俺がわざわざ骨を折ってやったんだろうが!」
シキメの生み出す財力目当てだったナッシュが、イルトア王国という遠方まで足を延ばすはずもない。
全てはシキメに話を合わせるだけの方便に過ぎなかった。
だというのに、彼女たちはたびたび邪険な態度を取り、ナッシュに不快な思いをさせる。
挙句の果てに、ハーゲンという男にまで大目玉を喰らい、この始末だ。
元々堪え性の無かったナッシュに、これを我慢できようはずもない。
「チクショウ、見てろよ! どうにか目に物を見せて――」
「あの……ナッシュ、これ以上の干渉はあまり良くないと……」
そこへ仲間の一人がもっともなことを進言する。
しかし頭に血が昇ったナッシュは、これを一蹴。
「うっせぇ! エレナ、お前は黙ってろ!」
「で、でも――」
「いいか、二度と言わねぇ。今度口を開いたら、お前は追放だ」
エレナと呼ばれた女性は、ナッシュの仲間たちの中では、最も新顔である。
それだけに彼への心酔は、他の者よりも浅かった。
だからこそ、反論することができたのである。
「待てよ? そういやこの先の水場ってほとんどなかったよな?」
「ええ、だからハーゲンはあんなに怒ったんだと思う」
「となると、途中の水場になりそうなところは、街道沿いの井戸だけか」
主だった街道には、水場になる井戸が設置されている。
とにもかくにも、水が無ければ旅は成り立たない。そして人の往来が無くなれば、経済も停滞してしまう。
だからこそ各国が公費を使ってでも、街道沿いに井戸が設置している。
とはいえ、それも人通りの多いところまで。
辺境を通るなら、水の確保は当然の理屈である。
「よし、一度町まで戻るぞ!」
「え?」
「いいか? この先の水場は限られている。つまりあいつらの進行速度はある程度予想できるってことだ」
「な、なるほどぉ」
ナッシュの自慢気な声に、エレナ以外の仲間たちは感心の声を上げる。
もっとも上げなかった場合、ナッシュから冷たい視線を送られるから、上げざるを得ないのだが。
「俺たちは一度町まで戻って馬を仕入れる」
「でも、ナッシュ。私たちに馬を買うお金なんて――」
「いいんだよ! これが上手く行きゃ、馬なんてお釣りがくるくらいの金が入るんだから」
「な、なんで?」
ナッシュの意図を掴みかねて首を傾げる仲間たちに、ナッシュは自慢げに胸を張る。
「いいか、これから馬を買って連中の先回りをする」
「うん?」
マーテルの町を出て、ここまで歩いて三日が経過している。
ここまでは馬車に合わせた行軍をしてきたので、一日あたりの移動距離は、実はそれほどではない。
彼らが急いで町まで戻れば、二日で戻ることができるだろう。
「町に戻って馬を仕入れる、ついでにスタミナポーションもな」
「うんうん」
「それを馬に飲ませながら一気に駆け抜ければ、五日か四日後には連中の先回りができる」
「それはできるかもしれないけど――」
「先回りした後で井戸に毒を放り込んでやるんだ」
「なっ!?」
水場の無いこの先で、水源に毒を入れるというのは常識では考えられない暴挙だ。
これが人に知られたら、奴隷落ちでは済まないだろう。おそらく死罪は免れまい。
「ナッシュ、考え直して!」
「まぁ落ち着けよ。お前らがビビるのも理解できる」
「だったら……」
「だけどな、連中を一網打尽にできりゃ、あいつらの荷物は俺たちのモンだ」
「あ!」
旅先の誰も見ていない場所。そこで死んだ連中の荷物は、誰も所有権を持たない。
もちろん、正確にはエルトンの商会の品となるが、持ち去ってしまえばそれを証明することは難しいだろう。
「そいつをマーテル以外の町で売り払っちまえば、俺たちは大金持ちってわけだ」
エルトンは馬車二台分の物資を運んでいる。
もちろん井戸に水を投げ込めば、馬車馬も死んでしまうだろうが、そこは乗ってきた馬を代わりに繋げばいい。
「それだけじゃねぇぞ。護衛の連中やシキメの拡張鞄を奪っちまえば、その中身も俺のモンだ」
ついに『俺の物』と言い出したナッシュだが、仲間たちはそれに気付かず、ゴクリとつばを飲み込んだ。
十人を超える冒険者の拡張鞄。それに錬金術師と言えば、高価な資材を持っていることでも有名だ。
そのうえ馬車二台分の商材までとなれば、命を懸けるだけの価値はあるかもしれない。
そんな錯覚に支配されていた。
「だ、ダメだよ、ナッシュ!」
しかしそんな彼らに水を差したのは、やはり先ほどと同じくエレナという女性だった。
仲間になって日が浅く、良識を振り入れない彼女は、もはや仕返しのためになりふり構っていないナッシュに抗議する。
しかしそれは、彼にとって邪魔でしかなかった。
「うるさいな、お前。これ以上邪魔するなら、ここで斬るぞ?」
「ひっ!?」
ついに追放どころか仲間を斬ると言い出したナッシュに、エレナは一歩後退る。
そんな彼女を見て、ナッシュは唾を吐き捨てた。
「いいか、お前はもういらねぇ。誰にも話さねぇなら、生かしておいてやる。だがもう一緒には来るな」
「…………」
殺意……いや狂気をみなぎらせたナッシュの視線に、エレナはコクコクと頷くことしかできなかった。
それだけではなく、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまう。もともと冒険者でもなく、魔術の研究をしていただけの彼女にとって、ナッシュの殺意は荷が重すぎた。
そんな彼女への興味を失ったのか、ナッシュは残りの仲間を連れて町へと向かった。
エレナはそんなナッシュの背中を、何も言わずに見送る。
「冗談じゃない……これ以上関わるのは、こっちから御免被るよ」
護衛として町を出ていながら、単独で町に戻ってくる。
そこから馬を購入し、慌ただしく町を出る。
その先の井戸に毒が投げ込まれ、商人たちが死んでいる。
これだけの状況証拠が揃えば、誰もがナッシュを疑うだろう。
その程度のことが、ナッシュと他の仲間たちには理解できない。
それだけ欲に目がくらんでしまっているのだ。
「ことが広まるまで十日くらいかな? その間に町に戻って、ナッシュと縁が切れたことを広めないと」
そうすれば少なくとも、自分が巻き込まれることはあるまい。
ナッシュが捕まるまで大人しく宿かどこかに身を落ち着け、アリバイを確保しておかねば。
そう考えると、エレナはいそいそとナッシュたちの後を追い、マーテルの町へと向かったのだった。
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