第46話 些細なトラブル

 初日の旅程は予定通りの距離を進むことができていた。

 大人の足でほぼ一日。その程度の距離の場所に、掘っ立て小屋が一つ立っていた。

 これは旅人が風雨を凌げるよう設置された、一種の無料宿泊施設である。

 ただし、最低限度の施設でしかない。屋根があり、鍵をかけられる扉があり、井戸がある程度だ。

 扉は壊そうと思えばすぐ壊せるし、屋根だってボロボロで隙間風が入ってくる。井戸水も煮沸しないと飲むのが不安になるレベルだった。


「うわぁ、ベッドも無いんですね、ここ」

「そりゃ、金目になるモノを置いていたら持っていかれますからね。ベッドだけでなく人目もありませんから」

「まぁ、そうですよね」


 初めて見た小屋に唖然とし言葉を失った僕たちに、エルトンは丁寧に説明してくれた。

 小屋の裏側には湿気った藁が積まれていたので、馬やロバの餌には困らない。

 もっとも、おいしく食べてもらえるとは思えないけど。


「うーん……エルトンさん、僕たちは荷車の方で宿泊してもいいですか?」

「え、一緒の方が安全じゃないですか?」

「ほら、僕は女性ですし、錬成作業もしておきたいので」

「なるほど、回復ポーションですね! そう言えば昼にニール草を集めていましたな」


 ニール草は十級ポーションの材料になる。それを錬成するなら、落ち着いた環境で行いたい。

 狭苦しい小屋の中に入れば、きっとナッシュがちょっかいをかけてきて、それどころではなくなってしまうだろう。


「あ、それとこれを皆さんで飲んでください。疲れが取れますよ」

「おお、これはありがたい。失礼ですが、鑑定してみても?」

「もちろんです」


 確かにエルトンの言葉は失礼ではあるが、出会って間もない冒険者の薬を危険に思うのも、無理はない。

 安全のためと知っていれば、腹も立たないというものだ。

 僕は最下級のスタミナポーションを人数分取り出し、エルトンに手渡す。


「人数分ありますので、一人一本でお願いします」

「承知しました。私が責任をもって配っておきますよ」

「助かります」


 僕が一人一人に配って回ると、必ずナッシュが邪魔をしに来るはずだ。

 だから、彼が代行してくれるのは、非常にありがたい。

 それにこの薬を作った時期は、通常の薬師のそれより遥かに高効率だったので、あまり人目に見せたいものではなかった。

 この幌をかけれる荷車の上で錬成すれば、人目を避けることができる。

 もっとも、せいぜい二畳くらいの広さしかないので、狭いのは仕方ない。


「それでは、私は小屋の方へ。何かあれば声をかけてください」

「ええ。そちらも、何かあれば一声お願いします」

「はは、承知しましたとも」


 そう言うとエルトンは小屋へ戻り、冒険者たちと夜を明かす準備に入った。

 僕たちも荷車の前後に敷いてあった折り畳みの幌を引っ張り上げ、天井部で連結して簡易テントを作成する。


「それじゃ、僕たちもさっと汗を流してから食事にしようか?」

「うん、シキメさんは先に流しておいて」

「ん? どこかいくの?」

「ちょっとね」


 ミィスは珍しく、険しい顔をしたまま弓を手に取り、荷車を降りる。

 汗を流すためには服を脱ぐ必要があるので、僕たちは荷車の上にたらいを置いて、そこで水浴びする予定だった。

 しかしミィスは一人荷車を降りていく。その深刻な顔に、僕は止めることができなかった。


「どうしたんだろ? なんか危ないことしないといいんだけど」


 ミィスは基本的に、僕の言うことを聞いてくれる。だから危険な真似をする時は、必ず僕に報告してくれるはずだった。

 しばらくすると、テントの外から話し声が聞こえてきた。

 それは言うまでもなくミィスと、そしてナッシュの声だった。


「やぁお嬢さん。こんなところでどうしたのかな?」

「ボク、男ですよ。ナッシュさん」

「そう……なのか。いや失礼。女性にしか見えなかったものでね」

「一応気にしているんで」

「謝罪するよ。で、シキメさんはいるかな?」


 案の定、奴の目的は僕だったようだ。ミィスに穏和に接していたのも、彼が女性だと思っていたかららしい。

 現に、ミィスが男だと告げてからは、ナッシュの口調に少し棘を感じていた。


「今、水浴びしてます。用があるなら、後にしてください」

「そうなんだ? で、どっか隙間とか無いかな?」

「ありません!」


 あの野郎、平然と覗きを敢行しようとしやがった。ミィスはこの展開を予想していたから、弓を持って出たのか。


「いや、冗談だよ。スタミナポーションのお礼を言おうと思ってね。良かったら後で――」

「この後シキメさんは、回復ポーションの調合をする予定ですので、お気になさらず」

「そうなのかい? それにしても君、ちょっと刺々しくない?」

「そうでもありませんよ。でも、彼女は僕が護るんです」

「へぇ……いいね、小さなナイト君だ」


 どこか嘲るようなナッシュの言葉。それを聞いていた僕も、一瞬頭に来た。

 しかしまぁ、ミィスが護ると宣言してくれたことに、ちょっと感動してしまったので、ここは流しておく。


「バカにしてるんですか?」

「まさか。彼女は貴重な錬金術師だからね。大事にしないと」

「では、そういうことでお引き取りください」

「……なぁ、本当に敵い剥き出しだな、お前?」


 ミィスの言葉にナッシュの声が一段低くなる。

 あからさまな威嚇に、ミィスの緊張がテント越しに伝わってきた。

 正直、ミィスを威嚇するなど、僕にとって許されざる行為だ。思わずインベントリーの中から粘着弾をいくつか取り出し、投げつけれる体勢を取ってしまう。

 しかしそこに、ハーゲンの声が響き渡った。


「ナッシュ、何してる! 見張りの打ち合わせをするって言っただろ!」

「へーい……仕方ないな。じゃあな、小僧」


 そう言って立ち去っていく足音。同時にこちらに向かってやってくる足音もあった。


「お前は先に小屋に戻ってろ。俺は彼女たちと少し話していく」

「シキメちゃん、お風呂中のようですよ?」

「話はテント越しにでもできるだろ」

「その手があったか」

「バカなこと言ってないで、さっさと戻れ。風の刃の連中に切り刻まれるぞ」

「おお怖い怖い」


 お茶らけてその場をごまかしつつ、ナッシュは小屋へと戻ったっぽい。

 代わりにハーゲンの困ったような声が聞こえてきた。


「坊主……えっと、ミィスだったか。悪かったな、あいつが迷惑かけて」

「……いえ」

「ちょっと目を離した隙に抜け出されてな。俺としても、お前たちの重要性は理解してるつもりだ」

「え、そうなんです?」

「シキメの嬢ちゃんはもちろんだが、お前さんも優秀な射手なんだって?」

「そう、言ってくれてますけど」


 答えるミィスの声には、張りが無い。

 彼はいまだに、自分が未熟なままだと思い込んでいる。

 僕の装備を得て攻撃力が増し、レベルも上がったミィスは一端の射手である。

 自覚がないのは本人だけというところだ。


「まぁ、お前さんはまだ子供だからな。その点を差し引いても、シキメの嬢ちゃんの価値は高い」

「シキメさんは凄い人ですから」

「そのようだ。さっき貰ったスタミナポーション、あっという間に疲労が抜けちまったぜ」

「でしょ! あれのおかげで、僕も長旅ができるんですよ」

「だけど無理し過ぎて寝込んだんだって?」

「ウッ!?」


 得意げに声を上げたミィスだったが、ハーゲンの反撃に瞬く間に声を詰まらせた。


「ハッハ、気にするな。そういうことがあったから、シキメの嬢ちゃんはこれを用意したんだろうさ」

「そうらしいですね。ボク、本当に情けない……」

「なに、荷車はあればなんにでも使える。むしろこうしてテントを用意できるってのは大きいな。いざという時は片づける必要もなく逃げ出せる」


 そういうとハーゲンはミィスの頭に手を乗せ、ぐしゃぐしゃと頭を掻きまわした。 

 その様子が、テント越しのシルエットで見ることができる。


「ナッシュみたいな奴は、残念ながら冒険者にも多い。お前もしっかり彼女を護るんだぞ? 何かあったら俺に声をかけろ」

「はい、そうさせていただきます」

「いい返事だ。それと今夜はこっちで寝るのか?」

「ええ。シキメさんはそのつもりです」

「ならお前もしっかり休んで疲れをとっておけ。小屋の見張りには参加しなくていい」


 突然、護衛の仕事を放り出せと言わんばかりのことを告げてくる。

 それにはミィスも困惑し、疑問の声を返していた。


「え、でも……」

「お前たちの価値は、提供してくれたポーションですでに判明している。だから余計な仕事はせんでいいと言っているんだ」

「そう、か。じゃあ、お言葉に甘えて」

「ああ。それを伝えに来ただけだ。シキメにもそう伝えてくれ」

「はい」


 僕以外の味方がいる。そうと知って、ミィスの声に元気が戻っていた。

 おそらくそれを心配して、ハーゲンは来てくれたのだろう。

 ナッシュのちょっかいを牽制し、ミィスへの激励する。そういった気配りで仲間の士気を保つ。

 開拓村にいたギブソンやミッケンとは違う方向性だが、指揮官としては頼もしかった。

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