第41話 馬車(ロバ)の購入
受付にいたお姉さんを部屋に迎え入れ、室内に
彼女の表情は、なぜか紅潮していた。
「あの、シキメさん?」
「はい?」
「お取込み中だったのでしたら、別に次の機会でも……」
「違いますから!」
勘違いしたままの従業員から何か吹き込まれたのか、そんなことを告げてくる。
それに反応し、ミィスが即座に否定の言葉を放った。
しかしその速度は、どこか心にクルものがある。
「なにも、そんな勢いで否定しなくても」
「むしろシキメさんが否定してよ」
「いっそ事実にしちゃってもいいのよ?」
「また悪ノリしてるでしょ!」
「うん」
素直に肯定した僕に、ミィスは頭を抱えてテーブルに突っ伏す。
それを見て僕たちの間に何もなかったと察したのか、お姉さんは口元を隠してくすくす笑っていた。
「まぁ、雑談はこれくらいにしましょう。以前シキメさんが捜していらした依頼が見つかりましたので、お知らせしに来ました」
「お手数かけます」
ミィスの体調の悪さを察して、こちらまで持ってきてくれる辺り、実にサービスが行き届いている。
そう言えば、このお姉さんには結構世話になっているのに、まだ自己紹介すらしてもらってない。
「そういえば、まだお名前を窺ってませんでしたね。改めまして、はシキメ・フーヤと言います」
「あっ、み、ミィスですっ」
僕が率先して自己紹介し、ミィスが慌ててそれに続く。
その自己紹介を受けて、お姉さんは丁寧に頭を下げた。
「これはご丁寧に。私は冒険者ギルドマーテル支部所属のメイリンと申します」
にっこりと、おそらくは営業用ではない笑顔を向けてくれる。
その優し気な笑顔に、ミィスが少し固まっていた。
むかついたので肘を脇に突き込んでおく。
「デレデレしない」
「ぐぇっ、そんなことないし」
「仲睦まじいところ申し訳ないですが、仕事の話をしても」
「あ、ごめんなさい」
小さく咳払いして、脱線しまくる僕たちを注意してくるメイリンさん。
これは明らかに僕たちが悪いので、素直に謝っておく。
「ミィスさんの体調次第だと思うのですが、五日後にイルトアの王都行きの商隊があります。護衛を募集しているのですが、いかがでしょう?」
「五日後かぁ」
ちらりとミィスの様子を窺う。
倒れてから二日経ち、ミィスの体調はほぼ完全に近い状態に戻りつつある。
とはいえ、完全ではない以上、長旅は警戒しておかないといけない。
今から五日後なら、完全に回復しているか、微妙なところではないだろうか?
そんな僕の危惧を察知したのか、ミィスはこちらに向けて小さく頷いた。
「僕なら大丈夫だよ」
「そうはいってもねぇ」
子供と酔っ払いの『大丈夫』は、正直言って、全く信頼できない。
「うーん、この調子だと確かに完治はしそうだけど、無対策ってのは良くないかも」
「えー、ホントに大丈夫だよ?」
「長旅になるからね。病気だけでなくて、怪我とか食
「なるほど。では、小さめの馬車を購入するというのはいかがでしょう?」
僕たちの会話を聞いて、メイリンさんはそんなことを提案してきた。
確かに馬車があれば、動けなくなった時などの対応がかなり楽になる。それに荷物の運搬も、収納鞄だけに頼らなくて済む。
僕たちの場合は、僕のインベントリーがあるのであまり気にしていなかったけど、それをごまかすのにも都合が良いかもしれない。
「ちなみに、おいくらほどしますでしょう?」
「そうですね。小さめの物でしたら三万ゴルド、馬を付けて合計五万ゴルドというところでしょうか」
「五万かぁ」
僕のインベントリーの金貨なら、問題なく支払える額だ。
それ以前に、粘着弾のレシピの報酬だけでもお釣りがくる。問題は、馬を養い続けることができるかという点だった。
しかしそれをメイリンさんは勘違いしたのか、別の提案をしてきた。
「長旅で、移動速度を必要としないのでしたら、馬をロバにするという手もあります。それでしたらさらに一万ほど安くなりますよ」
「計四万ゴルドですね。それなら……」
長旅なら馬車はあった方が楽だ。幌がついていれば、風雨だってしのげる。道中の練成も安定して行えるだろう。
毎晩テントを張るのも地味に面倒だったので、馬車で寝起きできるというのは、大きなメリットとなる。
購入する価値は、充分にある。ロバならば、いざという時は失っても痛くはない。
「そうですね、これからのことを考えるとあった方が良いかもしれません。でも僕は操車技術が無いんですよね」
「それならボクができるから、シキメさんに教えてあげる!」
「ほぅ? ミィスは馬車の操縦ができるんだ?」
馬車の操車となると、馬に乗るのとは違う技術が必要になると聞いたことがある。
ミィスに詳しく話を聞くと、彼の父親が存命の時に、獲物を運ぶ馬車を使うことがあったらしい。
その時に馬の扱いを一通り学んだそうだ。
「じゃあ、馬車が来たら教えてね」
「うん!」
僕に教えるという行為が嬉しいのか、満面の笑みで大きく頷く。
その様子が可愛らしかったので、彼の頭をポンポンと叩く。子供特有の細い髪の感触がとても気持ち良かった。
「それでは、馬車の代金はレシピの報酬から引いておくということでよろしいでしょうか?」
「はい、それでお願いします」
「では、こちらの方にサインを。馬車の取引についても追記しておきますので」
「お手数かけます」
メイリンさんが持ってきた書類は、護衛以来の受諾票とレシピの売却契約書だった。
そこに馬車についての一文を追記し、ボクがそれに目を通してからサインした。
「この宿なら、馬車を停めておく駐車場も完備しておりますので、手配でき次第こちらに運び込んでおきますね」
「なにからなにまで、お世話になります」
「いえいえ。あの粘着弾のレシピ、安上がりなのに効果が高そうで、新人からベテランまで需要が広がりそうです。それを考えますと、こちらの方がお世話になってるくらいですよ」
「材料はそんなに高くないですからね」
水場に生息しているスネアトードの粘液とそこらの森で採取できるリピ草の汁を混ぜると、強力な粘りが出る。
粘着弾はこれを混ぜ合わせ、割れやすい殻に高圧で注入することで、破裂させる。
それだけのモノなので、材料費だけなら百ゴルドもしない。
ギルドに二百程度で売り、ギルドがそれを四百から五百程度で流通させる。
それで新人にも使いやすいアイテムを広げることができると考えていた。それに新しい素材集めで、それが依頼にも繋がる。
「これで新人たちの生存率が上がるなら、安い物です」
「冒険者は命懸けですからね。私はそんな無茶したくないですけど」
「シキメさんはどちらかと言えば錬金術師ですから。でも、道中お気をつけて」
「はい、ありがとうございます」
これから先、僕たちはまた旅に出る。この街のギルドには、本当に世話になった。
その感謝を込めて、僕は彼女に深く頭を下げたのだった。
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