第40話 悪ふざけと誤解
宿の従業員さんが入り口を見張ってくれているので、僕は安心して部屋に戻ることができた。
できるだけ平静を装っていたが、その挙動がミィスに伝わったのか、部屋に入るなり彼は僕にそのことを尋ねてきた。
「どうかしたの、シキメさん?」
「えっ? ううん、なんにも」
心配をかけちゃいけないと思い、僕はとっさにそう答えた。
しかしミィスは僕の挙動の怪しさにすでに気付いており、ごまかすには至らない。
「そのわりには、なんだかアヤシイ動きをしてるんだけど?」
「うぬ、よく見てるね、ミィス」
「そりゃ、なんだかんだで結構一緒に居るし」
観察眼を誉められたことが嬉しかったのか、ミィスは少し自慢げに胸を張る。
しかしその表情も、僕の答えに一変した。
「いやぁ、実はギルドでナンパされちゃって」
「え、そいつ殺していい?」
「ダメだよ!? なんで一足飛びに危険な発想に至るの!」
「冗談だよ。でもなんだかムカッと来た」
ミィスは少し唇を尖らせて、不機嫌を表明する。
その嫉妬が、僕を女性と見てのことなのか、家族に手を出す不埒者に対しての物なのか、今一つ判別がつかない。
まぁ、大事に思われているのは確実だから、良しとしておこう。
「それより聞いて。粘着弾のレシピがギルドに売れたんだよ」
「え、レシピごと? それっていいの?」
「うん。できるだけ多くの人に使ってもらいたいからね。ほら、僕たちはもうすぐ町を出るじゃない?」
「あ、そうか。僕たちが出て行っちゃったら、粘着弾はもう作れないもんね」
「そういうこと。だからレシピごと売っちゃった。それでかなりの大金が入ってね。なんと五十万ゴルド」
「えぇっ、そんなに!?」
ミィスはその額に驚いているが、考えてみればこれ一つ使うだけでミィスがラッシュボアを仕留められるくらいの効果があるのだから、当然かもしれない。
むしろ安売りし過ぎたかと危惧していたくらいだ。
しかし、貧しい暮らしをしてきたミィスにとっては、天文学的な金額に聞こえたのだろう。
「そうでもないよ。だってこれ一つでミィスはラッシュボアを仕留められたでしょ?」
「そういえばそうだけど」
「さらに言うと、これは攻撃用だけじゃないよ。逃げる時に地面に投げつければ、相手を足止めすることもできるし」
「そっか、逃亡用にも使えるんだ」
「そうそう……あ、それだ。煙幕弾とかも作ってみようかな?」
「なんだか、またやり過ぎる気がするから、やめた方がいいと思う?」
実に失礼なことをぬけぬけと告げてくるミィス。
僕はその言葉に少しだけムッとしたので、手をワキワキさせながら、彼ににじり寄った。
「そんな憎まれ口を叩くのは、この口かなぁ?」
「ちょ、何その手は! ボクなにも嘘はついてないし!」
「真実でも言っていいことと悪いことがあるんだよ。特に女性に関しては」
「シキメさんがやり過ぎるのは、女性とかそういうの、関係ないじゃない!」
「問答無用っ!」
「きゃー!?」
なんだか失礼な言い訳をするミィスに、僕は飛び掛かって口元を引っ張る。
ベッドの上で押し倒されたミィスの口に指を突っ込み、怪我しない範囲で左右に引っ張って変な顔をさせた。
「いふぁい! ひひめふぁん、ひふぁいよ!?」
「ふふーん、何を言っているのか分かりませーん」
「ふぉんなぁ!」
ジタバタともがくミィスに
そのせいだったのか、僕は部屋の扉がノックされたことに気付かなかった。
「ふぁー! ひひめふぁん、ふぁれかひた!」
「えー、聞こえないよ、ミィス。しっかり話して、ほら、ほら」
「ふぁれかひふぁってぇぇぇぇ!」
そこで僕は、ミィスが『誰か来た』と叫んでいたことに、ようやく気付いた。
同時に、ミィスの叫びが廊下まで響いていたのか、部屋に従業員の人が飛び込んできた。
ガチャガチャと騒々しく鍵が開けられ、従業員の男性が飛び込んでくる。
「シキメ様、ミィス様、どうかなさいまし――」
そこで彼が目にしたのは、ベッドの上で横たわり、もがいた影響で服がはだけたミィスの姿。
そしてその上に馬乗りになり、彼を逃がすまいと腰を動かして制御する僕の姿だった。
「あ――」
唐突に開いた扉にミィスに跨ったまま振り返り、そこで飛び込んできた従業員を見て硬直する。
いくら僕でも、今の自分の格好がどういう物かくらいは、想像がつく。
そして従業員の人も、ミィスに跨り、腰を振り、唾液に濡れた指を口から引っこ抜いた僕の姿を見て、当然の妄想をしたらしい。
「こ、これは失礼を。どうかお許しください」
「いや、これは――!」
「しかしできるなら、もう少し静かに
「だから違うって――」
「それでは失礼をいたしました。どうかごゆるりと」
パタンと閉じられる扉。
硬直して言葉をなくしたままのミィスは、この扉の音でようやく再起動したようだ。
「ち、違うんです。誤解なんです! これはシキメさんのいつもの悪ふざけで!?」
扉に向かって手を伸ばし、必死に言い訳をするミィス。
しかし従業員の足音は、すでに廊下の遥か向こうに移動している。
これは僕の耳だからこそ聞き取れる音だろう。ミィスでは聞こえないはずだ。
しかしそんなことはミィスに理解できようはずがない。
僕の下から逃れようと、必死にもがくが、僕がそれを指せなかった。
「ええっと、ミィス」
「な、なに、シキメさん?」
「もうあっちまで行ったみたいだから、聞こえないと思うよ?」
「そんなぁ……」
しょぼんと僕の下で脱力するミィス。乱れた寝間着と暴れて紅潮した表情は、事後と言っても差し支えない。
「えー、どうせなら勘違いじゃなく本当にしちゃう?」
「しませんからぁ!?」
涙目になって力尽くで僕を押し退け、ベッドから這い出すミィス。
しかし僕は気付いていた。跨った時にゴリゴリとした感触が、彼から伝わっていたことに。
うん、寝起きの生理現象かもしれないので、ここは追及しないで置いてあげよう。
膨れっ面になって僕から目を逸らすミィスと、少し気まずい時間を過ごす。
そんな、微妙な緊張感から解放してくれたのは、小さなノックの音だった。
今回は聞き逃すことなく、僕は返事を返す。
「はぁい! どちらさま?」
「フロントの者です。シキメ様にお客様がいらしてますが、いかがいたしましょう?」
「お客様って……?」
一瞬、あのナンパ男のことが脳裏に浮かんだが、従業員の答えは違っていた。
「はい、冒険者ギルドの方です。シキメ様のご希望のご依頼を持ってきたと」
「あ、そうか。こちらに通してください」
イルトア王国まで向かう商隊の護衛。僕はそれをギルドに探してもらっていた。
途中でミィスが倒れて騒ぎになったのだが、忘れずに探し続けてくれていたようだ。
その一件だとすればミィスにも話を聞いてもらわねばならないので、僕は部屋に通してもらうようにお願いしたのだ。
「シキメさん、押しかけて申し訳ありません。ミィス君のことを考えると、ギルドにいついらっしゃるか分からないので」
従業員に案内されて部屋に入ってきたのは、今朝も挨拶をしたお姉さんだった。
その手に書類を持っていることから、間違いなく仕事を持ってきてくれたのだろう。
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