第36話 堕とす? 堕とされる?

 一度気絶したミィスだったが、回復術師の人に『大丈夫』というお墨付きを頂いていた。

 その後、受付でお勧めされた宿に向かうことになったのだが、先ほど気絶したミィスのことが心配でしかたない。

 一度倒れた彼を歩かせるわけにはいかない。かといって、このままギルドに放置するのも邪魔になる。

 そんなわけで僕はミィスをおぶって宿に向かうことにしたのだった。


「あの、シキメさん? 本当に大丈夫だから……」

「ダメ」

「恥ずかしいし」

「ダメ」

「ボク男だし」

「見た目女の子だから大丈夫」


 かたくなに自分で歩こうとするミィスの主張を、僕は徹底的に排除した。

 たとえ恥ずかしかろうと、彼が不調ならば、その言葉には従えない。

 そもそも、倒れた人間がどれだけ大丈夫と主張したところで、信じられるはずがないのだ。


 その後、僕たちは紹介された宿に到着した。

 そこは町を貫く大通りに面した宿で、まるで貴族の邸宅のように豪華な造りをしていた。


「いやあ、お姉さん……これはやり過ぎでしょう?」

「こ、ここに泊まるの? ボクたち」


 僕とミィスが入り口で思わず立ち尽くしていると、後ろに新たな客がやってきて、僕たちの後ろに並んだ。

 ここに立っていると邪魔になると判断し、覚悟を決めて門をくぐる。

 豪華なシャンデリアが吊り下げられたロビーを進み、受付に紹介状を差し出しつつ、名前を告げる。


「冒険者ギルドで紹介されてきたのですけど……シキメと言います」

「冒険者ギルド? ああ、セーヌさんの紹介でしたか。承知いたしました、今部屋をご用意いたします」


 明らかに場違いな服装の僕を、変な目で見ることもなく丁重に案内してくれる受付の男性。

 それにしても、あの受付のお姉さんはセーヌさんというのか。今度しっかりとお礼をしておかねばなるまい。


「あの、失礼なことをお聞きしますが、その……代金とか?」


 正直言って、僕だけならこの宿を買い取って余りある金貨を所持している。

 しかしミィスはそうではない。彼もあれから何度か猟をしているし、その成果もあって貯蓄もできている。

 それでもここに泊まるには、その貯蓄を吐き出す必要があるだろう。

 もし料金が足りなかった場合、彼は非常に心苦しい思いをするはずだ。

 ただでさえ、精神的にストレスを感じているミィスに、これ以上負担はかけられない。


「大丈夫ですよ。紹介状を渡された以上、お客様の料金はギルド側で負担することになっておりますので」

「そうだったんですか。でも、まだ何も貢献していないのに……」

「おそらくここに来る前の功績が評価されたのでしょうな」

「そう言うのって、伝わっているものなんです?」

「ギルドには、特別な連絡網が存在すると聞いております。機密なので、我々では把握できておりませんが」

「そうなんだ……」


 つまり、何らかの方法で僕たちが開拓村に貢献したことが伝わっていたから、この宿を紹介してくれたということか。

 それはそれでありがたいけど、せっかく村から逃げてきたのに、足取りを残すことになってはいないだろうか?


「こちらになります。ミィス様には後ほど湯と水を届けさせますので」

「お世話になります」


 身体を拭くお湯と、頭を冷やすために使う氷嚢などにも使える水。

 これらは何かと使い道が多い。もちろん水程度なら僕のインベントリーにも収納されている。それでも用意していくれるというのはありがたかった。

 日本では実感できなかったが、清潔な水というのはいつだって貴重なのだ。


 意識を取り戻しているミィスをベッドに寝かせ、運ばれてきたお湯で彼の背中を拭いてやる。

 下も拭こうとしたが、さすがにミィスに断られた。


「一発出してスッキリした方がいいと思うんだけど?」

「シキメさん、さすがに今は突っ込み返す余裕はないよ」

「ごめん。ちゃんとお世話するね」

「ううん、ボクも言い過ぎた」


 珍しく、しおらしく謝罪したのが効いたのか、ミィスも謝罪を返してくれた。

 それにしても、この状況なら今後の予定も考えねばなるまい。


「ミィスが元気になるまで……少なくとも一週間以上はこの町に留まろうか?」

「そんな! ボクならもう大丈夫だから」

「そんな有様で何言ってるの? それにまたミィスに倒れられたら、僕の立場も疑われちゃうよ。幼い恋人に無理させて倒れさせた女、みたいに」

「うーん、そこは弟と姉くらいにして欲しいなぁ」


 軽口を叩ける程度には、ミィスの元気は戻って来たらしい。

 だがここで無理をさせるのは、本当に危ない。今回は軽くて助かったけど、次もこの程度で済むとは限らない。


「まぁ、ここで旅の資金を貯めると考えれば、悪い話じゃないよ。事が事だっただけに、僕たちも慌て過ぎたかもしれない」

「そうかも。本当に慌てて飛び出してきたからね」

「うん。だからミィスはゆっくりして身体を休めていて」

「シキメさんだけで働くんですか?」

「僕の本職は錬金術だからね。危ないことはしなくていいし」


 素材はまだまだインベントリーにある。

 場合によっては開拓村のように十級回復ポーションを納めてもいい。

 その場合は、また騒動になりかねないが、どうせ一週間かそこらで出て行く町だ。問題はあるまい。


「なんだか、またやり過ぎそう」

「ほほう? ならやり過ぎないように、ヤっちゃおう?」


 僕はそう言うと白衣を脱ぎ捨て、ミィスに寄り掛かるようにシナを作る。

 それを見てミィスは再び大きなため息を吐く。今はやはり、僕にツッコミを入れる元気が無いらしい。


「シキメさん……」

「あ、疲れた? ちょっと悪ノリしちゃったね。僕もそろそろ寝ると――」

「そんな風に媚びなくても、ボクはシキメさんのことが大好きだから、逃げ出したりしないよ?」

「――え?」


 この『大好き』の一言に、僕は完全に思考停止してしまった。

 考えてみれば、世界に来て僕はずっと孤独だった。いや、孤独になるところだった。

 それを避けられていたのは、ミィスがずっとそばにいてくれたからだ。

 それにどれほど、僕が助けられてきたか。

 ミィスはそれに気付いていて、そしてそれを口にすることなく、僕に寄り添ってくれていた。


「あ、あぅ……」



 反撃する余裕も無くし、口篭もってしまう僕。

 ミィスはそんな僕に寄り添い、身体を伸ばして頬にキスをしてくれた。

 僕は硬直したまま、その接吻を受け入れる。身体を動かすこともつらいだろうに、拒否なんてできようはずもない。

 いや、完全に停止してしまった僕に、彼を拒否する余裕なんてなかったというべきか。


「今はまだ、ボクは頼りないかもしれないけど、大きくなったらきっとシキメさんに応えられると思うから……それまで待ってくれるかな?」


 じっと僕の目を見つめ、そう告げてくる。

 これはもう、何も考えられなくなる。無意識に顔に血が昇り、真っ赤になっていることが自覚できた。

 僕はミィスを堕とそうと、ずっと頑張ってきたつもりだった。

 しかしこの一撃はいけない。

 こんなの、耐えられるはずないじゃないか。


「よ、よろしくおねがいします……」


 僕は何を言っていいのか分からなくなって、そう言うしかなかった。

 どうやら僕は、堕とすより先に堕とされてしまったらしい。

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