第29話 逃避行の始まり

 僕たちは、急いで小屋まで戻り、さっそく旅支度を開始した。

 とはいえ僕にはインベントリーがあり、ミィスも拡張鞄を持っている。

 もっとも拡張鞄ではあまり容量が入らないので、大半は僕のインベントリーに収めることになる。

 この能力、一体どれくらい収納できるのか。限界に達したことはまだないので、分からない。


「ミィス、急な話になったけど、大丈夫?」

「うん。元々荷物なんてほとんどなかったし」


 ミィスの小屋に物が少ないのは、父が死んでから収入が減り、小屋の小物を売って食いつないでいた時もあるかららしい。

 幸か不幸か、今はその荷物の少なさに救われた。


「よし。それじゃ、押し掛けて来られる前に村を出よう」

「うん!」


 ミィスは握り拳を作って大きく頷いた。

 本人はキリッと口元を引き締めているつもりかもしれないが、僕から見ると幼い子供が気合を入れているように見えて、妙にほっこりしてしまう。

 しかしゆっくりしていられないのも事実。ましてや僕は、この世界に関してほとんど知識を持っていない。

 開拓村という狭い世界で生きてきたミィスも、それは同じだ。

 ここから旅立つということは、かなりの面倒を背負い込むことになるだろう。


「それじゃ、行くよ」

「うん……」


 そこでミィスはクルリと背後に振り返り、掘っ立て小屋のような自分の家をじっと見つめる。

 そして小さく『いってきます』と告げて頭を下げた。

 僕はその仕草に、胸を打たれた想いをした。

 彼からすれば、この小屋は今まで生きてきた場所。父との思いでの場所でもある。

 そこに僕が転がり込んだせいで、ミィスは離れなければならなくなった。


「ごめんね」

「シキメさんのせいじゃないよ!」


 思わず零れた僕の言葉に、ミィスは振り返って強く告げた。


「全部、その悪い貴族のせいだから」

「うん、そうだね」

「シキメさんは悪くないよ。ボクがそう保証してあげる」


 僕をかばってくれたミィスの言葉に、思わず泣きそうになった。

 でも年上の僕が先に泣くわけにはいかない。なのでいつもの通りセクハラをしてごまかすことにする。


「それは凄く心強い。お礼に僕の操もあげるね」

「またそうやって、すぐにごまかそうとするぅ」


 頬を膨らませたミィスの頭を胸に抱き、僕は彼にささやきかけた。どうやら見透かされていたらしい。


「冗談。すごく頼りにしてる」

「う、うん。まかせて」

「僕は世間知らずだから、ミィスだけが頼りだよ」

「ン」

「お礼にえっちなご奉仕してあげるから」

「台無しだよ!?」


 ミィスにいつもの勢いが戻ったことを確認し、僕たちは村を出るべく門へと向かった。

 開拓村は森の真っただ中に作られているため、村全体を囲むように柵がある。

 これがないと、村の中にあっさりと魔獣の類が入り込んでしまう。


「来たか、シキメの嬢ちゃん」

「あ、いつもご苦労様です」


 門番を務める元兵隊の村人に、僕は一礼して通り過ぎようとした。

 そんな僕に門番は素知らぬ顔で話しかける。


「話は聞いてるよ。貴族に目を付けられたってな?」

「ええ。おかげで、しばらく村を離れることになりました」

「そりゃタイヘンだ。実は俺のところにもついさっき、貴族から黒髪の少女が通ろうとしたら、引き留めるように通達が来たんだ」

「それは……」


 この村の出口は二つしかない。北側の森と南側の王都へ向かう門だけだ。

 もちろん、それ以外にも柵を越えようと思えば、越えることはできる。

 そのためには、運動能力を得るために裸になる必要があった。

 村の中とはいえ、全裸はさすがに恥ずかしい。


「だけどよ。俺ももう歳だからな。通る人間の髪の色がくすんで見えることもある」

「……あ」

「ミィス、お嬢ちゃんをしっかり護れよ?」

「は、はい」

「返事すんな。俺は『見えてない』んだからよ。お前はその辺が素直過ぎる。まぁ、これは独り言だけど」

「あ、えっと、んっと……」


 口篭もってワタワタ手を動かして言葉を探すミィスの頭にポンと手を置き、僕は一礼してから門を通り過ぎた。

 ミィスもその様子を見て、真似をしてから後を追ってくる。

 門番の彼も、村に貢献できないミィスをあまり良く思っていなかった一人だ。

 でも『僕を護れ』と、ミィスを激励してくれた。

 それに僕たちの通行に目を瞑ってくれたこともある。結局この村の人たちは……お人好しばかりだ。




 僕はミィスと共に、村を南へと進んでいた。

 その先を一週間も進めば王都である。この一日で四十キロ歩けるとして、二百八十キロほどか。

 もちろん途中に宿場町や宿泊所のような施設は存在するのだが、山もあったりするらしいので、直線距離だともう少し近そうだ。

 僕たちはミィスに合わせて進まないといけないのでおそらくもう少し、十日ほどかかるかもしれない。


「一週間から十日かぁ……食料足りるかなぁ?」

「一応沢山持ってきてるよ」

「そうなんだけどね。まぁ、いざとなったら僕の収納魔法内にあるアイテムで……」

「それ、なんか怖い」

「失敬な!」


 ちょっと料理に能力強化バフ効果が付いているだけだ。

 王都までの道のりには、途中で宿泊のための小屋なんかが設置されていたりする。

 しかしそれは、馬での移動を前提に作られており、子供連れでそれほど距離を稼げていない僕たちは、そこまで辿り着けていない。

 なので今日は野宿である。


「野宿とか初めてだよ」

「ボクもあまり経験はないけど、まぁなんとかなるよ」


 ミィスはかまどを手早く作り、薪を集め、それに発火石で火をつける。

 その上に鍋を設置し、拡張鞄から水を注いでお湯を作っていた。


「ミィス、いいお嫁さんになれるよぉ」

「ボク、男!」

「そうだね。ミィス大きいもんね」

「どこ見て言ってるの!?」

「どう? 一発やらない?」

「しないから!」

「ちぇー」


 ミィスだって興味が無い訳ではないだろうけど、今はそれどころではない。

 長旅になるのだから、できる限り体力を残す必要がある。

 特に子供のミィスだと、長旅はかなり堪えるだろう。

 そんな子供に野営の準備を任せっきりにするわけにもいかず、僕も立ち上がって手伝うことにした。


「じゃあ、僕は薪を集めてくるね」

「うん、おねがい」


 これから道端で夜を明かすとなると、朝まで焚き火を絶やさないように薪が必要になる。

 急いで小屋を出てきたので、薪を持ち出すという考えが無かった。

 おかげで発火石はあれど薪が無いという状況だ。

 ミィスは前もって用意していたのか、拡張鞄の中に少しだけ薪を用意していた。


「そう言えばミィス。よく薪を用意してたね」

「うん、これはいつもの狩りの時に必要になるかもって入れて置いた分なんだ。ボクも急いでたから、忘れてた」

「そっか。備えあればってやつだねぇ」

「ギブソンさんに教えてもらったんだ」


 ちょっとだけ誇らしげに、ミィスはギブソンのことを口にした。

 彼はミィスの父と並んで、狩りの師匠に当たる人物である。ミィスにとってギブソンとの別れは、悲しい出来事だっただろう。

 それでもその教えが、今僕たちを助けている。それが誇らしかったのかもしれない。


 狩りに出れば野営をすることもあるし、そのための薪を拡張鞄に入れていたのだろう。

 この辺り、やはり現地の人は用心深いと感心したのだった。

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