第28話 旅立ちの決意

 ミランダさんの話では、貴族の使者がギルドへ来て、非常に効果の高いポーションを作る僕を召し抱えようとしているらしかった。

 このまま僕がギルドに顔を出した場合、まず間違いなく、そのままその貴族の屋敷に連れていかれるらしい。

 ほとんど拉致監禁に近いと思うのだが、それがまかり通ってしまうのが、この世界の権力者だ。


「ど、どうすればいいんでしょう?」

「とにかく見つからないように。見つかったら私たちでも庇いきれないわ」

「でもでも、この村の人たちだったら、ミィスの小屋に住んでることくらい、すぐ突き止められますよ?」

「そうね……凄く残念だけど、しばらくこの村を離れた方がいいかも」

「えぇ、それだとミィスを置いて行くことになっちゃうじゃないですか!」


 僕の叫びを聞き、ミィスが服の裾を掴んでくる。

 これは何かを訴えたいわけではなく、心細くて僕に縋っているだけだ。

 僕としても、ここまで懐いてくれたミィスを置いて行くのは、未練がある。


「しかたないわ。ここで貴族に召し抱えられちゃうと、一生会えなくなるかもしれないのよ」

「そんなまさか……そこまで悪名高い貴族なんです?」

「はっきり言って最低よ。あんなのゴブリンやオークと変わらないわ」

「うへぇ」


 厳つくて強面の冒険者を相手にしてるミランダさんからここまで言われるとは、よっぽどのものである。

 そこまで言われると一目見てみたいという好奇心が沸かなくも無いが、デメリットが大き過ぎた。


「わかりました。しばらく村を離れます。どっちに行けばいいですかね?」

「ここから南に行けばこの国――レンスティ王国の王都に向かうことになるわ。東に一日ほど行けば、その領主の屋敷があるわ」

「北と西は?」

「どっちも大瘴海が広がってるわ。突破はよっぽどの腕利きでないと無理かも」

「大瘴海って?」

「この森のことよ。負の力を帯びた魔力が滞留していて、生態系が危険な方向に歪んだ森」

「そんな危険な場所だったんですか、ここ」

「一応人類の最前線なのよ?」


 この地域は大陸の南東部に当たり、平野部が広く温暖な気候をしている。

 逆に大陸の中央部は大瘴海と呼ばれ、気温や地形の変化が激しい。

 そこに住む魔獣の質は狂暴そのもので、この森が人の生活域の拡大を大きく阻害している……らしい。

 その最前線に拓かれたこの村のギルド職員であるミランダさんは、最前線であることを誇らしげに宣言していた。

 最前線だからこそ、村への貢献という要素が、立場に直結しているのだろう。


「他国に行くには、大瘴海を超えるしかないんです?」

「王都を抜けることができれば、反対側にモーラ王国があるわ。あそこの王様はまだマシな性格をしてるって聞くわね」

「王様がマシでも、土地を治める貴族がねぇ」

「まぁ、この国だって、王様自体は悪くないのよね」


 聞くところによると、この国の王様は悪い性格ではないのだが、統治能力の面でかなり問題があるらしい。

 王都を離れれば離れるほど、貴族への監視の目が緩むそうだ。

 このレンスティ王国最外縁に存在する開拓村は、そう言った意味で言うと、限りなく無法地帯に近い。


「なら王都に近付けば安全になるってことでもありますね。そっちに向かいましょう」

「ボクも……一緒に行く」


 そこへ突然、ミィスが決意表明をした。

 安全な王都方面に向かうとはいえ、村の中しか世界を知らない子供では、危険であることに変わりはない。


「危険だから、ミィスを連れていけないよ」

「ヤダ、ボクも一緒に行く!」

「僕、貴族に追われるかもしれないんだよ?」

「いい。ボクがやっつける」


 全身で抱き着くようにして、僕から離れまいとするミィス。

 胸の辺りの生地に湿った感触が伝わってきたことから、彼が泣いているのが分かる。

 よく考えてみれば、ミィスはこの三年間、孤独に過ごしてきた。そこへ僕が転がり込み、結果として彼の孤独は癒されたはずだ。

 だが僕が旅立つとなると、彼は再び孤独な生活に戻ることになる。

 一度知ってしまった孤独な状態に戻ることは、彼にとって非常に恐ろしい事態に思えたのだろう。


「……ミィス」


 彼をあやすように頭を撫でながら、ちらりとミランダさんの方を見る。

 彼女に何とかしてもらおうというのではなく、どうすればいいのか、意見が欲しかったからだ。

 僕は裸にならないと戦闘能力を発揮できない。

 日頃は非力な少女と同じ能力しかない。違うとすれば、錬金関係の魔法が使え、バカげた生命力が溢れ捲っているくらいか。

 そんな事情を、彼女はもちろん知るはずもない。

 それでも幼い彼を村から連れ出していい物かどうか、その判断を仰ぎたいと思ったのである。


「そうね……それが、いいかもしれないわね」

「ミランダさん、なぜです?」


 僕はどちらにも決めかねていた。

 この疑問は、彼女がそう判断した理由を知りたかったからだ。


「まず、この村の人間なら、ミィス君のところにシキメちゃんが世話になっていたのは、誰でも知ってるわ」

「そうですね」

「なら、あなたという獲物を逃がした貴族はどう出ると思う?」

「えっと……追っ手をかける?」


 僕が逃げたのなら、それを追ってくるはず。そう考えて素直に答えを口にする。

 しかしミランダさんは、ボクの答えに首を振った。


「それだけじゃ、済まないわね。もちろん追っては掛かるでしょうけど」

「じゃあ、どんな手が?」

「あなたが逃げるなら、呼び寄せる手を打つかもしれない。例えばミィス君を餌に」

「なっ、バカな!?」


 思わず声を荒げる僕に、往来する人たちが視線を向けてくる。

 だが僕としてはそれどころではない。僕が逃げても、ミィスの安全は確保できないと彼女は言っているのだから。


「その可能性がある。それを躊躇なくするくらいには、ゲスな相手なのよ」

「じゃあ、ミィスを連れて逃げるしかないんですか?」

「もしくは一切の自由を捨てて貴族に囲われるか」

「ちなみに大事にされそうです?」


 僕の疑問に、またしてもミランダさんは首を振る。

 その顔色から、ろくでもないことになると想像していたが、彼女の口から出たのは、さらに最悪な状況だった。


「多分、魔力が尽きるまで回復ポーションを作らされ、夜は慰み者にされ、使い物にならなくなったら部下に下げ渡されて、最後は死ぬとか、そんなところでしょうね」

「うげぇ。さらにオマケで、その貴族の外見って」

「さっきも言ったでしょ。ゴブリンやオークの方がマシって」


 ここまで聞いて、僕は決心した。

 この村には世話になった。しかしそんな貴族に目を付けられた以上、留まることはできない。

 僕と関わった以上、ミィスの安全も保障されない。

 ならばもう、二人で逃げるしかないじゃないか。


「分かりました、ミィスと逃げます。そう言えば、その貴族の名前は?」

「ヴォルト・ラングレイよ。ヴォルト・ラングレイ辺境伯」

「うわぁ、凄い権力者だ」


 辺境伯と言えば、国境を守ったりするために軍の編成権を持つ伯爵のことで、普通に伯爵よりも地位が高い。

 一般的にはほぼ侯爵と同レベル。下手をすれば公爵にすら肩を並べかねない。

 辺境伯が独立して国を打ち立てたなんて話も、歴史にはあるらしい。


「これは是が非でも逃げ切らないと」

「うん、ボクも頑張るよ」


 事態を把握していないのか、ミィスは拳を握り締めて応援してくれる。

 そんな小さな彼が、この世界では一番頼もしかった。

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