不可抗力 夏休み 遺失物


 ――目のくらむ日差し。

 ――足がすくむ高さ。


 夏休みが明けてから、もう一か月が経つ。休み明け気分はすっかり失せてしまったし、夏休み中に行方不明になった彼が、いまだ生存しているという希望を持つ者も、だいぶ数を減らした。捜索はまだ続いているというし、ご両親には気の毒ではあるけれど……。

 うん、と思わずうつむいて、ため息をつく。本当に気の毒なことだ、本当に。

 図書館の窓の外では、今の気分と全く反対にあるような鮮やかな緑色をした木が、風に吹かれてざわざわと揺れている。下校する誰かたちの、朗らかな笑い声も聞こえる。まるで別世界のように感じるけれど、自分も同じ世界にいるのだ、と思う。彼がいなくなった世界。二度と戻らない世界。

 不思議な感覚だった。

 汗のせいで鉛筆が移ってしまうかもなぁと思いながらも、開いたノートの上に腕をのばして、べたりと机に横になる。眠気を覚えた。抗いがたい強さ。図書館で眠るのは駄目だと知ってはいるが、不可抗力。目をつむって少しすると、意識は夢と現のあわいに漂って、とりとめもない考えが次々に浮かんだ。

 彼が行方不明になったという話を聞いた時のこと。彼との思い出。クラスメイトたちのリアクション。ぽっかりと空いたままの机。――昼間聞いた、噂話。

 最近、ひっそりとある噂が流れているらしい。

 玄関の近くに置かれ、ほとんど存在を忘れられてほこりをかぶった、落とし物入れ。

 あそこに、彼の遺失物があるらしい。

 そもそも、落とし物入れには以前から、落とし主さえ落としたことを忘れて、回収されないままになっているものがいくつもあった。本来、回収されなかった遺失物は年度の変わり目などに先生が処分するらしいのだが、先生たちも忘れている。いつから今の状態になっているのかあやふや。

 ただ、少なくとも、この夏休みの後に片付けられたということはなく。

 だから――だから?

 彼が夏休み以前に落としたものが、あそこに置かれたままになっている、という。

 単純に考えて、それは、全く意味のない噂である。まず、真偽が不明だ。何故本人すら忘れた落とし物を、その人のものだと知っているのか。そして価値が不明だ。仮に、行方不明になる前に、彼本人から落とし物入れに彼のものがあると聞いていたとしても、それが何だと言うのか。

 それが彼の行き先を示す、という訳でもあるまいに。


「図書館は寝るところではありませんよ」


 体がきゅっと縮こまるような声で目が覚める。「すみません」言いながら顔を上げる。いつも優しい司書さんだからこそ、注意されると、悪いことをしたなぁと反省の気持ちが強くわく。


「今度から気をつけます」

「はい。……図書館で寝るのはダメだけれど、大丈夫? 家ではちゃんと、寝れている?」


 私は彼の友人で、それは周知されている。


「大丈夫です、私は……。元気です。ありがとうございます」


 不思議になるくらいに元気だ。彼がいなくなったというのに、お腹は減るし、眠くもなるし、夏の暑さにうんざりもする。勉強だって毎日やっている。学校にも毎日来れている。笑っていた誰かたちと同じ世界に生きている。

 別の世界に行ったのは彼だけ。

 "足のすくむ高さを跳んで、目のくらむ日差しの中に消えていったのは、彼だけ。"

 ひょっとすると、噂の遺失物とは自分のことなのかも知れないと、思った。

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