ベーシスト ケイドロ 頭髪検査


 画面の向こう側、ボーカルの背後にうつむきがちに立っているベーシストは、今はもう連絡先すらも知らない友人だった。「あ」と思わず出た声に、隣にいた彼女が「ん?」という顔を向けてくるのが分かるが、すぐに説明することはできない。呆然と、ただ、現在の彼と記憶の彼を重ね合わせることしか、今はできない。

 今も、昔と変わらない髪色をしていた。



「頭がかたいよな、あいつ。証明書まで持って来いなんてさ。どこでもらえんの、地毛証明書って」

「美容院か、親。……親のはんこ押してあれば、自分で書いたっていいんだって」

「何だよそれ。意味あんの?」


 頭髪検査で引っかかって活動に遅刻してきたユウタは、俺のほとんど文句に近い質問に、ため息だけで応えた。そんなのは俺が聞きたい、と言わんばかりのため息だった。

 同情もありつつ、少し面白がっていそうにカオリが笑う。


「大変だよねー。バンドなんかしてるから、余計、ってのもあるんだろうけど」

「なんか、って」

「私が言うのも何だけど、チャラいでしょ、バンドって。髪染めてても不思議じゃないって言うか。特にセンセーはいまだにそういうイメージ持ってそう」


 そこではなくて、俺は「バンドなんか」の方が気になったのだ。高校生で、別に何の実績もないけれど、一応真面目に活動しているつもりで、俺は。冗談でも「なんか」と、自分たちで蔑ろにしてしまうような向き合い方はしていなくて。――カオリは、バンドも、バンド活動をしている自分たちも、バカにしているんだろうなとも思うけど。ギターボーカルという自分の立ち位置だって、誇りと言うより、欠点として扱っている時がある気がする。


「かわいそうにー。せっかく良い色なのにね」


 そのくせ、バンドをやっているのは。

 カオリはくすくすとからかうように笑いながら、ユウタの髪に一瞬、触れるような仕草をする。それにユウタは、驚きながらも、満更でもないような顔をする。


「逆にさぁ、黒染めしたら何も言われないんじゃないの。また遅刻されんのも、正直困るって言うか……や、ユウタが悪いんじゃないけど」


 棘が、少し出過ぎた。カラオケボックスの空気が、物理的にきしむ感じがした。笑み混じりながら鬱陶しく思っていそうなカオリの目、心底申し訳なさそうに肩を落とすユウタ。


「ごめん。黒染め……ちょっと、親に相談、してみる」

「私はちょっとくらい大丈夫だよ。気にしないで。その色好きだし、バンドやってるっぽい雰囲気出るし? 染めないでほしー」

「いやでも……」


 俺を見るなよ、悪者になった気分だ。


「……まあ一個の案ってことで。ユウタの自由にしたらいいと思う。遅刻しなきゃさ、いいんだし」

「うん……」


 モニターにうつったバンドの挨拶する声が、やけに大きく聞こえる。カオリが一瞬、モニターの方へ顔を向けた。酷く冷めた横顔が、俺の位置からは見えてしまった。


「もー、何か変な空気になったじゃーん。いっそ今日はもう練習じゃなくってさ、普通に遊ばない? 外で。途中にあるさぁ、昔よくケイドロとかしてた公園、あそこで何かぱーっと体動かそうよ。息抜き息抜き」

「いやでも、練習量足りてないし……」

「文化祭なんかまだ先だし、間に合うでしょ」

「文化祭っつーか」


 その先も続けていくためには、いくら練習しても足りない。もっと練習しなければならない。

 続けていくつもりが、あるのなら。


「俺は練習したい。遅刻しておいてどの口がって感じだけど」

「あー……そう? 私はどっちでもいいし。じゃ、練習しよっか」


 望み通りの結論になってしまって、俺はそれ以上、何も言えなくなった。



 結局、文化祭を最後に、バンドは解散になった。最初にバンドを抜けたのは俺だった。ユウタとカオリが付き合い始めたから。その後、バンドを組む夢は持っていたけれど、特に何をするでもなく。俺は辞めるという区切りすらなく、音楽から離れた。

 ユウタとカオリとは大学進学を期に会わなくなった。その後は分からなかったが――。

 真剣だったのは、お前だけだったんだな、と画面を見ながら思う。

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