幼年期 伝書鳩 温暖気候

 真っ白い砂浜で、クリーム色の貝殻を拾う。貝殻を持ちながら海をのぞみ、空を飛ぶ鳥の羽の黒を注視する。

 幼年期を思い出そうとすると、そういう光景が脳裏に浮かぶ。

 今や毎日排気ガスでくぐもった空の下を忙しく歩き、手に持つのは貝殻ではなく通勤鞄という身の上ではあるが、幼い頃、私は島に住んでいた。人口は少ないが、年中温かいエメラルド色の海と黄色い日差しに包まれた、美しい島に。

 今はもう存在しない島に……。


 その島では、伝書鳩の育成が行われていた。

 単なる伝書鳩ではない。その鳩らはいつか、国を救うのだと、幼い私に大人たちは語った。生まれながらにして遺伝子的に秀でた特性を持つ鳩を、温暖気候を利用して作った特別な餌や、特殊な訓練環境で、さらに目的に適う身体に鍛え上げる。どうやら、という前置きはつくものの、そういうことが成されていたらしい。幼い私には、伝書鳩を住まわせた「塔」や訓練場への出入りは許されていなかった。おとぎ話のような形に変えられた鳩たちの逸話を聞かされるだけだった。私はまだ現実と夢の区別もつかないような年だったから、大人たちはそうしたのだろう。だから実は、確かな実態は今もよく分かっていない。

 なぜ、島が滅びたのかも、聞かされることはなかった。

 どうやら、あの伝書鳩たちのせいらしい、ということを、私自身がうっすらと察しただけだ。

 寄り集まった大人たちが見せた、不安などまるで存在しないかのような空元気。「鳩が」だけで終わった会話。海辺に流れ着いた不可解な黒片。波間にただよう、ちょうど鳥一匹分と思わしき羽。真夜中に「塔」で響いた不穏な鳴き声。森の草地に落ちていた赤々とした肉塊。

 先に友人一家や隣人が島を出て、追いかけるように、私の家も島を出た。新たな土地に住み始めていくばくして、テレビ画面に、あの生まれ育った美しい島がうつし出された。その映像は過去に撮影されたものであり、もうこの美しい島を見ることはできない、という事実を、アナウンサーは実に嘆かわしいニュースだという調子で告げて、すぐに次のニュースに移った。嘆かわしさはアナウンサー自身のものではなく、アナウンサーが視聴者の感情を想像し、それに共感したふりをしただけのものだった。私の生まれ育った島は、引っ越した先の土地ではあまり知られていなかったから、果たしてその薄い共感に感謝したものがいたのかは分からない。少なくとも私は何とも思わなかった。思うだけの情緒をその時はまだ持たなかった。

 見ることができない、ということは、沈んだのか――。

 それとも、当時争っていた国に占領されたのか。

 真っ白い砂浜で、クリーム色の貝殻を拾う。貝殻を持ちながら海をのぞみ、空を飛ぶ鳥の羽の黒を注視する。

 その光景を思い浮かべながら、私は疑問を、答えを出そうとはせずに、ただ漂わせる。

 ニュースにもなった程のことだ。調べれば、あの伝書鳩たちのことも「国を救う」という意味も、島が滅びた理由も分かるだろう。しかし、それは必要がない。

 現実と夢の違いもない、幼年期の思い出。

 今の私を救うのは、その曖昧な温かさだけなのだから。

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