早寝 七味唐辛子 一挙両得(30分ライティング)


「早く寝なさいよ。早く寝ないと、おばけが来るよ」


 母親にそう言われた太郎は、珍しく、早く寝ることにしました。おばけなんてもう信じてはいないけれど、たまには母親の言うことを素直に聞いてもいいか、という気分になったからです。早起きは三文の得、ということわざがあるらしいし、きっと早寝にも得はあるだろう、という思惑もありました。

 布団にもぐり込んで目をつむれば、今日一日の出来事が浮かんでは消え、浮かんでは消え。だんだんと消えるのが早くなって、浮かぶことがなくなって、ふっと自分もなくなって。

 いつしか太郎は、七味唐辛子の海の真ん中に立っていました。

 真っ赤です、と思いきや、よく見ると案外、様々な色が混じっておりました。一番目立つのは赤色ですが、オレンジ色や胡麻の黒、小さな緑。一体何が混じっているのだろうと、指でちょいと気になる色をすくって舐めてみましたが、ピリッと辛くって、元が何なのかは分かりゃしませんでした。何となく薬のような風味があとに残るような気もしました。

 さて、と太郎は辺りを見回して、考えます。海に来たからには、泳がないといけません。海だから。

 泳ごうと思ったら、体が沈みました。太郎は得意の犬かきをします。けれど、ピリピリと言うかチリチリと言うか、とにかく痛痒くって、とても不愉快です。とても泳いでいられません。でももう、海の上に立つこともできません。跳び上がろうとしたって、足元には足場なんてないのです。

 仕方がないので太郎は、海の中に潜ってみることにしました。

 海の中には魚がちらほらおりました。海だから。蛇みたいなうどんや、ぬめっとした海藻、茹で済真っ赤海老、油揚げ。幸い、海の中は七味唐辛子でなく、しょうゆベースの汁だったので、太郎はのんびりと進みます。

 じきに、お腹が減りました。

 その時、おあつらえむきにも、太郎の視界にトルネードのようになった具の群れが飛び込んできました。あそこに箸でも投げ込んだら、一挙両得どころか、百得くらいできるんじゃないか。早寝もしたし。

 太郎は疑問も持たず、両手に一本ずつ箸を構えて、さながらイノシシのようにトルネードに突進しました。

 残り三メートル、残り二メートル、残り一メートル。

 ――トルネードは突然かき消え、暗闇だけが目の前にありました。

 太郎は何が起こったか分からないまま、ぼんやりと自室の壁を見ました。

 ぐう、と鳴った自分のお腹の音で、太郎は目覚めたのでした。

 足元には寝苦しくって蹴り飛ばした布団が、くしゃくしゃになっておりました。

 台所ではお母さんが、お夜食を食べておりました。

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