2024年
ギャグセンス 人生逆転 電気スタンド
この話をすると驚かれることが多いのだけど、本当の話。
教室の中途半端な席で、休み時間も授業中も給食の時間も、うつむき加減でぼんやりとしている。それが「僕」だった。
何も独りでいたかった訳ではない。小学校の時も、中学校の時も。騒いだりふざけたり、というのには向いていなかったけれど、そう、友達と笑い合ったり、一緒に教室移動をしたり、それくらいはしたかった。でもしなかった。いや、できなかった。何故なら、と続けられるような明確な理由はないけれどね。その時の僕には、自分にもはっきりとは分からない何らかの理由で、自分から行動するという選択肢を選ぶことができなかった。「しない」ということには、時々、そういう意味があることもある。もちろん、軽々と葛藤なく「できる」のであればした方がいいけれど、「していない」と自分を卑下することはない。
それはともかく、その頃、僕の唯一の楽しみは、深夜ラジオを聞くことだった。
ずっと使い続けていて、傷だらけ落書きだらけのテーブルにノートを開き、同じ部屋で寝ている妹を起こさないように、電気スタンドの明かりだけをつける。イヤホンを耳に入れて、ラジオをつける。
聞いていたのは、お笑い芸人がパーソナリティをしている番組だ。その芸人は、長い下積み時代を経て、僕がまだ小学校に上がっていないくらいの頃に、テレビで大ブレイクした。今もまだファンはいるけれど、以前よりは人気は落ち着いている。そういう風な人だった。芸名はヒダリと言ったが、どうやら本名もヒダリらしかった。
今頃、ヒダリはどうしているのだろうか。ラジオは僕が大学生になった頃に終わってしまって、ヒダリもほとんど見なくなってしまった。同じ業界にいるのだから、誰かに聞けば分かるのかも知れないけれど、何となくできないでいる。
内容は、もちろん笑える話もあるのだけれど、爆笑という感じではなかった。くすっと、とか、ふふっと、くらいの形容が合う空気感だった。人生逆転を経験した人の深みのようなものも端々に感じられて、あまり、大ブレイクした芸人のラジオという感じはしなかった。定番のお便りコーナーもあったのだけれど、そこでうかがえる他のリスナーも、その空気感を程よく共有していた。聞いていると、少し大人になった気分になれる番組だった。
母親には「渋い趣味よねぇ」と言われたけれど、「もっと最近の芸人とか見て、ギャグセンス磨いた方が、友達できるんじゃない?」とも言われたけれど。あのラジオがなければ、今の「僕」はない、と言っていい。
教室の中途半端な席で、休み時間も授業中も給食の時間も、うつむき加減でぼんやりとしている。教室の誰とも関わりなく独り。僕はそういう風だった。だから僕の中身を作ったのは、間違いなくあのラジオだ。このギャグセンスももちろん、あのラジオが磨いてくれたものだ。
だから、今、独りだからと絶望することはないと思う。自分ではたった独り、空っぽのつもりでも、案外、知らぬ間に中身が満たされている時もある。明日、急に人生逆転して、独りでなくなるかも知れないし。
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