オランウータン ファッションブランド 振りまく

 幽霊でも見たかのような甲高い女の悲鳴で、会場は一時騒然となった。喧嘩か、泥棒か、発表予定の服か出演予定のモデルに何事か起きたのか、よもや人殺しか、と無責任な風聞が飛び交った。しかしながら、主催者である服飾部の「強い」意向によって、学内ファッションショーは、予定時刻から一時間ほど遅れながらも、開催された。

 芸に身をやつすなら、美に殉じるのであれば、時には一般常識を無視するような振る舞いも必要ではあるのかも知れないが。


「君は頭がおかしいんじゃないのか。こんな時に、イベントを優先させるとは」

「アンタに言われたくないっての。この凶漢が」


 凶漢とはまた耳なじみのない単語を使う。

 両手両足を縛られてろくに身動き取れないが、幸い首は動かせたので、私は服飾部部長を見上げた。部長はこちらを見ていなかった。軽快な音楽が響くステージを、部長はにらむように見ていた。別れた恋人を襲う凶漢を発見し、男子部員と協力して取り押さえた時の目と、勝るとも劣らない目である。


「そんなに大切な舞台なのか」


 問いかけると、部長はこちらを見ないまま首肯する。


「興味のない人間には興味のない話でしょうけれど、この学校の服飾部にはそれなりの歴史があってね。ファッションブランドのスカウトが来たこともある。これまでに所属してきた先輩方の歴史と、今現在、そしてこれから所属する後輩たちの、将来の重みと――大切ね。一人の凶漢に潰させる訳にはいかない」


 なるほど、それでこの盛況ぶりな訳だ。

 鬼気迫る部長とは裏腹に、ステージ上のモデル――私の元恋人――は、見知らぬ人々に向けて、愛想を振りまく。胸をかきむしりたくなるような嫉妬を感じて、かえって、その姿から目が離せない。今にも大声を出して潰したくなるが、それをしたら同時に、私の声帯も潰されるだろう。先ほどまでの自分ならそれくらいのこと何とも思わなかっただろうが、今は体中の痛みが、正気を縫いつけている。どれだけ元恋人を愛していたって、痛いものは痛い。


「かつて、森の人、と題された服が作成されたのだけど」


 話が続いたことを意外に思いながら、相槌を打つ。


「オランウータンのことか」

「違う……いえ、まあ、製作者の意図については私が断定できるものではないから、違うとも言い切れませんが。そこは重要ではありません。その服はSNSで有名になり、とあるブランドの社長の目に止まった。作成したデザイナーは今も海外で活躍している。まるで夢物語のような話だけど、この部ではそれが起きた。この部に入る人間はほとんどが、その夢物語を今度は自分が、と思っている」

「志高い方々だ」

「そう。志が高い。真剣である。人生から服飾デザイン以外の全てを削ぎ落としたような人間もいる。……その夢物語のための貴重な機会が、一人のモデルの色恋沙汰で潰された、となったら。それこそ刃傷沙汰になる。そう危惧してしまうのは「私の頭がおかしいから」かしら」


 部長は右足に重心を傾けた。


「おっと、それを言うための話だったのか。おかしいのは君ではなく、君の周囲の人間だと?」

「いいえ。実は、自分以外はこんなに真剣ではなくて……自分だけがアンタをさっさと無かったことにしたがっているのかも知れない、と恐れている。私はまだ常識的なのか、それともおかしくなってしまっているのか。単純な疑問と不安」

「頭がおかしい人間に聞かないでくれ」


 こちらを見たモデルの顔が一瞬、強張ったような気がした。

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