自動販売機 グッドラック 常識
山越えの途中、道の脇に自動販売機を見つけた。
周囲には民家すらない山奥。よくこんなところにまで設置するものだ。しかも、定期的にきっと中身を補充もしなきゃならないんだろう。知らないが。
ちょうど喉も渇いていたから、俺は車を路肩に停めて、自動販売機に近づいた。そばにぽつんとある街灯や飲み物の並んでいるディスプレイには虫が集っている。汚いかと思っていたが、案外、蜘蛛の巣が張っていたり、ホコリがボタンに積もっていたりということはないようだった。やはり、定期的に業者が中身の補充や清掃をしているのだろう。さすがに清掃が手間だからか、ゴミ箱はなかった。
ざっと飲み物のラインナップを見たが、街中とさして違いがあるようには見えない。トラックの運転手向けにか、エナジードリンクが多いような気がする、程度。
俺もまだ、ここからしばらく走らなきゃならない。死体を捨てるために――というのは冗談。あるいは深夜テンション。実家に帰省するだけ。小銭を入れて、エナジードリンクのボタンを押した。
ガタン。
自動販売機の横に立って、瓶を傾ける。
一息ついていると、右側から、音が聞こえたような気がした。目を向けると光が差し込む。対向車だ。
こんな場所に立っていて怪しまれないだろうかと何となく思って、わざわざ運転席から見えるように瓶を持つ。まあ一瞬だし見えないだろうけど。
しかし、右側からやって来た車は、自動販売機の手前で停まった。
怖。
何か因縁つけられたりする?
車から下りてきたのは、俺と同じくらいの歳の男だった。ぱっと見は、筋者のようには思えない。その辺にごまんといる、内勤っぽい男。つまり俺みたいな奴。でも、昨今は俺みたいなのこそ重大犯罪をやらかしたりするからな。油断ならない。
「こんばんは」
男が話しかけてきた。妙に人懐こい気配をにじませて。
「どうも、こんばんは……」
「休憩ですか」
「まあ、そんなところですね」
「私、毎週この時間にこの道を走っているんですが、この自動販売機で飲み物を買っている人を初めて見ました。あぁ、えぇといや……私以外には。私、ここで飲み物を買う習慣があるんです。それが、私以外にも買っている人がいたから、驚いてしまって」
やや要領を得ない話し方ではあったが、彼の言わんとするところは何となく分かった。自分はよく使っているが、他には利用者のいなさそうな人気のない自動販売機で、自分以外にも飲み物を買っている奴がいて驚いた、と。
「なるほど。そういう事情でしたか」
「あぁ、すみません……。突然こんな山奥で知らない人間に話しかけられたら、その方が驚きますよね。すみません」
「いえいえ、そういう事情なら、分かります。どうぞ」
俺は彼が買いやすいように、自動販売機と距離を取る。「どうもどうも」と言いながら、彼はコーヒーを購入した。
カシュ。
彼もまた自動販売機のそばに立って、缶を傾ける。
「不躾な問いかけかも知れませんが……どちらに行かれるんですか? こんな夜中に」
知らない人間に身の上を話すのは、今のご時世、危険かも知れない。だが、そういう注意を払うのも面倒くさくなるような、だらりとした夜だった。
「実家です。僕、休職中でして」
「おや」
「電話でそれを話したら、暇なら帰って家の手伝いでもしろと。休職の意味を分かってるんだか……まあ、僕もどうせ一人暮らしで、日がな一日ネット見て終わるだけなんで、一週間くらい帰ってやるかと」
「それはそれは。お疲れ様ですね」
「いやぁ、まあ……そうですね」
この一年で、酷く疲れた。ずっと、体ではないどこかが重い。心という奴かも知れない。
「常識的に考えてこうなるだろう、ってのが口癖の上司がいましてね。俺は常識がないダメ人間だ、って仕事中、ずっと思わされていて。さすがに疲れました」
「ご実家で疲れが取れるといいですね」
「全くです」
人使いの荒い両親だが、あの上司程にはめちゃくちゃな人間ではなかった。今回実家に帰ってこいと言ったのも、様子を見せろということだろうし。
「そちらはどこに行かれるんですか? 毎週この時間に通ってるってことでしたが」
「病院に。娘が入院しているんですが、特殊な病気で、大病院でしか診てもらえなかったんです。妻は娘の方にいるんですが、私は仕事を辞められなくて、それで毎週、休みに、少しだけ会いに」
「それはそれは」
ご愁傷様です、は病気の時にも言っていいんだったか。意味合いとしては「お気の毒に」と大体同じ意味なのだから、言っていいはずだが、相手にどう取られるか分からない。
「娘さんのことを思えば、という奴なんでしょうが、この山道を毎週は中々、大変ですね。街灯もここくらいしかないし」
「そうですね……。病院のある地域で別の仕事に就けないか、探したりもしたんですが、いい条件のところが見つからなくて、結局」
「仕事……ね。食い扶持のためには、やらないって訳にもいきませんしねぇ」
「でも、仕事のために大事なものを蔑ろにしなければならない、という本末転倒は、やはりどうも釈然としませんね」
「ですねぇ」
二人してため息をつく。
沈黙の後、俺は瓶を空にして、名も知らぬ男に会釈をした。
「と、そろそろ行きます」
「えぇ、私も」
「お互い、もう会うことはないでしょうが、頑張りましょう」
袖振り合うも多生の縁。
そう声をかけると、自分の車に向かいかけていた男は、軽く手を振った。
「グッドラック」
少しおかしなところもあるが、地味で、苦労のにじむ、どこかシンパシーを感じさせる男の、キザな言い回しに笑いがこみ上げた。「グッドラック」と小声で返して、俺も自分の車に乗り直す。助手席の足元に置いてあるゴミ箱に瓶を放り入れて、発進させる。
すれ違う。
二度と会うことはなくても、誰かに幸運を祈られているのは、悪い気分はしない。
こちらも彼と、彼の家族のために、祈りを捧げておこう。余裕のある時に。
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