2023年
大相撲 風呂 量産型
風呂と言えば、一日でたまった体の汚れを取り、一日の疲れを癒やすために欠かせない、古来より伝わるルーティンである。
だが、2✕✕✕年。ニホン人は忙しさのせいで、ゆっくりと風呂に入る時間を失った。そこで登場したのが、内部に入ることで一気に体を洗浄することが出来、最短五分で「風呂」というルーティンを終えることが出来る機械である。「風呂釜」という名で売り出されたそれは、またたく間に国民に普及した。
今や、どこの家を覗き込んでも、かつて脱衣所と風呂場があったスペースには、「風呂釜」が鎮座している。
だが、「風呂釜」が90%の家に設置された頃。
突如、量産型の「風呂釜」に異議を申し立てる、二人の人物が現れた。
一人は大相撲にも出場する力士だった。
ある日のことである。力士は練習をした後、いつも通りに汗だくになっている体を、「風呂釜」で洗おうとした。まわしを取り、「風呂釜」に体を押し込める。内部は使用者の体に添って形を変え、表面に生えた細かな毛で使用者の体を拭う。髪や脇の下など、洗いにくい部分にも、ブラシが入り込み、汚れを取っていく。
五分後。
「ふぅ」
汗はもちろん、髪などに付着した皮脂も取れ、すっきりした状態で力士は「風呂釜」から出た。
外に置いていた服を着て、一段落。よいしょと近くのベンチに腰を落ち着けた。
外で待っていた他の力士が、「風呂釜」に入っていくのを、何気なく眺める。
力士はふと、味気ないな、と感じた。
先達によれば、かつての風呂は、ただ、体を清潔にするだけの時間ではなかった。身体だけでなく、心も癒やすための、大切な時間だったそうだ。
皆で銭湯に行き、湯に浸かりながら、ぼんやりと会話を楽しむ。練習や大場所のことなど、考えることがたくさんある時でも、その一時は全て忘れることが出来た。
とりわけ、冬場、外を歩く間に冷え込んだ指先が、湯に触れた瞬間にほどけていき、一緒にいる人間とホッと笑い合うあの感覚は、格別だったと。
それを聞いた時に力士は、羨ましさを覚えた。
力士にとって「風呂釜」は、単なる作業でしかない。内部にいる間は、ベルトコンベアに載った製品のような感覚だ。癒やしからは程遠い、「無」である。
「風呂釜」は便利だ。時短にもなる。だが、本当にそれでいいのだろうか。
豊かさというものは、「余剰」のことを言うのではないか?
今やニホンのほとんどの風呂は「風呂釜」になってしまったが、もっと多様な選択肢を残しておくべきだったのではないか。「風呂釜」の普及に伴って、ゆず湯などの文化もほとんど消えてしまったが、それで良かったのか。
『分かるよ、その気持ち』
「あ、あなたは!」
そう、何気なくSNSに書き込んだメッセージに、最初に返信してきたのは、ギャルアイコンだった。
『みんな、それぞれの生活スタイルがある。忙しくて風呂にも入っていられない人もいれば、ゆっくりと風呂に浸かるのが好きな人もいる。だけど、今のニホンは、そういう違いを存在しないことにして、一括で処理出来るようにしちゃってる』
思想の強いギャルだった。
『メディアは量産型とか言って、違いのないことを馬鹿にするけど。一体誰がそうさせたんだっての! 力士だけじゃねえ。老いも若きもみんな、他人に迷惑かけないように、怒られないように、目立たないようにって、他と違うところをなくそうとしてる。つまんない世の中だよね、ほんと』
「そこまでは言ってないけど……。何か、アイコンが本人かは分からないけど、思想はギャルっぽい感じがするなぁ……。偏見かなぁ」
『もっと、責めの姿勢でいかなきゃいけないと思うんだよね! ファッションも、風呂も! ゆず湯いいじゃん、薔薇湯とかも良くない? あと、力士って言ったら塩か。風呂に塩入れてみる?』
「海?」
だが、ゆずや花が浮かぶ風呂を想像すると、力士も温かな気持ちになった。後輩などと一緒に入って、その匂いで癒される時間は、素晴らしいものに思えた。力士はギャルアイコンに、「いいですね」と返信した。
返信はすぐに返ってきた。
『ねえ、あたしと一緒に、風呂に革命起こしてみない?』
「強いギャルだ……」
思わず呟きながらも、その押せ押せの姿勢には、学びたいところがないでもなかった。力士なので。
一度会うくらいはいいかもと思いながら、力士は返信を打ち込んだ。
これこそ、後の風呂業界に語り継がれる、歴史的瞬間である。「風呂釜」に異議を申し立てた、もう一人の人物。ギャルと力士が、出会ったのである。
二人は、町で「風呂釜」のない、昔ながらの銭湯を開業し、数々のアイデアを実現していった。ゆずや薔薇だけでなく、ココア風呂などもあった。当初は懐古趣味の人間や、「風呂釜」嫌いが行く程度だったが、一度メディアで取り上げられ、また力士のファンであった有名人がSNSで広めたことで、物珍しさに数々の人間が行くようになった。
二人は第二号店、第三号店と順調に各地に店舗を増やしていった。さらに、業態の二番煎じも増えた。「風呂釜」は依然として使われ続けたが、従来の風呂もまた、別の楽しみとして、復興を遂げたのである。
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