ゴルゴンゾーラ 牧畜 地縛霊
「なんてことだ!! チーズが、こんな、青カビに! おしまいだ!!」
大牧場主ミレーはチーズを貯蔵する倉庫で叫んだ。手に取るチーズ全てに青カビが生えていた。昨日までは何の変哲もない真っ白なチーズで、出荷を心待ちにしている状態だった。
端的に言って全滅、まるで悪夢でも見ているようだった。
牧畜が主要な産業であるこの地域の中でも、ミレーの牧場は特別だった。ミレーの牧場で育てられた牛の乳というだけで、普通の牛の乳の倍の値段がついた。さらにそのミレーの牛の乳から作られたチーズは絶品で、王宮から献上せよとお達しがある程。ミレーの牧場を支える屋台骨であり、ミレーの誇りでもあった。
それが、全滅。
「どうしてこんなことに! 何かがあったとしても、一夜でこんな、全滅だなんて!」
最早足に力が入らない。へなへなと床にへたり込む。
「呪いでもかけられたのか? 青カビの呪いに?」
ミレーは知る由もないが、実際のところそうだった。ミレーの活躍を妬む、地域で二番目に大きな牧場の主が、ミレーの失脚を狙って呪術師に金を払ったのだった。
「まだまだ予約も大量にあるんだ。それなのに、そんな……どうしたら……?」
解決策なんて思いつくはずもない。別の牧場からチーズをもらって来たとしても、それは「ミレーのチーズ」ではない。それに初注文の相手なら誤魔化せるかも知れないが、定期的に献上している王族は誤魔化せるはずもない。
不安、焦燥、絶望、様々な感情がミレーの中で渦を巻く。目が回り、床にばたりと仰向けになった。ミレーは初めて倉庫の天井を見た。暗く、湿っていて、まるでミレーの未来のようだ。
呆然としていると、むくむくと怒りが湧いてきた。ミレーは起き上がった。
「こんな、こんなことがあってたまるか!! 嘘だ、全部嘘だ!」
青カビの生えたチーズを手に取り、床に向けて投げつけた。ぐしゃりとチーズは潰れた。
「こんなもの!」
最早ミレーは正気ではなかった。次々に近くのチーズを手に取っては床に、壁に、投げつける。そういうスポーツでもやっているかのような勢いで。
「おぉい、待て!! その手を止めろ!」
ミレーしかいないはずの倉庫に突然ミレー以外の人間の声が響いた。ミレーはびっくりして手を止めて、ぐるぐると辺りを見回す。しかし誰の姿も見えない、青カビの生えたチーズが並んでいるだけだ。最後にミレーは天井に目を向けて、そこに浮遊する人間の姿があるのを見つけた。
頭に血が上っているミレーは、浮遊する人間を見ても驚くことはなかった。これも嘘なのだろうと思った。
「何だお前は! お前か、これをやったのは!」
「そこっ? ちげぇちげぇ、全く違うよ。俺はこのブルーチーズとは全く無関係。濡れ衣もいいとこだ」
「何で浮いてる!」
「あっ、それ。最初に来るのはそれだろう?」
浮遊する人物は、空中で腕を組んで、胸を張った。
「俺は幽霊だよ。地縛霊。お前が来るよりずーっと前からこの土地にいるんだ。色々あって、未練が残っててさ」
「地縛霊?」
ここでやっとミレーはぞっとする。しかし、地縛霊の陽気な態度に引っ張られて、本気で怖がることはもう出来なかった。
「じ、地縛霊が、何の用だ」
「いやぁ、実はさ、俺って生前、チーズが大好物で。中でもブルーチーズが好きだったんだ。それなのにアンタ「こんなもの!」とか言いながら捨てようとするから、思わず出て来ちまったんだよ。どうせ捨てるなら俺にお供えしてくれない? お供えされたものなら食えるんだ」
「は……?」
「どうぞ幽霊様お召し上がりください、って言ってくれるだけでいいからさ」
「いやそこじゃない。さっきも言っていたな、ブルーチーズとは何だ?」
「そっちかぁ。あれ、この世界にブルーチーズって無いんだっけ」
ミレーの頭の上に疑問符がいくつも浮かぶので、地縛霊は答えてやった。ミレーは話を聞くと「珍妙な」という顔をした。
「お前が生きていた時代には、わざわざ青カビの生えたチーズを好んで食ったのか?」
「時代っていうか……まぁね。皆が好きって言う訳ではなくて、珍味の類には違いなかったが、でも好きな人はある程度いたさ。ブランドがあったくらいだ。アンタのチーズが「ミレーのチーズ」って呼ばれるみたいに、ロックフォールとか、ゴルゴンゾーラとかって名前がついてた」
「ゴルゴン!」
この地域にはゴルゴンの伝説があった。恐ろしい蛇の魔物の伝説だ。
ミレーの前に突然現れ、全てのチーズに入ったおぞましい青の亀裂は、幼い頃に聞いたゴルゴンの蛇のように見えた。この一夜にして全てのチーズに青カビが生えるというのもゴルゴンの呪いのなのかも知れないとすら思った。
改めてミレーは倉庫中のチーズを見渡す。
「ゴルゴン……」
幼い頃聞いた伝説には、勇者が登場する。ゴルゴンを倒す不屈の勇者。この地域に生まれた人間なら誰もが憧れる。
今、ミレーはその頃の気持ちを思い出していた。この絶望にも屈する訳にはいかない。ピンチをチャンスに変えるのだ!
「お供えしてくれー」と圧をかけてくる地縛霊を振り仰ぐ。
「おい、地縛霊! これは食えるんだな! そして美味い!」
「え、まぁ、人によるけど。俺は超好き」
「……もう、それしかない!!」
ミレーは倉庫を飛び出した。草原を走りながら、久しぶりに若かりし頃のことを思い出していた。未来はチーズのように真っ白で、これから何でも出来ると思っていた。現状は全く逆で、ミレーは絶望の淵に立たされている。けれど気持ちだけは希望に満ち溢れている。
宿舎に辿り着くと、ちょうど牧童たちが起床し始めていた。突然に訪れた雇い主に起きている牧童は慌てふためき、まだ眠っている同僚を起こそうとする。
全員が起きている訳ではなかったが、起きるのを待てず、ミレーは牧童たちに向かって声を張り上げた。
「ミレーのチーズは今日から生まれ変わる! 名前を全く変え、これまでにないチーズを売ることにした!」
「な、何言ってんだ主さん」
「チーズの新たな名前は、ゴルゴンだ!」
牧童たちは目を白黒させるしかなかった。
その頃地縛霊は、誰もいなくなった倉庫でブルーチーズを指をくわえて見つめていた。
その後、ミレーのチーズ改めゴルゴンは、最初こそ大批判で迎えられたものの、徐々にその珍奇な味にファンが増えて行き、結果的にはミレーのチーズ以上の大成功を収めたようである。ミレーの牧場は益々大きくなっていき、今では押しも押されもせぬ大牧場だ。
ある時同業者に成功の秘訣を聞かれたミレーは「牧場に憑いていた地縛霊がヒントをくれたんだ」と語った。同業者は冗談だと一笑に付したのだけれどその帰り道、牧場の隅にある小さなお墓にブルーチーズがお供えされているのを見たそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます