素肌 ヨーロッパ ホットココア

「寒くないの?」

 アサコはレイの視線をたどって、自分の足を見下ろした。

「寒いに決まってるでしょ」

 バカにしたように言われるけれど、レイは腑に落ちない。寒いのならタイツでもストッキングでも履けばいいのに。校則で禁止されている訳でもない。

 手を伸ばして、スカートから覗く、太腿のたるむ肉を指で押す。その感触は確かに素肌。指が沈んでいく。

「ちょっと何すんの変態」

「冷たぁ」

「そこ、温度なんてある?」

「違うよ。アサコの態度が冷たい」

 アサコは思い切り顔をしかめて、手に持っていたホットココアの缶を振りかぶった。まだ開けてもいないホットココア、それで殴られたら洒落にならない。「ごめん!」謝ると、ホットココアはゆっくりと下ろされた。

「バカじゃないの?」

 ホットココアをレイの頭に載せて、アサコはレイの隣に腰かけた。香水でもつけているのか、ほんの一瞬だけ冷たい風に甘い匂いが混じったような気がした。

「期末はアサコより上だったけど」

「地理は私が勝ってた」

「いや地理だけって」

「というか、この場合のバカっていうのは、そういう成績のことじゃない。バーカ」

 ホットココアのプルタブに指をかけて、くいと持ち上げる。カパと間の抜けた音がする。

「……地理って言えばさぁ」

 思い切って切り出してみたものの言葉が続かない。隣から胡乱げに見つめられる。切り出し方を間違えた。大暴投だ。ホットココアを傾けて時間の猶予を作るけれど、挽回の方法は見つからない。

「その……ヨーロッパの国の首都を書けって奴、あったじゃん。あれ、一個分かんなくて。えぇと……」

「イギリス、ロンドン。スペイン、マドリード」

「ベルギー」

「ブリュッセル」

「あぁ……名前は聞いたことある」

「私もガイドブックで見たことあるくらいだけど、綺麗な街だよ。ヨーロッパって聞いてイメージする雰囲気をそのまま体現したみたいな街」

「へぇ」

 アサコの目は宙を見る。きっと目の前にある寂れた遊具や住宅ではなくて、ずっと遠く、ガイドブックで見たというブリュッセルの街並みがそこには浮かんでいるのだろう。名前を聞いたことがある程度のレイには、その光景は見えない。

「いつか行ってみたいな。街でいっぱい買い物して、おしゃれして色んな観光名所回って写真撮って。市庁舎がとても素敵だったから、一生の内に一度は絶対に行きたい。それに、それから……本場のチョコレートを食べてみたい」

「そっか、ベルギー、チョコレートが有名だったね。それくらいは知ってる」

 食い気味に相槌を打つ。奇跡的に話題が欲しい方へと転がって来た。

「本場のチョコって何が違うのかな。カカオ?」

「カカオ……ってそんなに違いある? 知らない。製法とか、お菓子の職人の技術とかじゃないの」

 本場のチョコレートと言う割に、違いについては興味がないのがアサコらしい。

「チョコレートが美味しければ、ココアも美味しいかなぁ」

「その自販機で買ったのよりは美味しいんじゃない」

「ふーん、いいねぇ」

 沈黙。あれ、とレイは首をかしげる。奇跡的に話題が転がり込んできたのに、全く上手く繋げられない。これでは、せっかく買ったあれを渡せないまま、今日が終わる。

 うぅんと密かに唸っていると、アサコが独り言のように呟いた。

「何か、チョコレート食べたくなっちゃった」

 何かすみませんね、という気持ちで答える。

「……と、いう訳で」

 ごそごそと鞄を漁って、小さな箱を取り出した。かわいらしいデザインだけれどそんなに高くはなくて、本場のチョコレートには遠く及ばないと思うけれど。

「じゃーん」

 アサコはくしゃりと笑みを作った。

「下手くそ!」

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