学舎の人気者[後編](2)

 呆気にとられるチークムーンに何か言葉を掛けなければと慌てふためくオーバーベルの姿に堪えきれずシャノンレールの笑い声が加わる。

「シャノ! やっぱアンタの仕業ね! 変な声出しちゃったじゃない! バカ!」

 ベンチの背もたれから顔を覗かせたシャノンレールの頭をバシバシ叩きながらチークムーンは顔を赤くし怒り始めた。

 その二人の姿に、オーバーベルの胸がチクリと痛んだ。少女は二人の関係性を羨ましいと思いつつも、自分には二人のような関係を誰かと築くことはできないのだと心のどこかで考えていた。二人の距離感はとても近く、互いの身体が接触することもいとわない。現にシャノンレールとチークムーンはじゃれ合うように互いを叩いている。それが、暴力でないことは一目瞭然で、単なるコミュニケーションの一環であることはオーバーベルにもすぐに分かった。だからこそ、羨ましかったのだ。

 これまで、オーバーベルにそうした接し方をした人間はいない。それは、自ら孤立し、馴れ合わない道を選んだ彼女に対する妥当な対応である。才能のある彼女がいつも一人でいることは、はたから見れば彼女自身がそれを望んでいるように見えるし、校内には様々な憶測が飛び交い、オーバーベルという偶像を作り上げていった。その結果が今のオーバーベルである。

 密かに羨望の眼差しで二人のやり取りを見ていたオーバーベルだが、いつの間にか俯きかけていた。少女にとって二人は眩し過ぎたのだ。

 だがその瞬間少女の肩にシャノンレールの手が触れた。

 チークムーンから逃れるようにオバーベルの背後に回ったシャノンレールはオーバーベルを盾にしたのだ。肩に手を当て差し出すようにオーバーベルを自分とチークムーンの間に置く。

 オーバーベルの身体は驚きで硬直していた。初めて触れた男の手のひらは思っていたよりも大きかった。なにより、他人に触れられるということに慣れない彼女はどうすればいいのかわからず固まっていたのだ。

「あー! 卑怯な男ね。オーバーベルさんを盾にするなんて最低だわ。私が手を出せないからってそういうことするんだ?」

 チークムーンの言葉に、オーバーベルは少し傷ついていた。彼女が自分には触れようとしないことが悲しかったのだ。

 だがその悲しみも、杞憂きゆうに終わる。

「なんてね!」

「「うぐッ」」

 下敷きになった二人の呻きが重なる。

 なんと、チークムーンは盾にされたオーバーベルごと抱きつくようにタックルし、二人を芝生に押し倒したのだ。そしてそのまま馬乗りになる。

「二人とも鍛錬が足りないんじゃない?」

「重い重い重い!」

「重いって失礼ね! 謝んなさいバカ!」

「痛い痛い! 叩くなバカ」

 騒ぐ上下の二人に挟まれたオーバーベルは放心状態だったが、やがて意識が一つの感情に収束していくのを感じ、理解した。今、この瞬間を、自分が楽しいと感じていることに。

 その途端、湧き上がる笑いを抑えることなく放つ。

 突然笑い始めた間に挟まれたオーバーベルに二人が今度は押し黙る。

 オーバーベルがやっと笑いを押し殺すとシャノンレールがそっと呟いた。

「いや、だから重いんですけど……」

そのぼやきに二人が笑いながら体を起こし立ち上がる。

「ごめんごめん」

「アンタが悪い」

 謝るオーバーベルに対しチークムーンは非を認めない。

 だが、寝転がるシャノンレールに優しく手を差し伸べていた。オーバーベルもそれに習い手を差し伸べる。

 シャノンレールは一瞬わずかに驚くが、すぐにニヤリと笑い、チークムーンではなくオーバーベルの手を取り起き上がった。

「ありがとう」

 感謝を告げたシャノンレールのつま先には、チークムーンの踵が落ち、痛みが少年の身体を駆け巡った。

「痛ッ!? お前……いやこれマジで……」

「バーカ。そういうところよ。さ、行きましょうこんな男放っておけばいいのよ」

 チークムーンに手を引かれ、オーバーベルは校舎へと向かう。涙目になりひざまずき、踏まれたつま先を押さえるシャノンレールは、心配そうに自分を見ているオーバーベルに何とか張り付けた笑顔で手を振った。


 校舎の中に入り、もうすぐ学科ごとに分かれる廊下に差し掛かるという頃にチークムーンはぼやいた。

「まったくあの男は……あ、そうだ。折角仲良くなったし今日一緒にお昼ご飯食べない?」

 握っていた手を放し振り向いたチークムーンが提案する。

「いや、私は……」

 二人きりになった途端、うまく会話ができなくなってしまう。本当は断る理由などありはしない。むしろありがたい提案である。だが、いつもの調子でオーバーベルは仲を深めるチャンスを逃してしまう。

「そっか……また声かけるね。あと、さっきタックルしちゃってごめんね」

 笑って謝る彼女の笑顔に、小さな子供のような無邪気さを感じた。

「いや、それは全然。むしろ、嬉しかったんだ」

「え?」

 思わぬ答えにチークムーンが驚く。

「あ、いや、なんでもない。じゃあ行くね」

 恥ずかしくて逃げるように別れを告げた。

 小走りの背中にチークムーンの弾んだ声が届く。

「またね! お姉さんによろしく!」

 その言葉に、姉のいないオーバーベルは疑問を抱きつつも、振り返ることができなかった。

 紅潮し熱を帯びた頬を、切る風がわずかに冷ました。

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