魔女の提案(3)

「さて、何から話そうか?」

 パスカルブランチが席に着くと、女は頬杖をついたまま話し始めた。

「あの……貴方は、いったい誰なんですか? もしかして、神様……なんですか?」

 パスカルブランチの見当違いな疑問に女の興が乗った。

「神様か……君は、この世界に神はいると思うかい?」

 女の問いの真意を量りかねるパスカルブランチは答えに詰まる。もしも目の前の女が自分が予想したように神だった場合、ここでの回答はこれから始まる対話に多大な影響を与えるかもしれないのだ。

「流石、その年で国王の側近にまで上り詰めるだけのことはあるといったところかな? だがそんなに慎重になる必要はない。これは私の単なる好奇心からくる質問に過ぎない。ちなみに私は神ではないよ。もっと悪い存在さ」

 不気味な笑みを貼り付ける女の言葉を信じ、パスカルブランチは答えを口にした。

「私は、神はいると思っていました。ですが、息子を失った今、私にはよくわかりません。仮に神がいたとするなら、私たちを見て見ぬ振りをするそいつは、神の皮を被った悪魔なのではないでしょか。こんなことが、ッく……こんなことが許されていいはずがないんだ!」

 穏やかだった口調は、先ほどまで抱いていた感情が蘇り荒くなる。

「悪魔か……残念ながら私にその答えはわからないんだ。私はまだ神とやらに会ったことがないからね。だが……君の息子が消された真相について、私は全てを知っているのさ」

 その言葉に、パスカルブランチは目を見開いた。そして口を開きかけたところで、女の言葉がそれを遮った。

「だが、話せるのはその黒幕とその人物が何をしようと考えているのかということだけだ。それに、ここから先は代価を頂く。高い高い代価をね」

 そう言葉を結ぶと、女は真顔で答えを待っている。

「私に払えるものであれば、なんでも払います。どうか、真実を教えてください」

 頭を下げたパスカルブランは、答えを聞いた女がニヤリと歯を見せたことを知らない。

「払えるかどうかは君次第だ。私の要求は単純だ。君の残りの寿命を半分頂く。こちらの都合なんだが命そのものが急遽必要になってしまってね。で、君はこの代価、払うかい?」

 迷う必要がなかった。パスカルブランチは躊躇いなく即答した。

「払います。妻には悪いが、私はどうしても真実が知りたい」

 その瞳には薄っすらと憎しみの色が滲む。

「よろしい。ちなみにもらった寿命は君の息子よりもずっと幼い少女に与える予定だ。彼女は明日にでも命を落としかねないような状態でね。こちらとしても助かったよ」

 それを聞きパスカルブランチは安堵した。その様子に女は疑問を抱く

「おや? その感情は理解できないな。君の息子が救われたわけでもないのに、君はなぜ安らかな感情を抱いているんだい?」

 その問いを聞いたパスカルブランチの表情は穏やかなものへと変化する。

「自分でもよくわかりません。ですがその少女が生き長らえてくれると思うと、救われたような気持になったんです」

 パスカルブランチは正直な気持ちを答えた。

「まったく、人間というものは面白い生き物だね。私にもいつかその感覚が理解できる日がくるだろうか? まぁ私の話は今はやめておこう。それより本題に移るとしようか。とその前に、約束通り君の命、分けてもらうよ」

 そういうと女はパチンと指を鳴らした。

 途端に、全身に強い衝撃が走る。気圧が100倍になったのかと錯覚するほどの圧がかかったような衝撃だった。一瞬で体が圧縮されるような感覚に驚愕や恐怖、さまざまな感情が溢れ思考回路がパンクしてしまう。自分の体がうまく操れず、呼吸がままならない。これほどまでの苦痛が伴うとは予想していなかったパスカルブランチは椅子の背もたれに体を預けた。額に流れる汗を拭い、目の前の女を睨む。 

「おやおや、かなり消耗してしまったようだね。そんなに恐い顔をしないでくれよ。とりあえず少し休むといい。冷めないうちに飲んでくれ、魔女の入れた紅茶だ。人間に振舞うのは君が初めてになる。是非とも感想を聞きたいものだね」

 ぼやける思考に意味不明な単語が飛び交い、パスカルブランチの脳はそれを処理することを放棄した。女が目の前に置いたティーカップを手に取り口をつけた。その瞬間、女の口角がゆっくりと上がる。その笑みが表現するのは、不気味さだけであった。


 静かな空間に陶器の割れる音が響く。

 パスカルブランチは手に持ったカップを床に落としていた。床には注がれていた液体が広がっていく。

「何を……した……」

 頭が割れるように痛む。何か自分の知らない記憶が流れ込んで来ている。その量に処理をする脳が悲鳴を上げる。

「気が変わったのさ。君には黒幕を消してもらえさえすれば良かったんだがね。どこの誰かも知らない少女が救われることを喜ぶ優しい君には、この事件の全貌を知ってもらうことにしたのさ。そのためにはまず、[レイリーの呪夜じゅや]の真実を知る必要がある。説明には骨が折れるからね。記憶を流し込んだのさ」

 そう言って女は床に零れた液体を指さした。

 目の前の景色が揺らぎ霞んでいく。薄れいく意識の中、パスカルブランチは呟く。

「悪魔め……」

 そして椅子から崩れ落ち床に倒れ伏してしまう。

 そんな彼に女は呟く。

「残念。私は魔女だよ」


[つづく]

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