魔女の提案(2)

 気づくと、真っ暗な場所にいた。いや、[居る]というわけではないようだ。意識だけがこの空間に存在しているような感覚だった。手足を動かそうと思うことはできても、動かす手足の感覚が無かった。声も出せず思考だけが宙に浮いているような奇妙な感覚に、とうとう頭がおかしくなってしまったのだと結論付けた。その瞬間、パスカルブランチは知らない女の笑い声を聞いた。

「ふふ♪ 君は正常だよ。安心したまえ。体がないのがそんなに不快かな? 思考さえできればいいと思っていたがそこまで違和感を感じるというなら出直すとしよう。そうだなあ、場所は君の息子の部屋を借りるとしようか。今夜、日付が変わってから息子の部屋へ来なさい。そこで、君の息子が死ななければならなかった真相を教えてあげよう」

 パスカルブランチは謎の女の言葉を素直に受け取った。混乱していた意識が一瞬で冷静さを取り戻したのだ。

 彼にとっては今、女が誰なのか、自分がなぜこんなことになっているのかなどどうでもよかったのである。必要な情報を謎の女は知っていて、それを自分に与えると言った。それ以外に彼が今望むものなどこの世界に存在しない。だからこそ、彼の中に疑うという選択肢は存在しなかった。


 その思考過程に、魔女は喜ぶ。

「君みたいに欲望に従順な姿は見ていて気持ちがいいよ。長い話になるだろう。そうだな、特別に美味しい紅茶でも用意して待つとしようか。ひとまず今は君の奥さんのところに戻るといい。数分で彼女は泣き疲れて眠ってしまうからベッドまで運んであげるといいさ。君と同じく昨夜は一睡もできなかったみたいだしゆっくり休ませてあげなさい。君は時間になったら茶菓子を持て私のところへ来るんだよ。では、一度お帰り」

 パチンという指を鳴らしたような音が聞こえたかと思うと、いつの間にか隣で泣き叫んでいた妻は、自分にもたれかかり眠っていた。

 濡れた目元を指で優しく拭い、抱きかかえ寝室のベッドへ運ぶ。告げられた通りの展開に呆気あっけにとられながらも少しづつ期待が湧き上がっていた。

 

 日付が変わりパスカルブランチは二階へと向かう。先刻命を奪われた息子の部屋の前でいくつもの感情を抱えたまま扉を引いた。

 部屋から溢れる光に目を細め、その光の中へ飛び込んだ。



 真っ白な部屋には窓も壁も見当たらない。その中央と思われる場所に木製の丸いテーブルと椅子が二つ。テーブルの上にはソーサーに乗ったティーカップが二つ。そこで、自分が要求されていた茶菓子を忘れてしまったことに気付き背後のドアへと踵を返そうとした時、突如視界の端に黒い影が現れた。

「待て待て、茶菓子を持って来いとは言ったが忘れたなら忘れたで構わないさ。その扉をこちらからくぐるともうここには来れなくなるんだ」

 声の方を振り向くと、どこから現れたのか真っ黒な服に身を包む女は、ティーポットを持ってテーブルの方へと歩きながら状況を説明していた。

「私の紅茶は美味しいと評判なんだ。茶菓子がなくとも問題ないくらいにね」

 女は椅子に座り紅茶を注ぎながら楽しそうに話す。注ぎ終わるとパスカルブランチへ向け言葉を投げた。

「さぁ、先ほどの続きを始めようか。パスカルブランチ」

 不敵に笑う美しい女の笑顔に対し、パスカルブランチは僅かな緊張を抱いていた。強張る指先がピクリと一度動き、自分が行動を起こさなければ事が進まないのだと理解する。そして、一歩また一歩と頬杖をつきこちらを見つめる女の座るテーブルへと歩みを進めた


 その姿を確認すると、女は再び僅かに微笑んだ。


[つづく]

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