色褪せた旅立ち(4)

 チークムーンはこれまで自分が経験してきたことを語り終える。その間、魔女が言葉を挟むことはなかった。時折感情の波に抗えず、言葉を詰まらせるチークムーンに対し、魔女は話の腰を折ることなくただひたすらに少女の言葉を待っていた。その姿は、大切な話をする母と娘のような穏やかな雰囲気であった。

 様々な感情の変化を見届けた魔女が、広がり始めた沈黙をそっと破る。その声音はとても柔らかく温もりを帯びていた。だからこそ、チークムーンは言葉の真意を理解できなかった。

「すまなかったね」

 魔女の謝罪が宙に浮きふわふわと漂うように、間の抜けた空気が満ちていく。

「えっと……」

 チークムーンに選択肢はなく、戸惑いを表すことしかできない。

「気にしないでくれ、というのは無理な話か。しかしどうしたものか……。今の私には謝ることしかできない。その代わりといっては何だが、君を贔屓ひいきしよう。いや、これは私のわがままに近いか」

 チークムーンは何一つ理解できていないまま、魔女の語りは尚も続いた。

「私は君を気に入ったのさ。喜ぶといい。君の旅立ちの条件。トラウマ克服の手伝いをしようじゃないか」

 思わぬ提案に本日何度目になるか、思考を放棄し目の前の朗報に飛びついた。

「本当ですか!?」

 その年相応の態度に魔女は心底嬉しそうにチークムーンの頭を撫でた。

「ああ本当さ。しかし、君は本当にかわいいやつだな。どうだろう、私の娘になるというのは?」

 再び思わぬ提案が飛び出しチークムーンはそれが何を意味するのか思案する。もちろん考えたところでわかるはずもない。

「あの、それは弟子ってことですか?」

 魔女は不敵な笑みを浮かべ答えた。

「そうじゃない。文字通りの意味さ」

 チークムーンは魔女の真意を理解することができなかった。しかしそれが手放しで喜ぶべき提案ではないことを本能で理解した。

「私には優しい父と母、それに兄がいます。大切な家族を手放すことはできません。申し訳ありませんが貴方の、魔女様の娘にはなれません」

 力強く答えたチークムーンの瞳には強い意志が灯っていた。

「そうか。でも私はもっと君が欲しくなってしまったよ。先ほど君に会うことはもうないと言ったが、訂正しよう。そして約束しよう。君と再び会うことを」

 そう言って魔女は優しく微笑んだ。

「あ、ありがとうございます」

 チークムーンはどう反応すれば良いかわからず感謝を告げた。そのことが魔女には特別面白かったようで、クスクスと笑い終えるとじっと彼女を見つめる。

「君は、基本的に自分には善意が向けられていると思っているようだが、その考えは捨てるべきだ。君は明日旅立つ。その先に待つのはたくさんの善と悪だ。そのことを今一度よく考えるといい。今日だけは君の味方だと言ってしまったからね。簡単な例を出して説明するとすれば、私は魔女で君を欲しいと思っている。だから再会を約束したんだ。他人の善意を鵜呑みにしてはいけないのさ。相手を疑えとまでは言わないが相手の意図を推し量ることを忘れてはいけないよ」

 チークムーンは魔女の言葉を咀嚼し自分の中に落とし込んだ。

「わかりました」

「よろしい。では、トラウマの克服に移ろうか」

 魔女の言葉を聞きチークムーンは身構える。

「そんなにおびえなくていい。君のトラウマの元凶である色を取り除くだけだ。ただし、赤だけとはいかないよ。全てをいただくのさ。君の世界はモノクロになるというわけだ」

 意地悪に笑った魔女にチークムーンは答えた。

「わかりました。お願いします」

 素直に受け止めたチークムーンに魔女はもう驚きはしなかった。

「君は本当に面白い子だ。強くなって私のところへ戻ってくるといい。さぁ目を閉じるんだ。そのまま深呼吸をして心を落ち着かせなさい」

 チークムーンが数回深呼吸を済ませた後、魔女はパチンと指を鳴らした。あの忌々いまいましい少年と同じように。そして唱えるように囁くように言葉をつむいだ。

「ゆっくりと目をあけて新しい世界を受け入れなさい」

 

 

 開いた瞳に映る世界からは、きれいに色が剥がれ落ちていた。といっても、この空間で確認できる色は少ない。魔女の肌と唇だけが先ほどまでと違い違和感を付帯している。その色褪せた景色がすべてを物語っていた。

「すごい……」

 初めて見る景色にチークムーンは感嘆かんたんをこぼす。

「第一声がそれとは思わなかったよ。それはそれとして、一つ話しておかなければならないことがあるんだ。たくさんの助言を送った後で申し訳ないんだが、ここでの記憶を改竄かいざんさせてもらわなければならなくなってしまったことを一応説明しておくよ」

「え?」

 魔女の言葉の意味が分からず疑問が口から転がり落ちた。

「私と会うにはいくつかの条件があるんだ。方法と言ってもいい。本来魔女と人間は出会うことがないのさ。ことわりから外れた私は自らの意思で人間と接触しているがね。つまりはこちらからの一方通行なのさ。だけど今回みたいなイレギュラーも起こり得る。それは本来揃うはずのない条件が揃った場合にのみ、強い感情がカギとなり起こり得る現象なんだ。ちなみにそのカギは一度使うと替えが利かなくてね。しかも再会ともなればその感情の対象を私にしなければいけないという条件にしてしまったのさ。まあそうしたのは私なんだけどね」

 最後は自嘲気味に言葉を結んだ魔女にチークムーンは問う。

「私が抱いていた感情って、なんですか?」

 彼女にはいくつかの心当たりがあった。

「憎悪。誰に対してかは言うまでもないね。つまり私と再び会うには、それと同様の感情を同様の強さで私に抱く必要があるのさ」

 チークムーンは魔女の言葉をゆっくりと理解していく。

「まぁ細かい説明はできないが、現実に戻って目が覚めると君は私を強く憎んでいるということさ」

 魔女は飄々ひょうひょうと付け加えた。

「そんな……感謝してもしきれないのに貴方を憎むなんて……」

 悲痛な抗議もむなしく魔女は再び指を鳴らす。乾いた音が真っ白な空間にさみし気に響いた。

「時間だ、チークムーン。名残惜しいが再び会う日を心から待っているよ。君の旅に幸多からんことを」

 待って! そう叫んだはずなのに。真っ白な空間に声は響くことなく、体が勝手に魔女に背を向け元来た扉へ歩き始める。意識ははっきりしているのに、もう一つの意識が自分の中に存在しており、その意識に支配されているような感覚だった。


 別れの言葉も残せずにチークムーンは現実へと押し戻されていった。


 その背中を見つめる魔女は、わずかな寂寥感せきりょうかんを滲ませた。彼女の姿が見えなくなる最後の瞬間まで柔らかなまなざしを注ぐ。

「またね、チーク」

 閉まる扉へ向け魔女は別れと再会の願いを込めて言葉を送った。

 

[つづく]

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