色褪せた旅立ち(3)

 先に口火を切ったのは、意外にも始まりの魔女と名乗った女の方であった。

「聞き逃してしまったのかな? しかたのない子だ。もう一度言うよ、私は」

「いや、聞こえてますから」

 チークムーンは思考の邪魔をする女の言葉を遮った。そこには、言葉を放った本人すら気付かぬ程のわずかな苛立ちが混じっていた。そのことに魔女は楽しげに鼻を鳴らす。

「ふふ♪ 今夜は楽しい席になりそうで何よりだ」

 その言葉の意味を図りかねるチークムーンは、まとまらない思考と女の言う「始まりの魔女」という言葉について考えることを止めた。そして、目の前の魔女との対話を密かに選択した。

 悠然ゆうぜんとソファーに座る目の前の女を睨み、チークムーンは問いかける。

「まだ私は貴方と話し合うなんて言ってないわ。扉の先には現実があるんでしょ?」

 完全に主導権を握られたまま席につくのは得策ではないと考えたチークムーンは探りをいれる。背後の扉に話題を移し、自分がまだ魔女の隣の空席に座る意思がないのだとアピールした。

「はあ、まったく……君の言うようにその先には君の家の玄関が広がっている。だけど君は帰りはしない。君は私の隣に座るさ。確かに君はまだ言葉にしてはいないけど、この空間で私に心理戦を挑むことこそ得策ではないよ。時間は有限だ。さぁ掛けなさい」

 思考や記憶を読み取られているのだと理解したチークムーンは指示に応じた。魔女の真意を推し量ることはできないが、害意がないということだけは理解したのだ。


 隣に座った少女に満足そうな笑みを浮かべ魔女は優しく諭すように語り掛ける。

「頭のいい子は好きだよ。でも一つだけアドバイスしておくとすると、害意がないというのは今この瞬間に限ったことだと付け加えておくよ。まあそもそも君と再び会うことはないと思うけどね」

 謎が謎を呼ぶ彼女の言葉に頭痛を覚えたチークムーンは再び思考を放棄した。

「それで、魔女さんは私に何の用ですか?」

 チークムーンの言葉に魔女は少し驚いたような表情を浮かべ、そして声を上げ笑い始めた。理解が追い付かないチークムーンは魔女の説明を待つ他なかった。

 なんとか笑いを押し殺し魔女は答える。

「ふぅ……いやぁ本当に君は面白い子だ。用があるのは君の方だろう? チークムーン」

 魔女の美しい顔に意地悪な笑みが浮かび、弛緩しかんしていた空気が一瞬でひりつき冷え切った。名前を呼ばれたチークムーンの背筋に冷や汗が線を引く。チークムーンはそこでやっと目の前の女が人間ではない恐ろしい存在なのだと理解した。

「あ、あの……」

 途端に声が震え、思考が恐怖で満ちていく。喉を通り抜けた言葉は音にならず霧散していく。目を合わすこともできず力なく俯く自分に嫌気がさし、魔女の隣に座ったことを強く後悔した。涙の気配に目頭が熱を覚えた時、魔女に顎を引かれ、無理矢理に二人の視線が交わった。

 チークムーンに触れた魔女の手は温かく、その所作は母親が子供をいつくしむようにやさしく柔らかなものだった。

「何があったか。どうしたいのか。話してごらん。今日だけは、私は君の味方だ」

 優しく微笑む魔女は、とてもとても美しかった。

 瞬間、心に広がる恐怖は取り除かれた。

「ありがとう魔女さん」

 チークムーンは感謝を告げゆっくりと語り始めた。


[つづく]

 

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