約束を忘れ、少女は旅立つ
朝日も顔を見せぬ早朝。静けさが闇に溶けた森に木々のざわめきが微かに響く。冷えた空気が澄んでいるこの時間帯が、ロートメルトは好きだった。この付近の森は近頃何故か早朝にのみ薄い霧がかかる。そのことを知っているのはロートメルトだけかもしれない。
記憶をなくして以来様々なことがあったが、ある時期からこの時間帯に散歩をすることが日課となっていた。
まだ家族の誰も起きていない家は静まり返っている。真っ暗な家に少しずつ生活感を灯していく。
いつものように顔を洗い着替えて玄関に向かうと、ドアの前に妹のチークムーンが倒れていた。兄は慌てて妹に駆け寄った。
「おい、チーク大丈夫かい?」
抱き上げ揺さぶるとその目がゆっくりと開く。一瞬、その目に驚きが浮かび瞳が弱々しく揺れた。しかし次の瞬間には、強い意志を宿していた。
「兄さん……そうか、夢じゃなかったんだ。始まりの魔女……それにリグレット=ウォックス……」
「魔女? リグレット? 何を言っているんだい? 気分が悪いなら後で医者に診てもらうかい?」
心配そうに兄は問う。
「大丈夫よ兄さん。うん、これで全て大丈夫。必ず私が兄さんの記憶を取り戻すわ。それに私の……何でもない。とにかく準備しないと」
強い決意を瞳に映す妹に兄は目を伏せ力なく答える。
「そ、そうか。チーク、僕は別にもう記憶についてはどうだっていいんだよ。君が危険な目にあうことを僕は望まないんだ。旅はその、もう諦めてもいいんじゃないか? 君がトラウマと向き合い心がすり減っていくところは見ているだけでも辛いんだ」
兄は妹に旅立ちを諦めてほしかったのだ。自身が傷だらけになっても必死にトラウマを克服しようとする姿は見ていられなかった。それが自分の為であると父に教えてもらった日から目を背け続けてきたのだ。今日までそのことを妹に話したことはなかった。それでも、今言わなければ、自分が止めなければいけないと思ったのだ。
しかし、妹からは思いもよらない言葉が返ってくる。
「もう私は退けないわ。あんなに馬鹿にされて……それに頼んでもないのに旅立ちのお膳立てまで……ここで行かなきゃ何のために私は色を失ったっていうのよ。ご丁寧に名前まで……こんな屈辱ないわ。魔女の最初で最後の弟子リグレット=ウォックス……絶対に許さない。それにあの魔女も」
その瞳の奥底には復讐の炎が燃え上がっていた。
兄は掛けるべき言葉を失い、不快な沈黙がゆっくりと広がっていった。
その日、チークムーンは両親から提示された条件を全て満たし、故郷であるレグルスポストを旅立った。
元凶である赤髪の凶悪な少年リグレット=ウォックスを探すため。そして、魔女から【奪われた色】を取り戻すために。
[第1章 完]
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