遠ざかる旅立ち(2)

 泣き虫だった少女は、歳を重ね16歳になっていた。

 わずかに茶掛かる髪はその一部だけ長く伸びている。片側だけ胸元まで伸びた前髪は毛先にわずかなうねりを帯びる。

 肩の辺りで切り揃えられた髪は、つやがあり瑞瑞みずみずしく、反射する陽光が世界に鮮やかな彩りを加えているのではないかと錯覚しそうになる。

 チークムーンは魔法使いとしての道を歩み始めていた。


 通った学校で一通りの魔法についての知識を身につけたチークムーンは、卒業と同時に家を出る予定だった。しかし、それについては両親からの許可が出ることはなかった。代わりに差し出されたのは3つの条件だった。


①一緒に旅をする仲間を見つけること。ただし女性に限る

②2つの属性で上級魔法を習得すること

③トラウマを克服すること


 以上3つの条件を両親はチークムーンに提示した。



 チークムーンは焦っていた。

 あの事件から既に6年が経過している。名も知らぬ例の少年が今どこにいるのか、生きているのかすら何の手掛かりもない状況だ。旅立ちの目的であるところの人探しは困難を極めることは明白だろう。時間が経つほどその難易度は跳ね上がるはずなのに、自身の出発だけが先送りになっていた。トラウマ克服については焦りが先立ち結果がついてこない日々が過ぎていく。

 兄のロートメルトは記憶障害は残るものの普通の生活を送れるようになっていた。事件以前の記憶が一切なく、失くした記憶についての執着もない。それ故に妹が家を出たがることについて理解できない様子だ。家族は兄に事件のことを話してはいなかった。医師の判断で、兄に対しては事件にかかわる話は遠ざけるように言われていたのだ。

 事件を知る両親はチークムーンがなぜ家を出たがるのか、その先にどんな危険が待つのかをよく理解していた。娘を送り出すには、幼い二人の兄妹が背負った傷はあまりに大きく深すぎたのだ。

 その結果が3つの条件だ。

 ①と②についてはクリアするのに時間はかからなかった。

 誰にも言わずに隠していたが学校に通っている段階で得意な水系統の上級魔法をいくつか既に習得していたのだ。感覚的なものがわかっている分2属性目の習得に時間はかからなかった。


 問題はトラウマの克服だった。

 チークムーンの抱えたトラウマ。それは【血】に対する絶対的な拒絶である。それはもはや恐怖の域を超え、体が、意識が、拒絶反応を示すのだ。有り体に言えば気絶してしまうのである。

 幼いころは過敏で、視覚・聴覚・嗅覚で血を拒んでいた。血というよりも、あの凄惨せいさんな吐き気を催す情景を想起させるものを心と体が拒んでいた。

 初めてそのことに気付いたのは母の何気ない気まぐれが原因だった。ある日、チークムーンは突然の発狂に加え過呼吸を起こした。その引き金となったのは母が指で鳴らしたパチンという音だった――。




 経験からトラウマの引き金は大きく4つだと理解していた。フィンガースナップ・血や鉄臭い匂い・大量の血または大量の赤い液体・深くえぐれた傷口。

 成長とともに聴覚と嗅覚は少しずつ耐性をつけ、堪えることができるようになっていた。それでも、どうしても大量の血を見るとあの日の惨劇が鮮明に脳裏に浮かびあがり結果として気を失ってしまうのだ。

 コップに注がれたトマトジュースを、チークムーンは血としか思えない。酷く擦りむいた傷口は、あの日目の当たりにした血のしたたる肉塊の残る頭蓋ずがい彷彿ほうふつとさせる。チークムーンは今もなお、赤いものを見ているだけで怖気おぞけを震い、吐き気を催してしまうのである。


 条件が提示されて1年が経とうとしていた。

 チークムーンは未だにトラウマを乗り越えることができていない。そのきっかけすらも見つけられないまま、旅立ちを諦めかけていた。


 そんなチークムーンの願いに応じるように、運命が、未来が、捻じ曲がっていく。




 それは、【彼女】の気まぐれだった。


[つづく]

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