兄妹の絆(2)

 少年の言葉は悪意に満ちていた。その言葉よりも少女を捉えた闇よりも黒い瞳からはおぞましい悪意が溢れ、その冷ややかな嘲笑ちょうしょうに少女の背筋はこおり付いた。少年が口にしたプレゼントは、どうやら自分に届くのだと彼女は悟った。その瞬間、チークムーンは安堵した。兄を救うことができたと。

 しかしその安堵は次の瞬間、狭い路地に響くパチンという乾いた音と共に跡形もなく砕け散った。


「——ッひ!?」

 少年が指を弾いた途端、妹の短い吐息のような声が聞こえ振り向くと、チークムーンは目を見開き自分を見ていた。その様子は異常でひきつる顔には恐怖だけが張り付いている。そして次の瞬間、チークムーンは目を閉じ地面に倒れ伏していた。

「チーク! おい! どうしたんだよ!?」

 無事な右手で抱き上げ呼びかけるが反応はない。その瞳からは頬に滲む血が溶け出す赤い涙が流れる。

「おい! 妹に何をした?」

 必死ににらみつけることしかできない自分が情けないと思いつつも、そうせずにはいられなかった。

「別に殺しちゃいないさ。言ったろ? プレゼントを贈ったのさ、お前のかわいいかわいい妹ちゃんにね。クク、こりゃ傑作だぜ。目が覚めた時のそいつの反応が楽しみだな。面白いもんも見れたし今回はこれで勘弁してやるよ。目が覚めたら妹にちゃんと悪いことしたら謝らないとダメだって教えとけよお兄ちゃん」

 クツクツと笑う少年が兄に投げた言葉は、全く説明になっていない。

 人を馬鹿にした台詞と態度に妹を傷つけられた兄の怒りは頂点に達する。それでも、兄は冷静に殺意を募らせた。再び噛みついたところで自分では少年に敵わないことはわかりきっていた。それよりも下手に少年を刺激して妹の命が危険に晒される可能性が高い。死ぬほど悔しいが、手を引いてくれるならここは黙ってやり過ごすのが正解のはずだ。

 名も知らぬ少年の特徴をこの目に焼き付ける。再び出会うその時の為に。

 ロートメルトは溢れ湧き上がる殺意を必死に飲み下した。そして、腕の中の妹に微かな呼吸があることを確認し、一度強く抱きしめた。


 周囲にはロートメルトの叫び声を聞き付けた町の人たちが集まり始めていた。血だらけの兄妹に驚く者、ひそひそと話す者、医者を呼びに走る者、狭い路地があっという間に人で飽和する。

 兄は妹をこんな状態にした存在に対し、ただただ怒りを抱くことしかできなかった。それでも、人だかりで見えなくなった小さな背中の方を睨みつけた。その瞬間、脳に直接声が響いた。

「おいおい欲しがりさんだな。そんなんじゃ長生きできないぜ? そんなに死に急ぐなよぉお兄ちゃん。ククク、まったくバカは見ていて飽きないな。お前には別のプレゼントをやるよ。ん……なんだそんなに僕の名前が知りたかったのか?」

 再び別の意識が自分の中に介入してきた。頭の中に響く声音からそれがあの少年のものであることは疑いようがなかった。不快な言葉が次々に羅列されていく。それを兄は、ただ黙って聞くことしかできなかった。

「僕の名前はリグレット=ウォックス。まぁ目覚めたときお前は忘れてるんだけどね。何もかもを。ククク」

 独特な笑い声が脳こびりつく。そして、パチンと乾いた指を弾く音が脳に響いた。

 反響するその音に兄の意識が、記憶が、がれ落ち始めた。


「チーク……」


 気絶する直前、弱々しく零れ落ちた大切な妹の名すらも、兄の中に残ることはない。


[つづく]

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