第69話 転移の後
「助かった、ありがとうセラス」
俺は天井に空いた穴からセラスに吊り下げられたまま、彼女に礼を言った。
足元ではすでに転移の光が消え、その残滓で石畳の切れ目が揺らいで見える程度になっている。状況が安定するまで、あと少しというところか。
そしてアポリオンの姿はすでに見当たらない。
おそらくは転送先でドロドロになっているはずだ。あんな場所に落ちていたら、俺もどうなっていたか分からない。
ひょっとしたら、ミュトスがどうにかしてくれたかもしれないが、あえて落ちようとは思わなかった。
「床を斬り抜いたのはシノーラの仕業だよね。一体何があったの?」
「あー、いや、いろいろとさ。それよりそっちに兵士が一人行かなかったか?」
「そう言えば一人見掛けたな。血相を変えて外に飛び出していったぞ」
「そっか。じゃあ増援の危険に備えないとな」
どうやら逃げた男は、セラスたちを見付けても相手にせず、一目散に逃げることを選択したらしい。
確かにセラスを倒しておくのは悪い手ではないだろうが、彼女もただやられるほど弱くはない。
一目見てその実力を見抜いたのかどうか分からないが、自身の生存を最優先に選択したのは、なかなかできる判断じゃないだろう。
あの男、普通の兵士……いや、騎士とは少し違う雰囲気だったが、戦いにおけるスタンスも一風変わっているらしい。
「ああいう男がむしろ厄介だったりするんだよなぁ」
俺から逃げたことが命冥加だったか、それとも引き際を弁えてるのか……いまいちよく分からない男だったが、俺という危険から逃げ切り、生き延びたのは事実だ。
それに邪神の眷属を復活させるという役目も果たしている。
奴が地上に放たれていたら、さっきほど簡単には倒せなかったはずだ。
地下であり、生き埋めの危険が常に付きまとう状況。その枷があったからこそ、俺もまともに相手ができていた。
もし地上に出ていて、魔法ありの状況になっていたらと思うと、ぞっとする。
「いいタイミングだったぞ、セラス。思わず惚れそうになったくらいだ」
「ほ、惚れ!?」
「うわぁ、放すな! 落ちる!?」
俺の軽口に敏感に反応し、思わず手を離しそうになるセラス。
おかげで俺の身体が数センチずり落ち、ちょっと漏らしそうになってしまった。
転移の光は消えているが、いまだに床付近の光景は揺らいで見える。もし魔法がまだ起動したままなのだったら、いくら俺でも死んでしまう。
俺は反射的にセラスの腕に抱き着き、落とされまいとしがみつく。
いささか格好の悪い体勢だけど、こればっかりは仕方ない。
「し、シノーラが変なことを言うからだぞ」
「悪かった、もう軽口は叩かないから」
「いや、言うのは良いんだ。もっと場所とか雰囲気を選んでくれれば」
「そんなことより早く引き上げてくれ。生きた心地がしないんだ」
「そんなことって……」
俺の言葉になぜか憮然とした表情になるセラスだが、さすがに下の様子が尋常ではないと悟ったのか、大人しく引き上げてくれた。
地下一階の床に降り立った俺は、ようやく人心地つき、床にへたり込んでしまう。
よく見ると、セラスの背後には完全武装した傭兵たちの姿も見てとれた。
「シノーラ君だったね。無事だったか」
「いや、無事とは言い難いですけどね」
紳士風の傭兵ギルドの代表者が進み出て、俺に声をかけてくれた。
どうやら彼は、本当に俺を心配してくれたらしい。
「兵士たちがこの先で、邪神の眷属とやらを解放しようとしてたんですよ」
「やはりか……」
俺の言葉に彼は顎に手を当て、考え込む。
「シノーラ君。実はこの先の転送魔法の試作魔法陣は、その邪神アバドンの力を利用したものだったんだ」
「そうだったんですか?」
俺は惚けた答えを返してみせたが、その言葉は想定できていた。
元々、転移魔法というのは人の手に余る魔法だ。それを利用するには、人を越えた力が必要になる。
そこで封印されていた邪神の力を利用しようと考える者が出るのは、当然の流れだろう。
実際アポリオンを封印していた魔法陣と、転送魔法の魔法陣はいろんな術式で連結されていた。
「だから連中がその眷属を解放しようとしたのなら、どうしてもここで食い止めねばならない」
「地上が大変なことになりそうですしね。復活しちゃってましたけど」
「なにっ!? それで、その眷属はどうなったんだ?」
「……転移魔法で飛ばしちゃいました」
実際に転移魔法でどっかに飛ばしたのは事実だが、魔力をわざと不足気味に起動していたので、生きてはいないはずだ。
「なん、だと!?」
「奴も生きていますからね。転移魔法で飛ばされたら、ただじゃ済まないでしょう」
「いや、しかし! そういうことも……あり得るのか?」
「僕に聞かれましても。そもそもこの人数じゃ、食い止めるなんて不可能でしょうし」
「そうかもしれないが――」
「それに奴が無事なら、どこかで騒動が起きるでしょう? その時に体勢を立て直して事に当たった方が、まだ被害は少ないかもしれません」
「う、ぬ……」
「上手く行ってれば、奴は今頃ゼリー状の『何か』になってるはずですし、とりあえず切り抜けたと考えておきましょうよ」
立て板に水とばかりに、俺は屁理屈を並べ立てる。
実際傭兵たちも、玉砕覚悟で来ていただけに、戦わずに済んだことに安堵の表情を浮かべていた。
アポリオンが転送された以上は身体を再構築する魔力が不足しているので、ドロドロの末路しか存在しない。
「確かに……君の言う通りかもしれん。ここで我々が玉砕しても、奴が地上に出るのは止められなかっただろう」
「でしょ、でしょ?」
「ならば転移魔法にすべてを託し、奴を飛ばすというのは最適だったのだろう」
「ですよねー」
「それを一人で行ってくれたことは、感謝せねばならないだろうな」
「僕、頑張りましたよ」
「そうだね。この礼は必ず」
俺の調子の良い言葉に、彼はまじめに返してくれる。
さすがに少し悪い気がしてきたので、さすがに礼は辞退しておいた。
「お礼は良いです。ですけど、代わりにエリンさんに協力してください」
「エリン?」
「商業ギルドの偉いさんです。今領主のリチャードさんと一緒に行動して、叛乱に対処しています」
「そうだったのか。分かった、ぜひ協力させてもらおう」
俺の言葉に快く了承を示し、こちらに握手を求めてきた。
「私は傭兵ギルドの長をしているネルソンという者だ。以降もよろしく頼む」
「俺はシノーラです、そっちのはセラス」
「ああ。彼女については、すでに。兵士とも戦っているところを見せてもらったが、いい腕だ」
「そうでしょうとも」
おそらくは、彼らを装備の元まで連れていく途中で数人と戦闘になったのだろう。
その際にセラスの腕前を目にしたと思われる。
「セラス、地上の兵士たちはどうなった?」
「先に逃げた男が撤退って言っていたから、もういないんじゃないかな? 後を追ってくる気配も無いし」
「ホントに逃げ足の速いというか……引き際の良い奴だな」
「シノーラは戦ったのか?」
「あれを戦ったと言えるのかねぇ?」
不意を突いて斬りかかったが、それ以降は逃げの一手だった相手だ。
仕留めるのが難しい分、厄介な相手ではある。
「反乱を鎮圧するなら、後はどこを押さえればいいんですかね?」
「抑えられている施設は商業ギルドと、兵舎、後は町の門だな」
「そこはお任せできますか?」
「ああ、大丈夫だろう。ここには十人程度の傭兵しかいなかったが、兵舎を解放できれば、後は雪だるま式にこちらの戦力は増えていく」
「住人で兵舎を解放できます?」
「それも大丈夫なはずだ。この町の兵士はなかなかに鍛えられているからね。内外で呼応できれば、倒せなくはないよ」
「よかった」
どうやら、後はエリンとリチャード、ネルソンに任せておけば、この町は平穏を取り戻せそうだ。
俺の仕事はここまでということになるだろう。
「それじゃ、エリンさんの場所まで案内します」
「よろしくたのむ」
重々しく頷くネルソンを先導して、俺たちは地上へと上がる。
といっても、地下へは床に穴を開けて降りてきたので、途中はロープでよじ登る羽目になってしまった。
今度からは帰りのことも考えておく必要があるだろうと、反省したのだった。
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