第58話 壁でもいつも通り

 一階からが無理なら、二階や屋根から侵入すればいい。

 とはいえ、商業ギルドはどの町でも重要な施設だ。規模もそれなりに大きい。

 この町の商業ギルドも、他の家屋から比べると、頭一つ抜けて大きかった。


「周辺には馬車の停留所もあるから、隣の屋根から飛び移るってのはできないな」

「敷地内に侵入しないといけないのは、屋敷と同じですね」

「見張りもうろついてるし、どうしたものか」


 俺一人なら、それも大した障害にはならないだろう。

 しかし、ミュトスにそんな隠密行動ができるとは、到底思えなかった。


「ミュトスは隠密行動とか無理だよな。ここで留守番を――」

「え、大丈夫ですけど?」

「ハ?」

「隠密行動ですよね? 姿を消す魔法があるので、それを使えば平気ですよ」

「そんな魔法があるのか!」


 いや待て。そんな魔法があるなら、それをかけてもらえれば、侵入なんて容易いじゃないか。

 そもそも、姿が消せるなら、俺は何のためにあのかくれんぼみたいな特訓を、延々と繰り返したのか?


「あー、この魔法、自分にしかかけられませんので」

「なんだ、そうなのか」

「そうなんですよー、残念ですねー」


 そう言いつつもなぜか俺から視線をずらすミュトス。

 少しばかりアヤシイ挙動ではあるが、これから敵の巣窟に忍び込もうというのだから、緊張もするだろう。


 ともあれここで、長々と観察しているわけにも行かない。

 今回の目的は、敵の排除、もしくは内部に侵入して資金を確保すること。

 正直商業ギルドの金庫に手を付けるというのは、いかにエリンの許可があるとはいえ、後が怖い行為だ。

 だからこそ、サッと済ませてエリンにすべて放り投げたい。


「それじゃ行くぞ」

「はいはぁい」


 軽い返事と共に、ミュトスは姿隠しコンシールの魔法を使用する。

 すると目の前にいたはずのミュトスの姿が、瞬く間に消え失せる。


「おおっ、本当に消えるんだな?」

「周囲の光を偏向させて、背後の光景を前面に展開するという魔法なのです」

「あれ、でも俺、エルヴィラからこの魔法習ってないぞ?」

『こんな魔法をお前の教えたら、ノゾキに使うに決まっているだろう?』


 突如脳内に聞こえてきたエルヴィラの声に、俺はビクリと硬直した。

 前にミュトスの声が聞こえたことはあったが、ひょっとして俺の行動って神々に筒抜けなのだろうか?


「なぁ、俺って神様たちから監視されてる?」

「まぁ、普通の人よりは注目されていると思いますよ」


 目の前の空間から聞こえてきたミュトスの声に、俺はがっくりと項垂れる。

 しかしこれも、ミュトスと関わってしまったのだから、致し方の無いことかもしれない。

 ともあれ、今は目の前の問題の解決に専念しよう。


 敷地内を兵士が巡回しているが、その程度の警戒など、ミュトスの特訓による隠密を習得した俺の敵ではない。

 死角をすり抜け、こともなく商業ギルドの家屋に取り付くことができた。

 この世界ではガラスという物がまだ存在していないので、窓は全て落とし窓の方式だ。

 そこから内部を窺った結果、やはり兵士の巡回はかなりの密度で行われているようだった。


「窓から侵入するのは、やはり無理ですね」

「まぁ予想通りだよな。そうなるとやっぱ屋根からか」


 ちらりと上を仰ぎ見ると、この世界では珍しい四階建ての威容が目に入る。

 これほどの高さの建築物は、もはや城か砦くらいしかないのではなかろうか。

 その屋根から入るということは、十五メートルほども登る必要があるということだ。


「俺は壁を登ることができるけど、ミュトスは?」

「壁を歩く魔法ならありますよ?」

「じゃあ、その手で行こう」


 この程度の石壁なら、俺は指先で壁を抉って身体を支えることができる。

 問題はそれができないミュトスだったのだが、壁を歩くことができるなら、問題は無いだろう。


「それでは、姿を隠している私が先行して屋上の様子を見てきますね」

「ああ、頼む」


 さすがに壁を這っている状況では、隠密もクソも無い。

 隠れることができないため、気付かれればあっさりと見つかってしまう。

 そこで姿の見えないミュトスが先行すれば、その危険もグッと減るのは間違いない。


 ミュトスが壁を登っていく気配を感じながら、後を付けるべく俺も壁をよじ登り始める。

 石はそれほど固くない(俺基準で)から、あっさりと指先で抉ることができる。

 そうしてできた窪みに指をかけ、身体を支えてよじ登り始めた、

 しばらく壁を登り、二階に届いた辺りでミュトスが唐突に声を上げた。


「あっ!」

「――敵か!?」

「い、いえ、そうじゃなくて。あの、シノーラさん?」

「ん、なに?」


 姿が見えないため、声だけしか聞こえないが、どうやらモジモジと身じろぎしてるらしい気配は伝わってくる。

 こんな場所で足を止め、モジモジと口篭もるということは……


「トイレか? 今からなら下に戻って――」

「違います!」


 ガスッ、と俺の頭に柔らかい何かが叩き付けられる。

 これはおそらく、ミュトスの足で蹴られたのだと理解した。彼女の足は、それくらい柔らかい。

 なるほど、例え正答と言えど口にしていい問題ではなかった。これは俺のデリカシーが不足していた。


「悪い。じゃあ、俺は別方向から壁を登るから、その間に――」

「違うって言っているじゃないですか」


 ガンガンガンと、今度は三度蹴られたようだ。

 これだけ元気なら、きっと俺の勘違いだったのだろう。

 尿意を我慢している時にこれだけ暴れたら、まず間違いなく漏れる。


「じゃあなんなんだよ? あと蹴るな」

「もう……そうじゃなくって。えっとシノーラさん。今さらですが、決して上は見ないでくださいね?」

「上?」


 言われてつい上を仰ぎ見てしまう。直後、今度は顔面を蹴り付けられた。


「見ないでって言ったでしょう!?」


 バサッと何か布を押さえるような音が聞こえてきた。

 ミュトスはセラスの忠告から、基本的に肌にぴったりとした服を着るようにしている。

 そこでバサバサ音が鳴るほど布地の余っている場所と言えば……


「スカート?」

「そうですよ。いくら姿を隠しているとはいえ、上を見られたら見えちゃうじゃないですか」


 言っていることは矛盾していると思うのだが、考えてみれば、ミュトスは壁を歩いており、俺はその壁に這うような形でよじ登っている。

 壁を床に見立てて見直せば、俺はミュトスの足元に這いつくばっているようにも見える。

 ここから上を見れば、俺はスカートの内側を見ることができるだろう。見えていればの話だが。


「わ、悪い。でも見えてないから」

「当然です! 見えていたなら、特訓ですから」

「なんの特訓だよ!?」

「なんの意味のないシゴキに耐える特訓?」

「理不尽!」


 騒々しくも声を潜め、ようやく俺たちは四階付近に到達した。

 エリンの話によると、この近辺に金庫を保管している部屋があるらしい。

 ここからは無駄話すら許されない。

 気を引き締め直し、俺たちは誰もいない部屋を選んで、商業ギルド内部に侵入したのだった。

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