第52話 潜入訓練

 エリンに協力すると決めたのだが、ここで一つ問題が発覚した。

 それは彼の荷物の回収である。

 彼がギルドに向かってそこで叛乱について知った。つまり、旅支度の荷物などは宿に置いたままだった。


「傭兵を雇うにしても、先立つ者が必要ですから」

「待ってください。エリンさんは商業ギルドの関係者でしょ。この町に入って来たばっかりですし、噂が叛乱軍に届いていてもおかしくないですよ」

「ム、確かにその可能性はありますね」


 俺たちは昨日、大手を振ってこの町に入ってきた。

 それに傭兵や護衛してきた商人たちは、こぞって酒場や宿屋に雪崩れ込んでいる。

 商業ギルドを押さえた反乱軍が、これを見逃すとは思えない。


「ええ、エリンさんの部屋は見張られてる可能性があります」

「ですが、荷物を回収しないことには、傭兵に払う報酬も用意できませんよ」


 エリンは商人だ。彼個人でできることは少ないが、彼に資金を持たせた場合、できることは格段に増える。

 その最大の武器を取りに戻ることが危険というのは、どうにももどかしい。


「なら、私たちの部屋はどうだ?」

「ん? セラスたちの?」

「うん。私たちも同じ日に宿に入ったけど、私たちは商業ギルドの人間じゃないだろう? それに部屋もエリンさんの隣だ」

「一度戻って様子を見るのに、最適ってことか」

「見張りがいないようだったらエリンの部屋に戻ればいいし、そうでないなら機会を待つこともできるだろう」


 宿なら部屋にこもってしまえば、食事などは運んでもらうこともできる。

 数日生活するだけなら、隣の部屋というのは意外と盲点になるかもしれない。


「よし、じゃあセラスはエリンさんと一緒に宿に向かって荷物の回収を頼む」

「シノーラはどうするんだ?」

「俺は荷物の補充をする必要があるだろ。それにセラスの剣、いつ折れてもおかしくないじゃないか」

「む、それはそうなんだが……」

「エリンさんはすみませんが、フードとかかぶって顔を隠して、俺の振りしてセラスと行動してください」

「すみません、お手数かけます」


 エリンは素直に頭を下げたが、セラスはまだ不満そうな顔をしていた。

 その視線がミュトスに向かっていることから、俺が彼女と同行することに不満を持っていることは明らかだ。


「セラス。買い出しは大荷物になる可能性が高いから、収納魔法の容量が多いミュトスはどうしても同行してもらわないといけないんだ」

「それはそうなんだが……むぅ……」

「大丈夫、『あの時』と違って無茶したりはしないから」


 カリエンテ村で闇帝と戦った際、俺は一人で危険地域に足を踏み入れている。

 その時はセラスも納得してくれていたが、そうせざるを得なかったことに彼女のプライドはいたく傷つけられていた。

 今度こそ、危険な場所で役に立ちたいという想いがあるのだろう。

 しかし彼女は、剣を傷めたままの状態だ。危ない場所には近付けられない。


「すみませんがエリンさん。セラスのこともよろしく頼みます。良くも悪くも一直線な奴なので」

「ハハハ、仲が良いという証じゃないですか。でも任されました」

「では、俺たちはこれで。用が済んだら、宿に戻りますので、できる限り部屋で待機していてください」

「分かりました。私も荷物を回収したら、待機しておきます」


 そう言って、俺たちはセラスたちと別れ、早々に物資の補充を済ましに向かった。




 必要な物はほぼ言い値で買い取り、急き立てられるように補充を済ました。ついでにてきとうな剣も数本仕入れておく。

 俺のインベントリーは収納量が多いので、これくらいなら問題はない。

 剣を入手しておいたのは、今後叛乱を起こした者が市街に手を伸ばしてくると、武器の入手を制限してくると予想できたからだ。

 傭兵たちを雇うなら、いくらかの武器を確保しておいた方がいい。それにセラスにも渡す必要がある。


 そんなわけで雑に武器を仕入れた俺たちは、大きな屋敷の前に存在していた。

 いうまでもなく、トスパンの領主であるハイネンの屋敷である。

 すでに叛乱軍の手が回っているという情報通り、門の前には甲冑を着た兵士がピリピリした様子で立ち塞がっており、近付く者を見ると槍を向ける有様だった。

 まだ町の中にまで彼らの影響力は及んでいないが、それも時間の問題のように思われる。


「ミュトス……」

「分かってますよ。内部に潜入し、叛乱軍を倒してくるのでしょう?」

「そうなんだが、正直自信がないよ」

「ご安心を。そのための私です!」


 どういうポーズなのか、その場でクルリと回転し、衣服をひらめかせながら指を鳴らすミュトス。

 その音と同時に俺の視界は暗転し、膝から崩れ落ちるように倒れたのだった。




 ついた膝は硬い石畳ではなく、柔らかい雲に受け止められる。

 戻った視界に入ったのは、いつもの雲と空だけの空間だ。


「やっぱり特訓するんだね」

「もちろんです。しかも今回は久しぶりに私自ら鍛えて差し上げます!」

「それ、なんだか嫌な予感しかしないんだよなぁ」

「今回は痛いことはしないですよ? だって侵入ミッションですもの」


 にっこりと、だけどどこかグフグフと不穏な含み笑いを漏らすミュトスに、俺は不安を掻き立てられた。

 そんな俺に頓着することなく、ミュトスは手を大きく振り仰いだ。


「今回の特訓は……かくれんぼですっ!」

「かくれんぼぉ?」


 俺の答えに、ミュトスは満足とばかりにご満悦の表情だ。

 大きく頷き、手を大きく振り仰ぐと、目の前にどこかで見た様な屋敷が唐突に現れた。


「はい。今ここに、領主の屋敷を模した訓練場を作りました」

「いや、そんなあっさり……できるんだよな」

「私、神様ですから」


 しかも神々の母とされる創世神だ。侵入先の屋敷を作るなど、朝飯前なのだろう。この世界でなら。


「私が警備兵として屋敷内を監視します。シノーラさんはその監視網をかいくぐって、標的を仕留めてください」

「標的って?」

「私です。このワッペンを服に貼っておきますので、これを奪い取ったら特訓終了としましょう」


 そう言うとミュトスはいつものゆったりとした服の胸元に丸いワッペンを貼る。

 そこにはミュトスをデフォルメ化した丸っこい顔が描かれていた。


「なぜそこに貼る」

「え? 他意はありませんよ。でもエッチなことはダメです」

「言動が一致してねぇ!?」


 胸に貼られたワッペンを胸に触れずに奪い取れとか、どんな無茶振りだ。

 しかしミュトスはそんな事は委細構わず、屋敷の中に入っていく。


「この門が開いたら、特訓開始です」

「お、おう」


 そう言うと俺は屋敷の外に一人取り残された。

 そしてしばらくしてから、『さぁ来い』と言わんばかりにゆっくりと門が開く。

 この先に何が待っているのか俺には理解できないが、あのミュトスのやることだ。きっとろくなことにはならないのだろう。

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