第50話 不穏な気配
先を急ぐことに決定したのだから、ここでのんびりしておく必要はない。
いや、予定通り三日は身体を休めるとしても、その間にやっておかねばならないことは多い。
例えば、食料の補給、水の確保、装備の点検などだ。
水に関しては、
しかし念のため、いくつかは水袋に詰めて収納空間に収めておきたい。
それに食料だけはどうにもならない。一応サベージボアの肉はまだ余っているが、肉だけというのはさすがに寂しい。
野菜や穀物、それに塩を始めとした調味料なども補給しておきたい。
あと致命的なのが武器や道具の整備だ。
俺はミュトスの神剣があるので武器に関しては心配ないのだが、セラスはそうはいかない。
彼女の剣はグリフォンとの打ち合いで刃がボロボロになっていた、
「これはもう、整備でどうにかなる状態じゃないな」
「だよなぁ。私も長く使っていたから、できるなら整備して続けて使いたいのだが……」
無念そうに自分の騎士剣を眺めるセラス。それだけに思い入れのある剣なのだろう。
そういえば、未成年の彼女がこれほど立派な騎士剣を持っているということ自体が少々疑問ではある。
「その剣、なにかいわくがあるのか?」
「ああ、騎士を目指していた兄のお下がりなんだ。兄は騎士を目指して挫折して家業を継ぐことになったから、私がそれを譲ってもらってな」
「へぇ? セラスの家って何をやってるの?」
「ん? ハーベィ農場って農家をやってる」
「ちょ、ハーベィ農場って大地主じゃないですか!」
「ミュトスは知ってるの?」
セラスの家業を聞いて、ミュトスが驚愕の声を上げた。
俺の問いにミュトスは両の拳を握り締め、上下に振りたくって興奮したまま答えを返す。
「このイルドア王国でも最大の地主ですよ。その農地の広さはちょっとした領地に匹敵するとか。そんなところのご令嬢だったんですか」
「まぁ、私は末っ子だし。跡継ぎは兄がいて、姉もいるからかなり自由にさせてもらってる」
「でも、こんな危険な――」
傭兵家業というのはいろいろと危険が伴う。命の危険はもちろん、セラスくらいになると貞操の危機も多いだろう。
命のやり取りをする傭兵は、普通の人間よりも生存本能が強い。
そう言った連中に目を付けられたら、この少女が太刀打ちできるかどうか分からない。
彼女がここまで無事だったのは、幸運というしかない。
「まぁ、私はこんな目だったから、実家でも厄介者扱いだったんだ。旅に出ると言った時は、家族全員ホッとしたような顔をしていたぞ」
「それは……酷い」
だがそれがこの世界の平均的扱いなのかもしれない。
眼鏡もないこの世界では、彼女は盲目に限りなく近い。福祉も充実してはいないだろうし、子供も多いとなれば愛情も薄くなることも充分に考えられた。
だからこそ、彼女は眼鏡を得た時、あれほどまでに喜んだのだ。
「僕の胸でお泣き」
俺はセラスをギュッと抱きしめ、頭を撫でる。
それを見たミュトスが、なぜか激昂した声を上げた。
「あー! あー! ズルいですよセラスさん! そうやって憐憫を誘うのは反則です」
「何のことを言っているんだ? 私は普通に過去を話しただけだぞ」
そう言って、見せつけるように俺の胸に頬を擦り付けてくる。その仕草は猫みたいだ。
それを見て、ミュトスはついに実力行使に出る。セラスの腕を引っ張り、俺から引き剥がそうとしていた。
セラスも引き剥がされるまいと、俺に四肢を使ってしがみついてくる。今度はまるでコアラのような格好で。
「やめなさい、はしたないから」
「だってミュトスが」
「だってセラスが」
「お前ら変なところで張り合うな。それより旅の準備をしよう」
セラスの腕を解き、俺は武器屋に向かっていく。
彼女の武器は直すにしても新調するにしても、武器屋にはいかないといけない。
それに食料の調達も必要になる。
そう考えて、武器屋を示す看板のある店の扉に手をかけたところで、俺の視界の隅に道を横切る子供の姿が目に入った。
さらには、通りを駆け抜ける騎馬の姿も。
このままいけば、言うまでもなく、あの子供ははねられるだろう。
「危ない!」
とっさに俺はそう叫び、子供に向かって駆け出した。
一瞬間に合わないかと思ったが、ゴルドーによって鍛えられた足は俺の思い通りに動いてくれた。
間一髪子供を突き飛ばし、代わりに俺が騎馬にはねられてしまう。
俺は容赦なく吹っ飛び、近くの店に頭から突っ込んだ。
「馬鹿者! 騎士の道を遮るな!」
騎馬――騎士らしいが――は止まることなくそのまま駆け抜け、雑踏の向こうへ消えていった。
俺はショックで、しばらく起き上がれずにいた。
幸運にも、はねられたところでどうにかなる身体ではない。頑強スキル様々だ。
「シノーラ、無事か!?」
「シノーラさん!」
店の中に突っ込んミ、商品に埋もれた俺を、セラスとミュトスが発掘してくれる。
セラスは俺の身を案じてくれているが、ミュトスに関しては、それがない。
彼女は俺が、この程度でどうもならないと知っているからだ。
「ああ、びっくりした」
「びっくりしたのはこっちですよ。無事ですか?」
「ああ、怪我一つない。あの子は?」
「平気です。そちらに」
ミュトスが指示した方向に、母親に抱きかかえられた少女がいた。
どうやら俺が突き飛ばしたおかげで、膝を擦りむいた程度で済んだようだ。
母親に抱き着いて泣きじゃくっているところを見ると、怪我は大したことないみたいだ。
母親は子供に大怪我が無いことを確認すると、こちらに向けて小さく頭を下げた。
正直、その反応に物足りなさを感じなくもないが、今は混乱してどうしていいか分からないのだろうと思い直す。
「大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます! あの、お怪我は?」
「無事です。頑丈なのが取り柄なので」
いまだ泣き続ける娘を抱き上げ、母親は俺の身を案じてくれた。
それにしても先ほどの騎士の様子はただ事ではない。何かが起こったのかと訝しんでいると、そこにエリンが駆け寄ってきた。
「シノーラさん、大変なことに……うわ、大丈夫ですか!?」
「ええ、怪我はありませんって」
「そうですか? なら良かった。それより聞いてください――この町で叛乱が起きました」
言葉の後半は俺にしか聞こえないように、耳元で囁くように告げてきた。
その言葉に、俺は驚愕の表情を浮かべる。
「本当ですか!? それを防ぐために門を封鎖していたんじゃ?」
「どうやら、前もって兵を配置していたようですよ。これはますます怪しくなってきました」
闇帝に対する不満が原因ではないと、エリンはそう言っている。
そこまで周到に用意をしていたのだとすれば、問題はさらに大きくなっていくはずだった。
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