第45話 ミュトスの商談

 ともあれ、グリフォンの脅威は去った。

 傭兵たちは喜び勇んでグリフォンの解体に取り掛かろうとしている。

 道中のトラブルによる拾得物は、個々人に分配されるという契約があるからだ。

 つまり、あのグリフォンは傭兵たちによって各人に公平に分配され、場合によってはそれを商人たちが買い取るということになるはずだった。


「なるんですけど……」


 エリンはそこで苦虫を噛み潰したような表情を見せた。


「何か問題が?」

「ええ」


 後方に控えていた商人たちには、怪我人は出ていない。

 傭兵たちも怪我人は出たが、死者は出なかった。

 そして怪我をしたものは全て、ミュトスによって癒されている。収入も増えて万々歳のはずだ。


「正直、あれほどの大物、どうやって町まで運ぶつもりでしょうね?」

「……あ」


 商人たちの馬車はすでに満杯に限りなく近い。

 十メートルを超えるグリフォンは、爪や肉、羽毛など価値のある素材になる部分が多い。

 それら全てを馬車に乗せることは、もはや不可能だろう。

 見ると、解体しようとした傭兵たちを、商人が慌てて止めようとしていた。

 解体してしまうと、血肉が周辺に溢れかえり、他の魔獣を呼び寄せる可能性がある。

 まだ宵の口にすらなっていない時刻。ここで夜営する身としては、血生臭い悪臭に悩まされながら夜を明かすというのは、遠慮したい。


「シノーラさん……あれ、入りませんかね?」

「いやぁ……どうでしょう?」


 正直言うと、インベントリーには余裕で入る。

 しかし俺はすでに馬車一台分の荷物を預かっている。

 これ以上の収納力があると知られると、それはそれで問題になりそうだった。

 持ち帰りたい。しかしその力を隠し通したい。この二律背反な状況に、俺は頭を抱えてしまう。


「となると、また荷物の選別をせねばなりませんね。グリフォンの素材はかなり高額な物もありますので」

「サベージボアよりですか?」

「ええ、本来ならもっと森の奥地に生息する魔獣です。どうしてこんな場所に出てきたのか……」

「闇帝復活の噂もありますし、その影響でこちらに流れてきたのかもしれませんね」


 そこにミュトスが突然割り込んできた。

 彼女も闇帝の末路については知っているはずなのだが、ここは話を合わせてくれている。

 と思ったら、唐突にニンマリとした笑みを浮かべ、エリンの耳に顔を寄せる。

 ミュトスの身長はかなり小柄なので、エリンが大きく屈む結果になったのが、やや締まらない。


「ところで、私も結構収納魔法に自信があるのですが」

「ほほぅ、ひょっとしてグリフォンを収納できます?」

「おそらく可能かと。もちろん無料とはいきませんが……その辺、エリンさんはもちろんご承知でしょうけど」

「それはもちろん。皆さんの報酬を一割増でいかがです?」

「フムフム? それをこちらに聞くということは、もう少し余裕があるのでしょう?」

「……ミュトスさんはなかなかに手ごわい。しかし運べるとなると、我々もこの後グリフォンの素材買い取りが控えてます。あまり大きな出費は控えたいところなのですよ」

「ええ、その辺りのご都合は承知してますわ」


 突然始まった悪代官と悪徳商人のごとき交渉に、俺とセラスは思わず腰が引けていた。

 だが確かにただ働きは良くない。そういう実績を作ると、これからも良いように使われる可能性がある。

 ひょっとするとミュトスは、そういった事態を危惧してこの取引を持ち掛けたのかもしれない。

 ……考え過ぎか。


「では、シノーラさんたちの分配分を、さらに一割増しで買い取るというのはどうでしょう?」

「なるほど……それは悪くないですね」


 グリフォンはこの森のさらに深部。ドラゴンなどに匹敵する程レアな魔獣らしい。

 その素材の買い取り額となると、サベージボアの比較にならないレベルの額が付くだろう。

 それを他の傭兵たちより割増しで買い取ってもらえる権利というのは、こちらとしてもありがたい。


「では、交渉成立ということで」

「ええ、いいお話ができました」


 ミュトスの意外な強欲さにエリンもドン引きしたかと思ったのだが、その顔には清々しいほどの笑みが浮かんでいた。

 その様子を見るに、それでもまだ収益が出るほど、グリフォンは大きな収穫なのだろう。


「エリンさん、妙に楽しそうでしたね?」

「いやぁ、こんな可愛らしいお嬢さんと面白い商談ができてしまって、つい我を忘れてしまいました。彼女、商業ギルドにどうでしょう?」

「引き抜かないでくださいよ!」


 そう言えばミュトスは身分証などを持っていないはずだ。

 身分証を得るには、どこかに所属しないといけないはず。

 もっとも、創世神たる彼女に、どんな身分が必要なのかと問われると、首を傾げざるを得ない。


「それじゃ、俺たちはこの辺で。夜営の準備がありますので」

「ええ。ではミュトスさん、こちらへ。グリフォンをお願いします」

「はいはい」

「お前たち、グリフォンは一度彼女に収納してもらう! 今は手を出すんじゃないぞ」

「なに? こんな巨体を収納できるのか!?」

「彼女もシノーラさんに匹敵する収納量があるらしい。グリフォンは町に着いてから分配する」

「了解した。お前ら、散れ! 散れ!」


 グリフォンに群がっていた傭兵たちを、ゲイリーが容赦なく追い散らす。

 どうやら彼は、傭兵たちの中でも一目置かれる存在のようだ。


「うぬぅ……」


 ミュトスに収納されたグリフォンを見て、セラスは妙なうめき声を上げていた。

 このタイミングで彼女が不満を覚えるというのが奇妙な気がして、その理由を尋ねる。


「どうかしたの?」

「う、うん。いやその……グリフォン、おいしそうだったな、と」

「食うのか?」

「いやほら! グリフォンって鷹の頭をしてるから鶏肉じゃないか」

「身体は獅子らしいから、違うんじゃない?」

「そうなのか? でも食えるよな?」

「なにもそこで大食い属性を発揮しなくても。それにサベージボアの肉も余ってるんだぞ」

「あ、それがあったか」


 サベージボアの肉はまだまだ余っている。

 最も煮炊きするためには火を用意する必要があるのだが、今の俺なら簡単に魔法で起こすことができる。

 軽く塩を振って炙るだけなら、すぐにできるはずだ。

 ひとしきりグリフォンと死闘を繰り広げ、食欲に目覚めたセラスを落ち着かせる役には立つ。

 軽く溜息を吐きつつ、薪を集め始めた俺の元に、ミュトスが戻ってきた。


「あれ、今さら薪を集めてるんですか?」

「ああ。セラスが肉が食いたいらしい」

「おやおや。まぁ、彼女も育ち盛りですからね。一部は育つ気配がありませんが」

「なにおぅ!?」


 しれっと毒を吐くミュトスに、セラスが敏感に反応していきり立つ。

 手を伸ばしてきたセラスの手をするりと躱す辺り、ミュトスも意外と動けるらしい。


 ともあれ、食事の用意は必要になる。

 あちこちで夜営の準備を行っているため、無理に俺たちが火を熾す必要はないと、最初は思っていた。

 しかし肉を焼くなら焚き火はあった方がいい。

 そう判断して、俺は焚き火の準備を進めていたのだった。

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