第25話 メガネの素材

 何度か調整した後、セラスの視力に合うレンズを作り出すことに成功した。

 まだ一つだけだが、あとはもう片方の目に合うレンズを作り、固定する眼鏡のフレームを作れば完成である。

 だがこの段階ですでに日は落ち、夕食の時間になってしまっていた。

 宿では夕食は付けてもらえるので、俺たちは食堂で続きを話すことにした。


「右と左で同じ……レンズってのか? それじゃダメなのか?」

「左右で視力の違う人もいるんですよ。セラスの場合は距離感に致命的な欠陥があるので、どっちかの目だけが極端に悪いとか、そういう可能性がありますね」

「そうなのか?」

「よく分かったな。私は右目の方がかなり悪くて、左目はまだマシなんだ」

「それで眉をしかめた様な顔になってたんだね」

「言わないで。それ、癖になって困ってるんだ」


 元が可愛い顔立ちだけに、非常にもったいないとは常々思っていた。

 ならば完成を急がねばならないだろう。

 幸い、粘液を貯める器官は俺のインベントリーの中に取り込んであるので、素材となる粘液はたくさんある。

 インベントリーの機能で粘液だけを取り出せば、不純物が混じることもない。

 あとは成型と加工を行うだけだ。

 

「水晶なんかの鉱石で作るより、この樹脂を固めた方が成型しやすいね」


 粘液の固まってできた、仮に粘液樹脂と呼ぶ物質は、強度としてはそれほど強くはないが、弾性は高いため壊れにくい性質を持つ。

 言うなれば、透明で硬めのゴムのような質感だろうか。

 眼鏡のフレームとしてはこの上ない素材に思えるが、やはり強度の問題が気にかかる。


「グラントさん、これに近い硬い素材とか知ってます?」

「前に言ってた水晶のことか?」

「いや、それだと強度は高いのですが脆いので……その辺を補強する魔法とかあるかな?」


 俺の質問に、グラントは少しばかり首を傾げた。

 しばし考えた後、俺に告げる。


「あるにはある、らしいが、俺はその魔法を知らん。王都の魔術師たちなら、知ってるはずだ。装備の補強に使う魔法らしいからな」

「あるんですか! ならセラスの眼鏡をそれで補強してもらえれば――」

「どうやって?」

「え?」

「一般市民が教えてもらえるはずないじゃないか」

「あ――」


 騎士の装備を補強する魔法となれば、下手をすれば軍事機密に抵触する可能性がある。

 それをポッと出の流れ者に教えてくれるはずがない。


「そっか。で、でも、この粘液を固めた樹脂? っぽいものだけでも、フレームを作れないことはないし」

「す、すまない、私の目のせいで」

「いや、これはなんていうか、弟子仲間の縁というか」

「縁……どうしてシノーラは、そこまで私のために?」

「いや、だから縁というか、そういうのだって。変な思惑はないぞ」


 俺の言葉に、セラスは感動したような視線を向けてくる。

 瞳には涙まで浮かんでいたくらいだ。


「今までこの目の事で、どれほど周囲に迷惑をかけてきたことか。昨日のようなトラブルを呼び込んだことだってある。それが治りそうだと聞いて、私がどれほど嬉しかったか、シノーラには分かる?」

「え……いや」


 俺は幸い、視力が悪くなったことはない。

 しかし結膜炎などで子供のころ眼帯の世話になったことはあった。

 それだけで俺の遠近感は大きく狂い、生活にも細かな面倒が起きたくらいだ。

 この眼鏡のない世界で、子供の頃からずっとこの視力と付き合ってきたセラスの苦労は、俺の想像を絶するはず。


「ありがとう、心からお礼を言う。この先私にできることがあったら、何でも言ってくれ」

「ええ、そこまで?」

「そこまでのことだよ」

「いや、でも完成もまだしてないのに」

「そのレンズ一つとっても、私にとっては千金の価値があるよ」


 俺の手に、そっとセラスが手を添えてくる。

 そのしっとりとした感触に、俺は胸が高鳴るのを感じた。

 今までミュトスと手を触れ合わせたことはあるが、彼女とはまた違った温かさに、うっかり興奮してしまいそうになる。

 しかしそこで、ミュトスの膨れっ面を思い出し、グッと歯を食いしばった。


「ま、まぁ、その感謝は眼鏡が完成してからにしてよ。このままだと本当に何の役にも立たないから」

「そうか?」

「そう――」


 セラスにそう返そうとした時、床が唐突に跳ね上がった。

 いや、跳ね上がったというより波打ったという方が正しいか。

 ドンという衝撃と共に床が揺れ、テーブルが跳ね上がり、食事が宙にぶちまけられた。


「な、なに?」

「床が……サベージボアでも突っ込んできたか?」

「おっと、地震か?」


 セラスはただ驚き、グラントは襲撃を真っ先に疑った。ひょっとするとこの世界では地震は珍しい物かもしれない。

 俺としては震度三か四くらいの揺れと思われるが、驚きはしても混乱するほどではない。

 それは日本という耐震設備の整った環境で育った故の暢気さだ。


「なんでシノーラはそんなに落ち着いていられるんだ、地面が揺れているんだぞ!」

「うん、揺れてるね」

「落ち着いてる場合か、なにかの襲撃ならすぐに迎撃に出ないと!」

「いや、ただの地震だって」


 しかしこの発言は、後々考えたら迂闊だったかもしれない。

 なぜなら、日本以外ではただの地震は致命傷になりかねない。

 この宿だって、石造りの壁をしているが、それ故に耐震性に疑問がある。いつ崩れてもおかしくはなかった。

 まぁ、今は大丈夫そうだけど。


「宿の方も大丈夫そうだし、それより続きですよ。どうやって補強魔法を覚えるかです」

「お前、変なところで肝が据わってるなぁ。しかし、そうだな……」


 落ち着いて食後の茶を口にする俺の姿に落ち着きを取り戻したのか、グラントも再び席に着く。

 周辺の商人たちは右往左往しており、中には宿をチェックアウトして逃げ出す者もいる様子だった。

 グラントは腕を組んでしばし考えこんだ後、俺とセラスを見る。


「……しかたない。王都に少し伝手がある奴がいるから、そいつに頼んでみよう」

「本当ですか!」

「ああ。だけど、俺はこの村を離れられんから、お前たちだけで向かってもらうことになるんだよな」


 グラントはこの村一番の猟師で、村周辺の危険な魔獣を狩る役目を持っていた。

 猟師ギルドでも主力らしい彼が村を長期間離れると、村周辺の安全が危うくなる。

 せっかくサベージボアが自滅していなくなったというのに、その空白になった縄張りに別の魔獣が入り込んでは元も子もない。

 ここが大事な時期であることは俺にも分かるため、彼の同行を強く嘆願することはできなかった。


「そう、ですね。グラントさんにも仕事はありますし、家の事もありますから」

「ああ。悪いけど荷物は俺の部屋に放り込んでおいてくれ。明日までにはそいつに向けた紹介状を書いておくから」

「すみません、お願いします」

「任せろ、弟子の頼みだ。つっても、一日だけの弟子だったけどよ……とほほ」

「その一日でグラントさんの家を流しちゃったんですね、俺。本当に申し訳ない」

「いや、冗談だって。大金の分け前を貰ったし、命の恩人でもあるからな」


 そう言って彼は再び席を立った。

 一足先に部屋に戻り、紹介状を書いてくれるらしい。

 俺たちは邪魔にならないよう、自分の部屋に戻る……つもりだったが、セラスは俺の部屋に押しかけてきた。

 どうやら今日中に反対の目のレンズも作ってもらいたいようだ。

 それは良いのだが、夜に男の部屋に押しかける危険性は、教えておいた方がいいのだろうか?

 ミュトスの監視があるので迂闊なことはできないのだが、それでも警戒心をもっと持つように忠告しておくのは、無駄ではないはずだ。

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