第23話 続く幸運?
グラントが安定したようなので、俺は拘束されたままのセラスの元へ向かった。
彼女は粘液が固まり、立ち木に張り付けられたまま動けなくなっていた。
しかも足が妙な方向に固定されてしまっていて、どこかユーモラスなポーズになっている。
「すまない。動きが取れなくて協力できなかった」
「仕方ないさ、不意を突かれたんだ。次からは気を付けよう」
「ああ、『次がある』というのは、幸運だ」
セラスは上半身を固定されてしまっていたため、身動きが取れなくなっている。
胸元からしっかりと固定されているため、それを剥がす必要があるだろう。
「えーと、今から剥がすけど、変なところ触っても怒らないでくれよ?」
「え? あ、いや、そんなことで怒るほど狭量じゃないぞ! それに触れるほどは無いし」
「まぁ、確かに平たいな」
「なんだと……?」
「いや、なんでもない」
セラスの胸元はまだ膨らむ気配を見せ始めたばかりで、ミュトスよりもさらに起伏に乏しく見える。
年齢もまだまだ子供と言っていいので、あまり心配はしていなかったが、念のため聞いたらやはり怒られてしまった。
そう言えば、彼女は妙なところで女性としての扱いにこだわっているんだったか。
元仲間の少年への態度を思い返せば、考えるまでもないことだった。
「それじゃ、いくぞ」
「うん」
粘液は胸全体を覆うように張り付いており、それが固まって樹脂のようになっていた。吐き出された時は液体状だった粘液も、乾燥するに従って透明な樹脂のような質感へと変化している。
完全に乾燥したのか、今は触っても手に張り付く感触はしない。と言うか、この粘液、本当に透明度が高いな。まるで透明なプラスチックみたいだ。
ともあれ、セラスが攻撃を受けたのが胸だったから良かった。これが顔面に当たっていたら窒息していたかもしれない。
もっとも、それこそが沼トカゲの必殺の攻撃なのだろう。
俺は彼女の剥き出しの腹都の隙間から粘液の間に指をこじ入れ、引き剥がそうと引っ張ってみる。
「うぬ? 意外と固いな」
「当然だ、私が動きを封じられたくらいなんだぞ?」
「それもそうか。ちょっと強引に行くけど、痛かったらすぐに言ってくれ」
「わかった」
要はガムテープを剥がすようなものかと懸念し、前もってそう伝えておく。
意外と肌触りのいい彼女の肌に触れ、先ほどのミュトスとの一件が脳裏によぎる。
なんだか今回の騒動は、妙に俺にとって都合がいい気がする。
が、これも役得と考え俺は粘液を剥がしにかかった。
樹脂のように固まった粘液は妙な弾力性を発揮していて、多少の力ではびくともしない。
俺はセラスの脇に足を置き全身の力を使って粘液を引き剥がそうとした。
歯を食いしばり、木の幹に足をかけて仰け反るようにして力を込め、やがてベリッという音を立てて、粘液が剥がれる。
「やったか!」
俺は勢い余って背中から地面に転がってしまったが、手には粘液が固まった樹脂状のものが握られており、剥がすことに成功したと確信する。
「ヒ……」
そしてセラスの無事を確認しようとして、俺は硬直した。
彼女の胸はぴったりとしたシャツで覆われており、そこに粘液が張り付いていた。
その粘液を引き剥がした際に一緒にシャツまで引き裂いてしまい、彼女の胸は剥き出しになっていた。
まだまだ幼いながら、少年のそれとは明らかに違う色や形。
その見慣れない身体に見惚れていると、セラスは一拍遅れて悲鳴を上げた。
「き、きゃああああああああああああ!!」
「す、スマン、悪気はなかった!」
「当たり前だ、見るなバカァ!」
胸を抱いて座り込んで隠すセラスから、俺は慌てて視線を逸らす。
「なんだ、何が起こった!?」
悪いことは重なるもので、セラスの悲鳴を聞いてグラントが目を覚ました。
そこには立ち木を背にうずくまって胸元を隠すセラスと、その前で粘液とそれにからめとられてしまった彼女のシャツを手にした俺。
涙目になった彼女を目にしたグラントが、何を思ったかは想像に難くない。
「シノーラ、お前――!」
「待って、誤解だ! ちょっとした事故なんだって!?」
怒りの形相で立ち上がったグラントに、俺は必死に弁護の言葉を口にする。
もちろんそれは、単細胞な彼の耳に届くことはなかった。
俺はグラントから拳骨を落とされ、世の理不尽に嘆くことになったのだった。
「ひどいや」
「いや、ほんとスマン」
俺はグラントに殴られた頭のコブを押さえ、恨みがましい目で彼を見る。
グラントの方ももちろん誤解だったことが判明し、俺に対し拝むような姿勢で謝罪していた。
「いやでも、あの状況を見れば、誰だってシノーラがトチ狂ったって思うぞ?」
「いくら何でもセラス相手だと無理があるって。まだ子供だぞ」
「なんだとォ?」
「いや、将来性はあるよ、うん。綺麗だったし」
「しっかり見てるじゃないか!」
「どう言えばいいんだよ」
この調子だと、今度ミュトスに呼び出された時も、なにか嫌味を言われそうだ。
俺の不手際が元だったこともあるし、ここは逃げの一手に徹しよう。
「ともかく、さっさと沼トカゲを解体しちゃおう」
「そうだな。あまり遅くなるとアデリーンが心配するだろうし」
「シノーラ、この件については後で詳しく」
「話す気はないよ!?」
今度こそ本当の意味で半眼になって俺に詰め寄るセラスに、俺は逃亡を宣言した。
何やらもの言いたげな彼女を置いて、俺とセラスは沼トカゲの解体にかかる。
俺はインベントリーの解体機能があるので、無理に解体する必要はないのだが、今後の事を考えると覚えておいた方がいいからだ。
人前でこの特殊な能力を見せてしまうと、トラブルを引き寄せかねない。それにセラスにも解体法を覚えてもらう必要があるため、ここで実践しておこうという話になっていた。
沼トカゲは水草や苔を主食にしていることもあって、護身や獲物をしとめるための毒を持っていない。
なのでその肉は食用に適しており、魔力生成器官である魔石も利用価値があった。
ただし、水草や苔が生え捲っている外皮に関しては、どうしても臭みが抜けないため、利用するのは難しいらしい。
「シノーラ、そっちの皮を……もう剥いじまったのかよ」
「え、ダメだった?」
「いや、いいんだ。てか、手早いな。しかも丁寧だ。これなら専門でやっていけるるぞ」
「あはは、狩りの方に適性が無かったら、そうするよ」
俺の言葉を聞き、セラスは呆れたような口調でそれを否定する。
「先ほどの戦いで適性が無いとか、あり得ないだろう。むしろ傭兵ギルドに行ったらどうだ?」
「いや、戦いは基本嫌いなんだよ」
「そうなのか? それにしても、あの舌の攻撃を弾き返すとか、どんだけ頑丈なんだ?」
「俺は頑強のスキルを持ってるからね。そのおかげ」
「待て、確かシノーラは動体視力も持っていたな? 頑強と動体視力のスキル持ちとか、傭兵ギルドでも垂涎の的になるぞ」
「あー……ん? なんだ、これ」
どう言い訳したモノかと言葉を濁した俺は、手に当たる感触に疑問を覚えた。
そこは喉元にある粘液などが溜め込まれる器官で、固いものは存在しないはずの場所だ。
しかし俺のナイフには、カツンと硬質な手応えが返ってきていた。
「どうした?」
「何か固い物が……骨じゃないみたいなんだけど」
分厚い肉の隙間からその硬い物を取り出してみると、キラリと輝く水晶のような光が覗いていた。
まとわりつく値を拭い取ってみると、それは透明な結晶のような物体だった。
だが明らかに水晶とは違う質感だ。
「あー、それな。稀に粘液が体内で固まっちまうことがあるんだよ」
「体内で? ああ、そう言えば似てるな」
これはセラスを拘束したあの粘液の塊とそっくりだった。
透明な樹脂のような物質。それを見て俺は、一つの光明を見出した。
「あ、ひょっとしてこれ、レンズになるんじゃ?」
「レンズ?」
聞きなれない言葉を聞きつけ、セラスが小さく首を傾げる。
この少女はなかなか耳聡いというか、人の話をよく聞いている。
「ああ。こういう透明な物質を削って丸みを持たせて周囲の光景を歪ませてみせるんだ」
「そんなもの、何の役に立つんだ?」
「光景が歪むということは、元から歪んでいるものを正しく治すということもできるんだよ。例えばセラスの視界とかね」
「な、治るのか! 私の目が!?」
「確実とは言えない。そもそもレンズの加工なんて、俺もやったことはない。でも可能性はあるよ」
そう告げると、セラスは先ほどまでの不機嫌を忘れたように、満面の笑みを浮かべたのだった。
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