第22話 沼トカゲ討伐と心肺蘇生
沼トカゲは懐に飛び込んできた俺に脅威を覚えたのか、後ろに向かってズリズリと這い下がろうとする。
そのじれったい動きが、俺を現実の世界に戻ってきたことを認識する、わずかな時間を与えてくれた。
そもそもトカゲの足は前や左右への動きには対応できるが、後ろに下がるには向いていない。その後退速度は、俺でも充分に対処可能な速さだ。
「逃がすかぁ!」
俺の急所攻撃スキルの存在が、どこを攻撃すればいいのか、教えてくれる。
沼トカゲの場合、喉の下、人間で言うと首の付け根に近い場所が急所となっている。
ここには沼トカゲにとって、マナを生成する器官が存在する場所が存在する。
この世界の人間ならだれもが持つ器官であり、同時に生物ならどのような魔獣も持つ器官でもある。
そしてここは、心臓と同じく重要器官でもあった。
急所を貫くべく、下から押し上げるように突き出すナイフ。しかし、沼トカゲもこの攻撃は予測していたらしい。
こちらの手を払うべく、伸ばした舌を今度は鞭のように振り払い、俺の手を打とうとしていた。
その動きは俺にも視認できていたが、勢いつけていたので、突き出す動きは止まらない。
「くぅっ!?」
肩と腰に軋む痛みを覚えながらも、減速したのが功を奏したのか、舌が手に直撃することだけは避けられた。
しかし、代わりにナイフへ直撃し、パキンという軽い音を立ててへし折れてしまう。
元々が罠を仕掛けるための工作用ナイフなので、刃の厚さはそれほどでもなく、切れ味もあまりいい方ではなかった。
そこへ横腹から打撃を与えられれば、この結末は当然かもしれない。
「くそ、なにか、武器――」
と言っても、俺のインベントリーの中には、牙と毛皮のないサベージボアの死骸とラピス硬貨しか入っていない。
あとは適当に揃えた着替えとか食器類くらいだ。武器になりそうなものは何も用意していなかった。
元々戦うのはグラントとセラスに任せるつもりだった。その軽い考えが、ここにきて響く。
「こりゃ、戻ったら武器も用意しないとな」
後悔しても、もう遅い。そして後悔する時は命の危機がある。温い日本ならば、その場で店に飛び込んで用意することもできた。
しかしここにはコンビニも無ければ、スーパーも無い。前もって用意しておくしか、入手できない。
この世界では、準備というモノがより一層重要になってくる。
「いや……今はそれどころじゃないか」
沼トカゲも、舌を横に振るといういつもと違う動きのために、体勢を大きく崩している。
舌を横に振ったため、こちらに向けて左の横っ面を大きく晒した状況だ。
捻じれた身体は大きく浮き上がり、身体の下、つまり急所のすぐそばに潜り込める体勢になっている。
俺は迷わずそこに飛び込み、インベントリーから肋骨を一本を取り出す。サベージボアの巨体を支える肋骨だけに、その大きさ、長さはちょっとした剣に匹敵するほど大きい。
しかも太さを優先して、首元に近い肋骨を選んでおく。湾曲し、先端の尖った形状はまるで剣のようだ。
これを下から、持ち上げるように突き上げた。
柔らかく、ぬめる皮膚を斬り裂き、その下にあった魔力生成器官……いわゆる魔石を突き砕く。
俺は肘まで沼トカゲの肉に突き刺し、ようやく奴は動きを止めた。
「クケッ」
存外可愛らしい断末魔を漏らし、俺を押し倒すように崩れ落ちる沼トカゲの下敷きになった。
俺はその水草のような青臭さに鼻を曲げながらも、その下から這い出した。
奴の身体がぬるぬるなのが、功を奏した。鱗のような体だったら、もっと苦労する羽目になっただろう。
見るとセラスは粘液が完全に固まってしまったのか、すでに身動き取れない状況になっていた。
「セラスは悪いけどもう少し待っていて。先にグラントさんを助けないと」
「ああ、わかっている。急いでくれ」
「すぐ戻るよ!」
俺は舌の攻撃でボロボロになった制服の上だけを脱ぎ去り、貯水池の中に飛び込んだ。
服を着たまま泳ぐのは命にかかわると、水泳の授業で習っていたからである。
絡む水草を振り払い、グラントの沈んだ辺りに近付くと、案の定彼は水草に絡まった状態で気絶していた。
俺はその水草を引き千切り、彼を水面へと引っ張り上げる。
そのまま彼を仰向けの姿勢にして引っ張り、岸へを上がった。
「様子はどうだ?」
「まずい、息してない!」
「な、なんだと!」
水中に放置された影響か、すでにグラントの息は止まっていた。
しかし沈んでからまだそれほど時間は経っていないはずで、まだ心肺蘇生は可能なはず。
ならば、ミュトスとの訓練が大きく役に立つ。
「よ、よし、やるぞ――」
実際に試したことが無いので上手く行くかどうかわからないが、状況は切羽詰まっているため、やるしかない。
俺は覚悟を決めて、気道を確保する。
そこで一瞬、グラントにマウストゥマウスを行う必要性を思い出し、手が止まった。
これがミュトスなら、こちらから懇願してでも行うというのに。そんな考えを振り払うべく頭を振る。
グラント、スマン。
「どうした? 早くグラントさんを助けないと」
「あ、ああ、そうだな」
床に寝かせたままのグラントの胸に手を当て、俺は力いっぱい押していく。
これで肋骨が折れるということもあるらしいが、心臓マッサージではそれを恐れてはいけない。
とにかく一刻も早く息を吹き返さないと、酸素が脳に行きわたらずに脳死になってしまう。
そして脳が動かないと内臓も動かなくなる。この連鎖の結果、死に至ってしまうのだ。
俺は力を込めて十数回、そろそろ人工呼吸に移ろうかという段階で、グラントは大きく水を吐き出した。
「ぐぼっ、げほっ!?」
「グラントさん、よかった」
ぶっちゃけると、この後の人工呼吸前に起きてくれて本当にありがとう。
こんなことを言うと恩知らずかもしれないが、こればかりは仕方ない。
おそらくは沼トカゲに一撃喰らった段階で気絶しており、水の中では呼吸が最低限まで抑えられていたことが功を奏したと思われる。
「シノーラ? そうだ、セラスは無事か!?」
「ああ、沼トカゲも無事仕留めたよ。セラスも……身動きは取れないけど無事だ」
「そうか……」
「グラントさんはしばらく横になっといた方がいい。俺はセラスを助け出してくる」
「ああ、粘液にやられたのか?」
「そうだね」
俺たちが無事であることを知り、グラントは安心したのか、再び目を閉じた。
今度は規則正しく胸が上下しているので、呼吸は安定しているようだった。
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