第20話 戦闘のための第一歩
ミュトスが手を振ると、あっさりと服が復元され、胸元が隠される。
その驚異の光景に、俺は少し残念な気分に浸っていた。
「それはともかく! トレーニングの時間ですよ」
俺がこんな余裕をカマしていられるのも、この世界では時間が進まないという事実を知っているからだ。
ここにいる間、現実の世界では時間が進まない。それはこちらで、いくらでも対策を講じることができるという意味でもある。
ならば、まだグラントは生死の境を彷徨っているはずで、蘇生が間に合わなくなるということはないはずだった。
「うん。で、今回は何を教えてくれるんだ?」
「状況が危機的でしたからね。まずは敵を知り、己を知ればという言葉通り行きましょう。それから心肺蘇生法の特訓ですね!」
「最初のは孫子だよな? まずは沼トカゲの事をよく知れってことか?」
「ええ。刃物の扱いはその後でも大丈夫でしょう。そもそも沼トカゲは戦闘力が低いです。今回は不意を突かれたことが原因でしょうし」
「そこは反省点だよな。おそらくグラントも俺たちの教育で注意力が散漫になって、周囲への警戒が雑になったから攻撃を受けたんだろうし」
「どうやらそのようですね。不意を突かれてこの程度で済んでいるのは、相手が沼トカゲだったからです。では篠浦さんは沼トカゲについてどれくらい知っています?」
ピッと指を立てて、ミュトスはそう聞いてきた。
そのポーズは中学生が教師の真似事をしているかのようにも見えて、どこか微笑ましい。
「そうだな、まずグラントから聞いた範囲だと――」
「いえ、そう言う意味ではないんです。沼トカゲの生態とか、習性とか、そういうのではなく、構造に関してですね」
「構造?」
「ええ。今回の危機は対沼トカゲ戦ですので、沼トカゲを効率的に倒すには、という話になってきます」
「つまり、沼トカゲの身体の仕組みとか、急所とか、そう言うのを学べってことか?」
「この際だから、沼トカゲだけでなく、いろんな生物の構造なんかも学びましょうね。まずはここからです!」
言うが早いか、ミュトスは細い腕を振り上げる。
すると俺の頭上に何やら赤黒い物がぐにょぐにょと集まり出した。
「な、なに、あれ?」
「モツです」
「はぃ?」
「モツ。臓物の意味ですが?」
「いや、そう言う意味ではなく!」
俺の意図を全く汲まないミュトスに、思わず声を荒げてしまう。
そうではなく、なぜ内臓を俺の周囲に集めたのか、その理由が聞きたかった。
「良いですか、篠浦さん。まず生物の構造を知ると言うことは、その内部、すなわち内臓の構造なんかも学ばねばならないということです」
「お、おう」
「なのにスプラッター系の映像とか感触がダメだと、お話にならないじゃないですか?」
「そうなの……かな?」
「なのでまず、どんなグロ体験にも耐えれるように、その心を鍛えましょう」
「飛躍し過ぎィ!!」
俺の叫びは、しかしミュトスには決して届かなかった。
半分涙目になって抗議する俺に、どこか楽し気な笑みを浮かべたまま、いつものように『えぃ』と掛け声をかけて腕を振り下ろす。
そのこめかみに血管が浮かんでいるところを見ると、先ほど服の胸元を斬り裂いたことが、後を引いているのかもしれない。
ともあれ、俺の頭上から、大量の臓物が雨のように降り注ぐ。
「うぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!」
湯気が出るほどに温かく、生々しい臭いを放ち、逃げ場も無いほどに周囲を埋め尽くしていく。
視界を埋め尽くす赤黒い肉の光景に、俺はあっさりと意識を手放したのだった。
いつものようにミュトスの膝枕で目を覚ました俺は、なんとなく彼女にそれを聞いてみた。
「なぁ、ミュトスはなんで、いつも膝枕してくれているんだ?」
「え、だってここには枕も何もありませんから。わたしが膝を貸すのは当然でしょう?」
なんてしれっとそんな答えを返してきた。しかし、創世神でもある彼女が、ここに枕の一つも造り出せないというのはおかしな話だ。
そこにツッコミを入れようとした瞬間、ミュトスは立ち上がって次の訓練への移行を宣言した。
寝ていた俺はの頭は、当然のように床に落ちる。
床と言っても、ここは雲が地面になっているので、後頭部を打ち付けるようなダメージは無かった。
「次は知識を詰め込むとしましょう。ここに魔獣辞典を複数用意しました」
ババッと再びミュトスが腕を振ると、そこにはいつのまにか、大量の百科事典の山が存在していた。
「おぃ」
「これを暗記するまで、篠浦さんは現実にかえれません」
「無茶言うなァ!?」
「かえれませんから! かえしませんから! ずっと一緒です。ヤバいですね!」
「それ、危ない人の発言!」
「どのみち、特訓が終わるまではこの空間から出て行けませんから、同じことですよ?」
「どうして契約書をきっちり読まなかった、過去の俺ェ!」
しかしミュトスの言うことも事実である。
どうせここから出られないのなら、ゆっくりと知識を蓄えるのもいいだろう。
その間、グラントは沈んだままだし、セラスは粘液まみれのままだが、時間が経過しないのだから気にしないでおこう。
俺はそう開き直って、百科事典に立ち向かったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます