第19話 奇襲と迎撃
いくつかの質問をした後、グラントは貯水池の
そこは岩が積まれ、苔むした岩肌を見せる何の変哲もない場所。
「ほらそこ。よく見てみろ」
「えっと?」
「ここだよ。苔に一本の線が入ってるだろ」
言われて注視してみると、確かにびっしりと生え揃った苔に、一筋の跡が残されていた。
太さは指一本分くらいだろうか。指摘が無ければ全く気付かなかった。
「これが沼トカゲが苔を食った跡だ。長い舌でこすって、苔だけを削ぎ落して食べてるんだ」
「こんなに細いんです?」
「沼トカゲの舌は丸くて細長くになってるからな。接触面で言うとこんなもんさ。それにこの痕跡はちっとばかり古いからな」
グラントの指摘通り、削られた苔と岩の境目はすでに新たな苔が生え始めていた。
「グラントさん、見かけによらず論理的なんですね」
「見かけによらずってのはなんだよ? 待ち伏せ猟をするってことは、俺自身が罠になるって意味でもあるんだぞ。獲物を見付ける工夫は必要なんだよ」
「言われてみれば、確かに――っ!?」
俺は見ていた苔からグラントを振り返り、そこで息を呑んだ。
ドヤ顔で胸を反りかえらせているグラントの背後に、巨大な岩のような魔獣が姿を現したからだ。
近付く足音は聞こえなかった。現にグラントも気付いていない。
俺が近付く魔獣――沼トカゲに気付いたのは、ひとえに幸運に
俺が口を開くのと、沼トカゲがクルリと回転したのは、ほぼ同時だった。
「グラントさん、後ろ!」
「へ? へぶっ!」
俺の指摘にグラントが振り返ろうとしたその時、沼トカゲの尻尾がグラントの背中を強打していた。
グラントは、まるでトラックに撥ねられたかのように吹っ飛んでいく。
そして飛んだ先は貯水池の方角だった。
二度、三度と水面を跳ねて、やがて沈んでいくグラント。意識が無いのだとしたら、溺死する危険もあった。
「グラントさん!」
視線を跳んだグラントを見て俺は狼狽する。それは敵を前にしてもっとも危険な行為だった。
それを学んでいたセラスは、グラントよりも先に沼トカゲの方に視線を向け、剣を抜こうとする。
しかしそれも、沼トカゲによって先手を打たれてしまった。
「きゃっ!?」
回転した勢いでセラスの方に頭を向けた沼トカゲは、今度は口から粘液を吐き出して、セラスにぶつけていた。
小柄な彼女はその粘液をまともに受け、質量に耐え切れず、グラント同様に吹っ飛ばされる。
そして立木の一本にぶち当たって止まっていた。
意識はあるようだが、木から離れられないところを見ると、粘液はかなりの粘度を持っているようだった。
もがく彼女の動きが少しずつ小さくなっていくのは、粘液が固まりつつあるせいか。
「くそっ!」
完全に機先を制された。
今、まともに動けるのは俺だけで、しかも手には罠を仕掛けるために必要なナイフくらいしか武器が無い。
このナイフはグラントから借りたものだ。
それを手に飛び掛かろうとする俺を、沼トカゲは長い舌で牽制してくる。
その舌の長さは一メートルを超え、まるでカメレオンのようにこちらに突き出されていた。この巨体を支える苔の量を削ぎ落す舌だ、頑丈で長く、そして器用な動きをする。
さらに舌の攻撃は予想以上に回転が速く、俺は近付く機会を得ることができなかった。ボクサーのジャブのように俺を牽制し、接近する余裕を与えてくれない。
後ろに回り込もうにも、そちらには尻尾があるため、正面に立つよりも危険度が高い。
「ああ、もう! 早くグラントさんを助けないといけないのに!」
グラントはまだ水面に戻ってくる気配がない。おそらく、奇襲で意識を失ってしまったのだろう。
しかも水面には水草が大量に見られることから、水中にもその茎が網のように広がっている可能性がある。
水の中でその茎の網に絡まってしまえば、自力で戻れなくなる可能性もあった。
ならば、一刻も早く救出に向かう必要があった。
「――なら、覚悟を決めろ!」
攻撃を避けていては、近付けない。なら避けなければいい。
俺は頑強のスキルを持ち、大岩の直撃にも耐えられる。
沼トカゲの舌はグラントを吹き飛ばした尻尾の攻撃よりも、威力が低い。岩の痕跡を見たところ、槍のように貫くほどの威力は無さそうだったなさそうだった。
ならば、危険なのは質量による衝撃力のみだ。
俺は姿勢を低く取り、吹き飛ばされないように足を踏ん張り、すり足で前に進む。
喉やみぞおち、顔面など、危険な場所のみ腕でガードして、じりじりと沼トカゲへと近付いて行った。
やがてその速さにも慣れてきて、飛来する舌先を手で弾いて逸らすことに成功する。
この危機的状況なのに、ミュトスの召喚がかからないことに疑問を覚えながらも、俺は沼トカゲの懐まで歩を進めることに成功していた。
「ついに、来たぞ!」
叫びと共に、俺はナイフを突き出すために、大きく脇に引き付けた。
そこで不意に、いつもの視界の暗転が発生する。
急な視界の暗転について行けず、俺は闇雲にナイフを突き出していた。
直後に聞こえてくる、甲高い悲鳴に我に返る。
「キャッ!?」
ナイフの刃先にわずかな感触。ビリィッをいう絹を割くような音。
開けた視界の中で目にしたのは、突き出されたナイフを紙一重で避けているミュトスと、ギリギリで躱したが故に引き裂かれた彼女の服の胸元。
そこに隠された裸身は、エロ本どころか女性の水着にすら興奮を覚える思春期の俺には、非常に刺激的だった。
「…………」
「ちょっと、篠浦さん!?」
顔を紅潮させ、胸元を隠しつつこちらに起った顔を向けるミュトスに、俺は答えることができなかった。
なにせ、先ほどの光景が今も脳裏に張り付いている。
迂闊に動けば股間がヤバいことになってしまっているのがバレてしまうので、俺は身動きすることができなかった。
しかも頭に血が昇って、鼻先がむずむずしている。
「いきなり呼び出したこちらも悪いですが、これはいささか乱暴すぎやしませんか?」
プゥッと頬を膨らませたまま、恨みがましい視線をこちらに送ってくるミュトス。
そのあざといまでの表情に、遂に俺の鼻先は決壊し、鼻血がたらりと流れ始める。
「え、ちょっと、どうしたんです!? って言うか、興奮し過ぎでしょう!」
慌てて俺の鼻血を押さえに来てくれるミュトス。その行為はありがたいのだが、おかげで隠していた胸元がまたも全開になっている。
彼女は計り知れないほどの時間をここで過ごしてきただけに、その辺りのガードが同世代の女の子よりも遥かに甘いようだった。
とりあえず、今見た光景は脳内の永久保存用フォルダーにしまい込んで、絶対に忘れないようにしよう。
そう決意を決めた俺だったが、その思考はどうやら彼女に筒抜けだったらしい。
「むしろ忘れてください! って言うか、この緊迫した場面で、よくもそんな余裕を出せますね?」
「いや、緊迫した状況だからこそかもしれない」
危機に陥ると、生物は種の保存という本能が働き、恋に落ちやすく、また性的に興奮しやすくなるらしい。
戦いの最中に召喚されたからこそ、今の俺はいつもの俺と違うっぽい。
いつもなら赤面して口に出せないことを、思わず口にしてしまった。
そんな俺を、ミュトスはぺチンと叩いて正気に戻す。こんな真似もできたのかと、変な方向に感心したのだった。
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