第18話 沼トカゲ退治

 グラントは掲示板に掛けられていた木札を手に取り、カウンターへ向かう。

 そこではアデリーンが待ってましたとばかりに待ち受けていた。


「あら、グラントさんが常時依頼以外を受けるなんて、珍しいわね」

「今回は弟子の教育も兼ねてるからな。たまにはいいだろ」

「ふぅん? で、下水のジェル退治かぁ。初心者にとっては手頃だけどキツイ依頼よね」

「それも教育だな」

「それに、別にこれ、急ぎじゃなくなったわよ」

「なに?」


 グラントとアデリーンの口振りからすると、この依頼は初心者向けで、かなりキツそうだ。

 そんな割に合わなさそうな依頼が緊急じゃないというのも、珍しいことなのかもしれない。


「誰か受けたのか?」

「ええ。ついさっき傭兵ギルドから連絡があってね。外から来た傭兵がこの仕事を受けたんだって」

「じゃあ、これは無しか?」

「んー、確かにこのまま受理しちゃうと、重複依頼ダブルブッキングになっちゃうのよね」


 アデリーンは口元に人差し指を当て、小さく首を傾げる。

 その仕草はミュトスやセラスと違い、大人の色気というのが漂っている。


「…………!?」


 直後、どこかから何か怒りに満ちた視線を感じて、俺はキョロキョロと周囲を見回す。

 しかし、こちらに注目している人間は全く見当たらなかった。


「シノーラ、どうかしたのか?」

「いや、誰かに……」

「ダメですよ、篠浦さん」

「ハッ!?」


 唐突に聞こえてきた少女の声に、俺は視線が誰のものか理解した。

 なんとなく、膨れっ面をしているミュトスの顔が脳裏に浮かぶくらいだ。


「どうした、敵か!」


 俺が急に硬直したのを見て、敵の襲撃かと勘違いしたグラントが警戒の体勢を取る。

 しかしそんなグラントをアデリーンはたしなめた。


「こんなギルドのど真ん中で襲撃する人なんていませんよ! グラントさんは物騒なんですから」

「いや、しかしだな」

「あ、ああ、気にしないで。俺の勘違いみたいだったから」

「そうか? ならいいんだが」


 どうも俺は、この世界にいてもミュトスの監視の目から逃れられないらしい。

 でも考えてみれば、俺の危機や必要な時に転送されるのだから、常時こちらを監視していてもおかしくなかった。

 そもそも神の視点が一つだけという道理もないか。きっと彼女は、今も世界を監視し、転生者を捌きつつ、片手間に俺を監視しているのだろう。


「それより、下水のジェル退治は重複になっちゃうから、受理できないわ。依頼票を引き忘れていてごめんなさい」

「まぁ、朝の忙しい時間だからな。次から気を付けてくれればいいさ」

「そうだ、村の中の下水溝はもう受けられちゃったけど、村の外の貯水池のトカゲ退治をしてもらえないかしら?」

「貯水池?」

「ええ。あそこも掃除しないといけないんだけど、沼トカゲが住み着いてるって報告が来たのよ」

「あー、沼トカゲかぁ」


 グラントも思案するかのように腕を組む。

 穏和なジェルの処理なら比較的安全に実戦を経験することができるが、沼トカゲはそれより危険な相手だ。

 全長二メートルも及ぶ巨大なトカゲは、外見的な威圧感だけでも相当なものがある。

 そんな相手でもアデリーンがこの依頼を俺たちに推薦するのは、沼トカゲは草食だという一点においてだろう。

 トカゲといえば雑食の種が多いのだが、沼トカゲは池や水辺に生えるコケや藻のみを食す傾向がある。


「確かに連中は人は襲わねぇが、尻尾がなぁ。それに粘液も」

「デカいだけあって、強力ですからね。粘液は貼り付いて固まりますし。でもグラントさんがいれば安心でしょ?」

「む? うぬぅ……まぁイケるか?」

「大丈夫なんですか?」


 やや安請け合いじゃないかと思い、俺はグラントに確認する。

 しかし彼は、俺を見て『何を今さら』というような顔をした。


「いや、シノーラは予想以上に動けたし、セラスの嬢ちゃんも剣の腕『だけ』は一流だ。トカゲ程度なら何とかなんだろ」

「『だけ』って、ひどくない?」


 しょんぼりと肩を落とすセラスだが、目の悪い彼女は戦力に数えるには、いささか心許無い。


「さすがに沼トカゲくらい大きければ、攻撃を当てれるぞ」

「そうなのか?」

「もちろんだ」

「じゃあ、なんであいつらはそう言う敵を選ばなかったんだろう?」


 セラスが戦力になるなら、大きな敵を狙えばよかったのに。

 そんな疑問も、セラスは一刀両断で返してみせた。


「大きいってことはそれだけで危険だから。デカい相手には近付かなかったんだ」

「ヘタレ極まってやがる……」


 だがまぁ、敵わない相手には立ち向かわないというのは、戦場に生きる者にとっては正しいのかもしれない。

 もっともそれが原因でセラスが不遇な目に遭っていたのだから、擁護のしようがない。


「そういうことなら、貯水池の沼トカゲ退治、俺たちが引き受けるぜ」

「了解しました。ではこちらを受理しておきますね。依頼票はまだ出してないけど」

「出せよ。ってか報酬の話も聞いてねぇぞ」

「あ、ごめんなさい。報酬は沼トカゲ一匹に付き五千ラピスよ」

「宿で十日は過ごせるな。悪くない」

「宿? 家はどうしたのよ、あのボロ小屋。ついに倒壊した?」

「言うな!?」


 アデリーンが的確にグラントの急所を抉る。ついでに俺にも効くので、その話題は避けてほしい。

 ともあれ、依頼は受領したので、後は討伐するだけだ。

 俺たちはグラントの案内で、沼トカゲについてレクチャーを受けながら、村外れにある貯水池に向かったのだった。



 村外れの貯水池はかなり大きな造りになっていて、周辺を石組みで囲って泥の侵入などを防ぐ処理もされていた。

 その大きさは村の規模よりも遥かに大きい。この村は各所に、どこか似つかわしくない施設が目に付く。


「かなり大きい貯水池だね」

「まぁな。それだけに面倒なんだよな」

「というと?」

「デカいってことは、それだけ獲物を見付けるのも苦労するってことだよ」

「そりゃ、確かに」


 貯水池の広さは百メートル以上はある。もはや池というより湖と言っていい大きさだ。

 その中から二メートルの巨体とはいえ沼トカゲを見つけ出すというのは、かなりの苦労になる。

 ましてや相手は、水の中に潜れる。


 俺たちはまず、地形を確認するために池の周りを周回することにした。

 もちろん、地元民であるグラントにはそれは必要ない行為だ。しかし新参者の俺や、よその町から来たセラスにとっては、これは必要な行為である。

 そしてその間も、グラントの講義は続いていた。


「シノーラ、罠を仕掛けて獲物を捕らえる場合、必要なことは何だと思う?」

「え? えっと……見つからないようにすること?」

「んー、それだと五十点かな。じゃあセラスはどうだ?」

「ひょっ? えと、あっと……」


 俺への質問ということで安心していたのだろう。

 セラスは動揺して左右を見て、俺を見て、そしてしばらく考え込んだ末にグラントに答えを返した。


「い、一撃必殺の罠を仕掛けること、かな?」


 グッと握り拳を作る姿は歳相応に幼く愛らしいが、口にした内容は物騒極まりない。

 それに、トラバサミとかで捕まえた獲物が生きていることもあるじゃないか。

 これは俺でも不正解だと理解できた。


「動きを押さえておきゃ、仕留める必要は無いだろうがよ。いいか二人とも。獲物を仕掛ける際に最も重要なことは、獲物が通りそうな場所に仕掛けることだ」

「ああ……」


 言われて初めて、俺は『獲物がそこを通る』前提で答えていたことに気付いた。

 確かに獲物が通らなければ、罠をうまく隠そうが罠の殺傷力が高かろうが、意味を成さない。


「意外とその場に来ないと分からないことって、あるもんだなぁ」

「後になって後悔するってのは、たいていそういう場合が多いんだよ」


 したり顔で講釈を垂れるグラントに、納得しつつもイラっと来たのはナイショである。

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