第10話 仮住まい

 本来、この部屋の主である商業ギルドの職員が、俺たちの退室を見送るのが一般的な礼儀に当たる。

 しかしここは、依頼を出す場でもあり、傭兵や猟師などが依頼を受けた後で相談する場でもあった。

 なので俺たちが商人を見送るために立ち上がりはしたが、その後また席に座ってもおかしくはない。

 その例に漏れずグラントは再び席に着くと、俺の方に向かって口を開いた。


「それで、この後どうする?」

「この後って……宿を探して今日は休むつもりだけど?」

「まぁ、そうだな。もう日も傾いてきてるから、何かするのは明日にした方がいい。森の中は陽が沈むのが早い」


 別に場所によって落日の速度が変わるというわけではなく、森の中では何をするにしても時間がかかるため、陽が落ちるのが早く感じてしまうという意味だ。

 比較的大きなこの村の中なら生活基盤が確立しているためそれほどでもないのだが、やはり大きな町に比べると不便はあるらしい。


「この村は結構商人がやってくるから、商業ギルドも宿も充実してるから、困ることはないけどな」

「何か森の中なのに、この村すっげぇ充実してますね?」

「ああ、国が開拓に金を出してくれてるからな」


 こんな深い森の中に村があるので、妙な感じはしていた。

 普通、開拓村は森の浅い位置か外縁部にできるものだ。なのにこの村はいきなり森の中に踏み込んで作られている。

 まるでこの場所に必要だといわんばかりに。そこが少し、気になっていた。


「まぁ、この村も結構長いからな。開拓が始まってもう二百年くらいにはなるか」

「それだけ時間がかかっているなら、この発展も納得ですかね」


 しかし発展具合は時間による成果だとしても、そのきっかけが気になるのはある。

 なぜここに村を作ろうとしたのか、少し調べた方がいいのかもしれない。


「村の宿は二つある。一つは傭兵連中がよく使ってる宿で、もう一つは商人連中が使ってる宿だ。しばらく宿住まいするなら、商人用の宿の方がいいだろうな」

「どうして分けてあるんです?」

「傭兵は気性が荒い連中が多いからな。商人と常に顔を突き合わせるには、性格が合わんことも多いんだ」

「それで問題が発生したことがあるんですか?」

「ああ、昔は結構あったらしい。宿を分けることで、今は大人しくなってるけどな」


 それに性質たちの悪い傭兵の場合、盗みを行うこともあるだろう。

 傭兵と商人では、資金力も違う。持ち歩く金を目にして、魔が差す連中もいたはずだ。

 いくら収納魔法があるとはいえ、収納できる量には限界がある。商人ともなれば、金になりそうな物品はいくらでも持っているだろう。

 今、大金を手にした俺がそんな傭兵の宿に泊まったりすれば、速攻で身包みを剥がされてもおかしくはない。


「あ、そうだ。約束のお金、渡しますね」


 グラントには、売り上げの一割を渡す約束で、この村まで案内してもらっていた。

 人目の無いこの部屋の中なら、大金を取り出しても問題ないはずだ。


「ああ、それにしてもこんなもんで一割ももらうのは、本当に気が引けるな」

「ハハ、口止め料も兼ねてると思ってくださいよ。俺が大金を持ってるって」

「なるほどな。それなら遠慮無く貰っとこうか」


 俺の所持金は八十九万ラピス。一割ということで九万をグラントに渡しておく。

 それでも八十万という大金が俺の手元に残っていた。


「それにしても、予想以上の値をつけていたのは驚きました」

「そりゃあ、俺の斧すら通じなかった化け物の毛皮だからな。背中側の皮は固いし、逆に腹側の毛皮は柔らかくて保温性に優れる。高値がついて当り前さ」

「そういえばそうか」

「特に腹側の毛皮は柔軟で手触りがいいくせに背中ほどじゃないが頑丈だ。衣服に使えて、なおかつ鎧並みの防御力がある。俺だって欲しいくらいだ」

「なら、言ってくれれば――」

「先立つ物がなかったんだよ。それにこうして大金も頂いちまったからな」


 そんな話をしながら、俺たちは部屋を出た。

 互いに大金は収納魔法でしまい込んでおく。この魔法は本当に便利だ。

 盗まれる心配も無ければ、外から見られる心配もない。


「宿ならここの通りを右に行ったところに商人用の宿がある。ちなみに左に行くと傭兵用の宿だ」

「宿自体も距離を置いて、安全を確保してるってわけですか」

「ま、そんなとこだ。なんだったら、俺の家に泊めてやってもいいんだが?」

「さすがにそこまでお世話になるわけには」


 それに俺は、いつミュトスに呼び出されるか分からない身の上だ。

 向こうで長時間過ごした結果、反応に矛盾というか齟齬が出る可能性も充分に考えられた。

 そんな俺の返事を遠慮と受け取ったのか、更なるおせっかいを口にした。


「遠慮する必要も無いんだがな。そうだ、明日だけど、お前時間空いてるか?」

「え? ええ」

「なら、朝から軽く狩りの基本を教えてやる。それからギルドで依頼を受けよう」


 猟師ギルドは、森の中で狩った獲物の買い取りの他に、害獣の討伐なども含めた依頼なんかも張り出されている。

 猟師は魔獣限定の戦力みたいにみられることも多いため、そういう依頼が来ることも多い。


「狩りの基本ですか? 罠なら何とか……」

「弓や斧の扱いも覚えた方が良いぞ。森の中じゃ便利な得物だ」

「えー、じゃあ、それで」


 正直、気は進まない。弓の扱いを教わろうとした瞬間、ミュトスが嬉々として俺を呼び出す可能性がある。

 それをグラントに見られると、俺は急に弓が上手くなったように見えるだろう。

 それは明らかに異常だし、何より呼び出された結果、どんな苦行を課せられるか分かったものではない。

 だが、ここであまりに固辞するのも、またおかしい。

 俺は覚悟を決めて、この申し出を受けるしかなかった。


「決定だな。じゃあ俺んちはこっちだからよ。また明日」

「ええ、また明日」


 グラントと別れ、教えられた通りに、通りを右に進む。

 その先に大きな建物があり、そこには宿を示す介の字に似た模様の看板が掲げられていた。

 識字率があまり高くない時代では、看板の絵でその建物の商売を知らせていたと聞く。

 俺は宿の門をくぐり、受付へと足を進める。


「すみません。宿泊、できますか? 一人部屋で」

「いらっしゃい。前払いにしてもらいますけど、何泊予定です?」

「とりあえず一週間ほど」


 受付には小綺麗に身なりを整えた中年が座っており、胸に店主と書かれたネームプレートを付けていた。実に丁寧な話だ。

 俺は金貨一枚を取り出し、受付にいた店主に手渡す。


「ちょっと待った、これなら一か月は泊まれちまう。釣りを用意するからしばらく待ってください」


 急に大金を出されて、主人も慌てたのだろう。口調が微妙に乱れていた。

 主人は深呼吸してから別途革袋を用意し、そこに銀貨を詰め始める。

 どこかからともなく銀貨を取り出していたので、おそらくは収納魔法を使っているのだろう。


「部屋は二階の奥から二つ目の二〇二です。夕食は付けるが他はありません。必要なら外で食ってきてください。あと湯が必要なら言ってくれれば運びます。代金として五ラピス貰いますが」

「了解しました。夕食の後で湯を貰えますか?」

「分かりました、後で用意しておきます」


 釣り銭と部屋の鍵を受け取り、俺は部屋へと向かった。

 部屋は綺麗に清掃されており、ベッドも清潔そうだ。これなら良く眠れそうだった。

 商人用というだけあって、粗悪な部屋は用意できないというところか。


 靴を脱いでベッドの上に横になり、ようやく俺は一息つくことができた。

 この世界に来ていきなり猪に追い掛け回され、崖から落ちて死ぬ思いで訓練を受けた。

 翌朝にはグラントに保護されて、この村に到着……したと思ったら、大金を手に入れてドン引きしたまま商業ギルドを後にした。

 思えばたった一日程度で、凄まじい急展開だ。


「ま、それもしばらくの間だけさ」


 この村で腰を落ち着け、安定した生活を送れるようになれば、ミュトスの呼び出しも減るに違いない。

 しばらくして、宿の主人が夕食の準備ができたと呼びに来てくれた。

 出された夕食はやや薄味だったが、胃に優しい味で、沁み込むような美味さを感じさせてくれた。

 やや肉が足りない気がしたが、これは俺が若いというのもある。

 胃袋を満たすとまた部屋に戻り、主人に湯を頼んで身体を拭いてから、この日は眠りについたのだった。

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