第5話 神トレ第二章
俺に向けてにこやかな笑みを浮かべながら、ミュトスは手を空に掲げる。
その先に唐突に巨大な岩が出現していた。
「ちょ、さすがにそれは無理! 無理無理無理無理!!」
涙目になって俺は泣き叫ぶ。それもそのはず、岩の大きさはどう見ても、先ほど衝突寸前だった物よりも大きい。
「大丈夫です。ここでは死んでも死にませんから」
「精神的に死ぬわぁ!」
「それも治しますから、安心してください」
「できるかぁ!?」
叫んだところで、この場には逃げ場などない。
そもそも、そんな俺を見て愉悦の表情を浮かべているミュトスから、逃げられるはずもなかった。
「えいっ!」
その掛け声はとても可愛らしく、不慣れな様子で腕を振り下ろす姿は思わず頬が緩むほどに愛らしかった。
しかしその結果としてこちらに飛来する巨岩は、到底笑えない。
笑えないまま……俺の頭は粉々に粉砕された。
「ハッ!? 死んだ!」
「失礼な。生きてますよ?」
次に目を覚ました時、俺の身体は傷一つ付いていなかった。
どうやら、この空間では『死んでも死なない』というのは、本当らしい。
俺はミュトスに膝枕されており、彼女はすました顔でこちらの間違いを指摘してくる。
だが、その飾り気の多い服装のそこかしこが乱れており、しかも頬を上気させた状態となると、俺が死んでいた間に何をしていたのかは推して知るべしだろう。
その様子は俺から見ても興奮を覚えるほどに、艶を帯びている。後頭部から伝わる体温の温かさも、その情欲に追い打ちをかけてくる。
俺の視線を察し、ごまかすように彼女は胸元を押さえつつ身をよじる。結果的に俺の頭は地面に落ち、それを見て彼女は立ち上がって拳を突き上げた。
「目を覚ましたことですし、次行きましょうか!」
「いや、よくないから。それより休憩がてら、聞きたいことがあるんだけど?」
「なんでしょう?」
「どうして俺は、森の中に転送されたんだ? 人里に送ってくれても良かったじゃないか」
これは転生した直後から疑問に思っていたことだ。せっかくミュトスと再会できたことだし、この機会に聞いておこうとは思っていた。
ミュトスは俺の質問を聞き、露骨に視線を彷徨わせ始める。
「いや、それは……」
「怒らないから言うてみ?」
「……実は私、苦しむ――いえ、苦難に抗う人の姿が大好物――いえ、とても好ましく思っておりまして」
「知ってる」
「なぜ、それを!?」
俺の言葉に『驚愕』という感情を体全体で表現して後退る。
しかしそんなものは、前回の毒を盛られた時にすでに判明していたことだ。
「コホン。まぁその、どうせそのうちトレーニングするのなら、なるだけ早い方がいいだろうと。森の中なら試練てんこ盛りですし。それに私もまたお会いしたかったので」
もじもじと指をこねくり回す様子は、トレーニングの経験前なら一目惚れするレベルの愛らしさがあった。
しかしこの女神の言う『俺と会う』は『俺の苦しむ姿が見たい』なので、素直に喜ぶことができない、
「うん、このクソ女神。元に戻せ」
「できません。変容を元に戻すということは、習得したスキルを自在に取捨選択するという行為にも繋がりかねませんので」
確かに必要なスキルを覚え、用が済んだら巻き戻すことによってそのスキルを捨てるということも可能になる。
その利点や欠点については様々な状況があるだろうが、一般的に見てそれが反則であることは想像に難くない。
ただでさえ、ミュトスのコーチという反則的な加護を貰っているのだから。
「ぐぬぅ。じゃあ俺はこの先もずっと森の中でいるってことか?」
「いえ、すぐ近くに村がありますよ。私そこまで鬼畜じゃありませんから」
「説得力が無いな」
「失敬な。それにあなたが死んだら、また寂しい流れ作業に戻らないといけませんし」
「一見すると嬉しい言葉だが、俺を痛めつける気満々なのが気にかかるな」
「重ね重ね失敬な。会いたかったのは本当ですよ。こうして二度も会うことなんて、今までにありませんでしたから」
「…………」
しれっとそんなことを言ってくるミュトスを、俺は
字面だけを見ると、彼女の言葉は恋い慕う相手の逢瀬を待ち侘びるかのような内容。しかしその後に待っているのは地獄の特訓だ。
だがそれをクリアしないと、俺は元の世界に戻った時に死ぬ。
「まぁ、いっか」
「そうですね。ではそろそろ特訓に戻りましょうか」
ミュトスが立ち上がり、そこで俺は自分の置かれた状況を思い出した。
簡単に了承の言葉を漏らしてしまったが、それはまた『顔に岩をぶつけ続けられる』という意味である。
「あ、いや、もう少し……」
「そんなことじゃ、いつまで経ってもここから出られませんよ?」
「でも、さすがにその、命がけの修行とか」
「死にませんから、命かけてません」
「お願いだから……」
その一言は、彼女に取って、火に油を注ぐ一言だった。
涙目になって懇願する俺の姿は、彼女の嗜虐心に大いに火をつけてしまった。
ニタリ笑い、容赦なく振り下ろされる腕。そこから繰り出される、巨岩の一撃。
結局俺は、この空間から出るまで、数えきれないほどの死を経験したのだった。
何度死を繰り返したのか分からないほどの、苛烈な特訓。
それを乗り越え、ようやく俺は頑強というスキルを手に入れた。
せめて肉体系の
妙にすっきりした顔のミュトスから送り出された俺は、ようやく現実の世界へと舞い戻った。
そこはすでに懐かしさすら感じる崖の途中。
眼前に迫る崖下の巨岩。刹那の時間だが、俺はその状況を思い出すのに、僅かなタイムラグを起こしてしまった。
しかしそれもまた、ミュトスの訓練で対応可能だ。彼女は不意打ち的に巨岩を撃ち出すこともあったのだから。
俺は慌てず、焦らず、落ち着いて額を石に向けて突き出した。
ゴッ、という、人が出してはいけないような衝突音が鳴り響く。
俺の額は割れ、少しばかり血を流す結果になったが、頑強スキルのおかげで致命的な怪我は負っていない。
そもそも落下速度なんて、ミュトスの繰り出す巨岩の速度に比べれば、ハエが止まって見えるほど遅い。
おかげで俺は、動体視力なんてスキルも取得していた。
これは副産物的に覚えたスキルなのだが、動く物を的確に識別できる能力らしい。
ともあれ、着地に成功した(?)俺は、そのまま一回転してすぐさま体勢を立て直した。
同時に俺が落下した岩がぱっくりと二つに割れる。本当に岩より硬くなったんだな、俺……それはともかく!
この段階で、俺は転移前の状況、すなわち大猪に追われていたことを思い出していた。
岩に落ちて死亡するという未来は抜け出せたが、猪に襲われて死亡するという可能性がまだ残っている。
しかし頑強スキルを覚えた今なら、対抗する術も見つかるかもしれない。
「ブキィィィィィィィィィィ!」
直後、俺を負って崖から飛び出した猪は、俺と同じように半回転しつつ岩の上に落下していった。
普通に岩に落ちただけなら、猪も無事だったかもしれない。
しかし、猪が落下していった先にあったのは、二つに割れた大岩。
つまり割れ目の部分が鋭く尖った、三角形の形状に変化していた。
ゴギッっという、何かがへし折れる音が、大猪の背中から響いた。
大猪はその身体をくの字に曲げて、割れた岩の隙間へとずり落ちていく。
それはどう見ても、背骨が折れた猪の姿だった。
どうやら岩の尖った部分が大猪の背中にブチ当たり、背骨を真っ二つにへし折ったらしい。
「へ?」
そのまま割れた岩に挟まるような形で固定され、宙に浮いた状態でびくびくと断末魔の痙攣を起こしている。
ほとんど大猪の自滅に近い形だが、これは勝利したと判断していいのだろうか?
とりあえず俺が生きて猪が死んだ以上、俺の勝ちとしても問題はない気がする。
だが、この展開はあんまりだ。
俺は身構えたまま、目の前で血泡を吹いて絶命している大猪を眺め、しばし呆然と立ち尽くしていたのだった。
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