第3話 神様のトレーニング

 俺の申し出を受け、女神は顎に指を当てて少し考えこんでいた。

 それを見て俺も不安になる。


「ダメ、かな?」

「いえ、初めて聞いたお願いでしたので。しかしこれは……私としても興味深い申し出です」

「興味深い?」


 俺の疑問に女神は口の端を小さく吊り上げて笑みを浮かべる。その微笑はどう見ても悪役のそれです、ごちそうさま。


「はい。今までは一期一会というか、加護を与えて送って終わりでしたので。この申し出だと、何度もあなたと会えるじゃないですか。それは凄く新鮮に感じます」

「そうなの?」

「ええ。『私の力をくれ』とか、『特典を自分で作って付与できる能力をくれ』とか、そういう人はいましたけど」

「それはなんとも……」


 要は何度も願いを叶える力をくれと申し出たわけだ。『願いの数を無限にしてくれ』という小学生がよく口にする理屈と同じだ。

 まぁ、俺も似たような願いを申し出たので、人のことは言えない。


「そうですね。一つ私の願いを聞いてくれるのなら、その願い叶えて差し上げましょう」

「え、いいの? 寿命とかどうなるのかな?」

「ええと、スキルもタレントも与えず、あくまであなたの努力を私がサポートするという形になるので、減らさなくてもいいです」

「やったぜ!」


 小躍りして喜びを表現する俺。それを見て、神様はにっこりと微笑む。


「お願いというのはですね、特殊な案件になりますので、契約の魔法を結ぼうと思うんです。いいですか?」

「ああ、ぜひお願いする」

「それではこちらに一筆お願いします。あ、日本語でもいいですよ」

「まるで契約書にサインするみたいだな」

「サインすると術式が起動して燃えますので注意してくださいね」

「うぉ、マジかよ!?」


 神様がクリップボードのような物に挟まれた書類をこちらに差し出してきたので、それを受取ろうとしたがその手が一瞬止まってしまう。

 それを見て、イタズラ成功と言わんばかりに快活な笑顔を浮かべる神様。

 その笑顔はハッとするほど愛らしい。正直反則だ。


「大丈夫ですよ。燃えますけどあなたには被害は出ませんから」

「そういうのは先に言ってよ」


 少し膨れっ面してしまったのは、大人げなかっただろうか。彼女のような美少女の前では、少し恥ずかしく思う。

 しかし、コーチをしてもらえるというのは、考えてみれば今後も彼女と共にいられるということだ。

 それはそれで、今から楽しみでもある。


「あ、サインできましたね」


 彼女が言うと同時に俺は書類にサインし終わり、同時に書類が燃え上がる。

 その炎は、俺には一切熱さを感じさせず、瞬く間に燃え尽きてしまった。

 ふと思い返してみれば、俺は書類の内容をほとんど確認せずにサインしてしまっていた。

 これは正直、迂闊な行為だったかもしれない。だが、彼女が詐欺紛いの行為を行うとは思えないので、そんなに問題は無いだろう。


「これで契約は完了です。異世界において、あなたがスキルを覚えたい時や、危険な状態になった時、あなたが無事切り抜けられるスキルを覚えられるように、私がコーチしてあげます」

「危険な時もしてくれるの?」

「ええ。私のサポートですからね。絶対です」

「そっか、ありがとう。えっと……」


 そこまで行って、俺はまだ、この神様の名前を知らないことに気が付いた。

 それは神様も同じだったようで、少し恥ずかしそうに名乗りを上げる。


「あ、自己紹介がまだでしたね。私の名前は創世神ミュトス。一応異世界の最高神ということになってます」

「世界の管理とか言ってなかった?」

「そりゃ、自分が作った世界ですもの。管理するのも責任の内です。たまに変なのが沸いちゃいますけど。邪神とか」

「ちょっと!?」

「いや、その対抗手段として魔法とかいろいろな力も与えてますから! 直接干渉できない決まりも作っちゃったので、色々面倒ですけど」

「そう? ならいい……のかな?」


 そもそもトラブルが起きないようにしてくれるのが一番なのだが、神の世界の事には口は出せない。

 首を傾げる俺に向け、神様――ミュトスは小さなカップに入った液体を差し出してきた。


「ん、これは?」

「異世界ですからね。水でお腹を壊すとかあるかもしれません。ですから、まずは病気や生水などに耐性を取る必要があるでしょう」

「異世界に行った人間は、最初にその苦しみを味わうってわけ?」

「普通だと少しお腹を壊すだけですね。私がコーチするからには、ちょっとやそっとで壊れるお腹になってもらっては困ります」

「万全のサポートだね」

「とうっぜんっですっ!」


 胸を張ってドヤ顔してる女神がコーチとか、俺は恵まれているな。

 そう思ってカップの液体を口にする。これで病気や毒に耐性が持てるなら、ありがたい限りだ。

 しかしそれは、一瞬の気の迷いに過ぎなかった。

 急激に痛みを覚える腹、ぶるぶると揺れる眼球、手足には力が入らず立っていられなくなった。


「な、なに、こ、れ――」

「ちょっとやそっとでへこたれない身体を作るために、毒を盛りました」

「なん――で……」

「この毒に耐えれるようになったら、汚水や泥水を飲んでも死にはしない身体になれますよ!」

「なに、いって、あんた……」

「ああ、脂汗を浮かべて耐える姿の、なんといじらしいことでしょう。私、興奮してしまいます!」

「ちょ、お前……なに……」

「そうそう、ついでにここでの特訓を完了するまで、ここから出られませんからね。もちろん、これも先の契約書に記載されていたことですが」


 前言撤回。なんて腹黒女神だ、こいつ! しかもドS属性まで持ってやがる。

 そう後悔してもすでに遅い。俺の身体から脂汗やらは大やら小やら漏れ始め、しかもそれを認識しながらも身動き一つ取れなかった。

 全身を襲う激痛と、身体の内側から襲い掛かる腹痛。視界は定まらず、汗があふれ出し、舌が震えて言葉も発せられない。

 ミュトスはそんな俺を陶然とした表情で眺めている。いや……その手が胸元に伸びてないか?

 まさか……と思って顔を上げようとしてもそれは叶わず、やがて俺の意識は闇の中へと沈んでいったのだった。




 次に目が覚めた時、俺は森の中に一人で放り出されていた。

 足元の雲も、青い空も、燦々と降り注ぐ太陽も、ドSなエロ女神も存在しない。

 代わりに木々の間から、三つの月が空に浮かんでいるのが見て取れた。

 しかもそれぞれ黄、紫、水色の月。明らかに地球の物とは違う。


「本当に異世界に来たんだ……って、森!?」


 ポツンと森の中に一人。服装も学生服のみ。

 俺は特典スキルのみ手にした状態なので、身を護るすべなどない。

 巨大生物とかもいると聞いていたので、もし襲われたらと思うと気が気ではない。


「マジで!?」


 月に気を取られて上ばかり見ていたが、改めて周囲を確認する。

 木々で視界が遮られ、民家の明かりすら存在しない。

 もちろん周囲に人の気配はなく、代わりに何やら奇怪な声で鳴く動物の声が響いている。

 明らかに危険な気配が充満している。

 俺はその状況を把握し、理解し、そして叫んだ。


「こんなの詐欺だ、クソ女神ィィィィィ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る