第21話 エーデルロンドの憂鬱
「ふぅ……」
「お疲れ様です。エーデルロンド様……」
一つ大きな仕事を終えて、深夜の執務室で息を吐く。
今は自分と弟子のルイアンの二人しかいなかった。
少し前から仕事が多すぎて処理しきれないから、と言ってルイアンにも仕事を手伝わせることにしたのだった。
最初は乗り気ではなかった彼女に、
「陛下に顔を売っておけば私の後任の主席魔法使いにしてもらえるかもしれませんよ」
と餌をチラつかせたら、おとなしく手伝ってくれるようになった。
主席魔法使いになるものが魔法使いとして優れていることは重要だが、それだけでは務まらない。
仕事には王都周辺の魔法使いの管理や、危険な魔法を取り締まる法律の草案を作ったりなど、魔法に関わる事務作業全般が含まれる。
今のうちに慣れていて損はないだろう。
「今は師匠でいいですよ」
「はい、師匠……それにしても仕事が多すぎませんか……」
「仕方ないでしょう。いきなり王都を移すとなれば……」
「どう考えても私と師匠の二人でこの量の仕事をこなすのは無理じゃないですか?」
私とルイアンがこれだけ忙しい思いをしているのはもちろん王都が移されることになったのが原因だが、他にも理由がある。
レイン様が国王に就任してから大半の貴族が自領に引き上げてしまったのだ。
そもそもアイルゴニストの貴族たちには大きく分けると三つの派閥があった。
親国王派、反国王派、中立派の三つだ。
国の中枢に入り込めない田舎貴族が中心の反国王派はもともと前王の方針に対して異を唱えることが多かった。
ハーフレイルとの戦争でも、第一王女リーリア様をレイン様に差し出すという決定を口実に戦場から兵を引き上げるなどはっきりと対立していた。
しかし、自領に引き上げたのは反国王派だけではなく、親国王派の貴族も同様だった。
リーリア様と事実上婚姻状態にあるとはいえ、王位継承権がないレイン様が半ば無理やり王位を継いだことに対して快く思わない者が多かったのだ。
それまで親国王派だった貴族であってもそのまま従うというわけにはいかなかった。
貴族が爵位を継承する際には血筋の正当性を非常に重んじる。
そうでなくてはどこの馬の骨とも知らぬ輩に家を乗っ取られる可能性があるからだ。
レイン様を支持することによって自分の家の将来が危うくなるかもしれない。
そう考えた貴族たちがレイン様に背を向けたのは当然だろう。
そのようなごたごたによって王国の要職に就いていた者たちが一斉に離れた結果、私にしわ寄せが来ているのだった。
ただ、反国王派と親国王派が手を組んで軍を動かすという可能性が皆無であることはありがたかった。
仮に軍を動かしたところでレイン様1人に壊滅させられて終わりなのだから。
逆に言えば王位を継承したのがレイン様でなければ私はしっぽを巻いて逃げ出していただろう。
「さすがにこの量は物理的に無理ですね。ガンダロン伯爵にお願いして優秀な人を回してもらいましょう……」
私はため息をついてルイアンにそう告げる。
王城に残った貴族は少ない。
そのうちの一人が中立派のガンダロン伯爵だった。
顔が広く、話が分かる人でいろいろ融通を利かせてくれる。
彼のおかげでレイン様就任後の混乱をひとまず乗り切ることができたと言っても過言ではない。
まだ若いながらも中立派の中心人物の一人である彼には助けられてばかりだ。
今王城に残っている貴族たちは中立派の貴族が多いため、彼の力も強まっているため今後も頼ることになるだろう。
「親国王派や反国王派とは異なり、派閥争いとは距離を取って自分の職務を全うする者が多いからしがらみが少ないのだ」とガンダロン伯爵は笑いながら語っていた。
「ルイアン、あなたはもう帰りなさい」
「はぁ……それでは失礼します、師匠」
「おやすみなさい。気をつけて帰るんですよ」
遅い時間なのでルイアンを家に帰して私はこのまま執務室で寝ることにした。
気をつけて、なんて言って送り出したが私は微塵も心配していなかった。
ルイアンは一見するとか弱い女の子だが、王都で彼女に勝てる人間はいないだろう。
ベッドはないので来客用のソファの上で寝ることになる。
一週間のうち家に帰れる日のほうが少ないぐらいなので、この硬めのソファで寝ることにはもう慣れてしまった。
『洗浄』の魔法で身体の汚れを綺麗にする。
こういうときに魔法使いで良かったなぁと強く感じる。
今の魔法使いは戦いの道具として使い潰されている。
戦場に駆り出され、他国との戦争や魔族との戦いの中で疲弊し、死んでいく。
そういう魔法使いのあり方を変えたいと昔からずっと思っていた。
『洗浄』の魔法に限らず、日常場面で役立つ魔法はたくさんある。
私は、生活に役立つ魔法を使って民衆の暮らしを楽にすることができるはずだ、とずっと思ってきた。
むしろそれこそが魔法使いの役目なのだと。
そのはずなのに、主席魔法使いになってからはどうでもいい書類仕事に忙殺されるだけで何もできていなかった。
「それでもレイン様なら……」
あれだけ独創性に富んだ強大な魔法使いなら、魔法使いのあり方を変えてくれるはずだという確信があった。
先日も『隔絶』された空間に対して『加速』の魔法をかけて作物の収穫を早めるという人間離れした芸当をやってのけたばかりだ。
そして、ついには魔法を物体に封じ込めることに成功した。
燭台の上に置かれていた光明石を手に取ってじっと眺める。
握りこぶしより少し小さいその石は部屋全体を照らすほどの光を放っている。
元は回光石という硬いことで有名な石らしいが、レイン様によって『光明』の魔法が封じ込められたことで光を放つようになったと聞いた。
先日、所用を済ませるためにこちらにやってきたレイン様から直接手渡されたものだ。
私がこれまで見た「魔法の道具」は子ども騙しのおもちゃにすぎなかった。
触るとひんやりする『冷気』鎧とかそういう類のものである。
『冷気』の本来の効果が発揮されていたら、その『冷気』鎧を装備した人間は凍死するだろう。
魔法を封じ込めた道具は魔法使いが実際に発動する魔法と比べて遥かにその威力が低かったのである。
しかし、この光明石は魔法使いが発動する『光明』の魔法と遜色ない明るさである。
「はぁ……」
思わずため息をついてしまう。
『光明』の魔法など、魔法の中でも初歩中の初歩である。
魔法使いを名乗る者で使えない者などいないだろう。
それでも『光明』の魔法を部屋の明かりとして使うために石の中に封じ込めようなんて考えたものは居なかったに違いない。
考えたところで出来なかっただろうが。
「そうやってあなたはいつも私に嫉妬させる……」
私がレイン様の魔法を初めて見たのは2年前だった。
――1人で魔王を討った勇者だってさ
――まだ十八の若造だとか
――七聖の弟子って聞いたぞ
魔王をたった一人で討った勇者。
数千、数万の軍勢を動かせば魔族を狩ることだって不可能ではない。
数で勝る人間が、数の力で魔族を倒すのは戦術の基本だ。
かつて私も従軍して魔族を狩ったことがあった。
数千の兵や優秀な魔法使いを犠牲にようやく勝ったあの苦い記憶が蘇る。
魔族は身体能力が高い。
人間より強靭な体によって繰り出される攻撃は鎧や盾を容易く破壊する。
それでも疲労はするし、傷つけばそのダメージは蓄積する。
圧倒的な数で囲んで叩くという戦術は犠牲も大きいが有効だった。
軍が維持されているのは人間同士の戦争に備えるためだが、同時に魔族に備えるためでもある。
しかし、どんなことにも例外はある。
稀にたった1人で魔族と戦うものが現れるのだ。
魔族は人間の天敵である。
人を殺し、物を奪い、街を破壊する。
多くの人間が死ぬと復讐を誓うものは当然出てくる。
大半は軍に参加して魔族との戦闘でその生命を失うだけだが、極稀に1人で魔族を狩ることができるほどの力を持ったものが現れる。
そういうものは勇者と呼ばれるようになっていった。
幾人もの勇者が魔王に挑んだ。
しかし魔王を倒すことはできず、せいぜい取り巻きの数を減らすにとどまっていた。
多くの勇者が破れ、その命を落とした。
魔王を倒す者など現れないと誰もが諦めかけていたとき、レイン様が魔王を倒したのだった。
魔王が滅ぼされたということを私が聞いたとき、平和になることに喜びはした。
しかし、私は心の中で「18の少年が魔王を倒した?それがなんだ?」と思っていたのだ。
魔法の技量で私に勝てるはずはない、と
私は生まれたときから圧倒的な魔法の才能を持っていた。
五歳にして同時魔法発動数は三だったのだ。
すぐに私より優れた魔法使いはいなくなった。
仕方なく私は魔法書を読んで独学で研鑽を積んだ。
私に教えを請う者がいても、私に教えることができる者などいない。
私に魔法で敵う者など「七聖」くらいのものだろうと天狗になっていたのだ。
そう思っていた私の鼻をへし折ったのがレイン様の魔法だった。
二年前に王城で開かれた魔王討伐を祝うパーティーに参加した私は、レイン様の魔法の凄さを目の当たりにした。
余興として氷の鷲をまるで生き物のように動かしてみせたのだ。
魔法が凄いのではない。
魔法を操るレイン様の技量が凄かったのだ。
使っている魔法は『氷結』『空断』『浮遊』『湾曲』など単純な魔法だった。
しかし、いくつもの魔法を同時に発動し、固い氷が生き物であるかのように見せかけられるほど繊細な魔法操作ができる人間など私は初めて見た。
魔法使いとして独り立ちして以降、私より優れた魔法使いに会ったのはそのときが初めてだったのだ。
私は生まれて初めて嫉妬を覚えた。
そしてハーフレイルとの戦争のときに気がついた。
『支配』の魔法は私でも使える。
それほど難しい魔法ではなく、初級魔法と言っていいだろう。
それでも確実に『支配』するのであれば人間一人がやっとだ。
魔法使い相手だと1人を『支配』するのですら確実とは言えない。
保有する魔力の量によって成功確率が変動するからだ。
二十万人を一度に『支配』したと聞いたとき、嫉妬することすら間違いだったのだと気がついた。
彼は普通の人間では到底辿り着けない領域にいるのだ。
私は普通の人間の中では優れているかもしれないが、それでもレイン様と比較すると大人と子どもぐらい違う。
昔の私ならその領域に辿り着けたらと夢想したかもしれないが、今の私にはそんな考えは出てこなかった。
私は彼が世界をどう変えていくのかを見てみたい。
彼に対する期待が私の心の大部分を占めていた。
それでも私に彼ほどの技量があったのならと、花の棘ほどの小さな嫉妬は今でも心に刺さり続けている。
だが、私が彼に追いつくことはできないだろう。
そんなことを考えていると、疲れていた私の意識はすぐに眠りに落ちていった。
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