第3話 始動(3)


「自己紹介せい」


 ソフィーそっくりの女に対してルクリウスが発した言葉で、思い出に浸っていた俺は我に返った。


 フードの下の顔はソフィーに似ていた。

 だが、ただそれだけだ。

 ソフィーは死んだ。


「リーリア・キュルム・カイル・フィン・アイルゴニストと申します」

「レインだ……アイルゴニスト?」


 アイルゴニストと言えば真っ先にここアイルゴニスト王国が浮かぶが……


「アイルゴニスト王国第一王女じゃと」


 ルクリウスは眼鏡を外すと、でかい乳の間から取り出したハンカチでレンズを拭く。

 光にかざして綺麗になったことを確認してからもう一度かけ直していた。


「……なんで第一王女様をこんなところに連れてきた?」


「王から頼まれてのう。娘をやるから助けてほしいそうじゃ」


 どういうことかわからないが、話を聞くまでもなく面倒なことなのはわかった。

 そもそも俺の命を狙った王の娘なんかと関わりたくもない。


「いらん。連れて帰れ」


「気になるじゃろ? なんでこんなに似ているのか」


「……なんのことだ」


 俺はルクリウスの言葉に怒りを覚えた。

 ただ顔には出なかったはず。

 それでも魔力が膨れ上がっているのは隠すつもりもない。


「王女を引き取るという約束をしたら教えてやる」


「どうでもいい……俺には関係ない」


「ほう……じゃあ殺すか。お主が引き取らなかったら儂が自由にしてよいという約束でな。まあ生かして返したところで、な……儂が始末してやるのもやさしさじゃろうて」


「……」


「どうするのがいいじゃろうな~?」


 ルクリウスは残忍な笑みを浮かべる。


 はったりではなさそうだ。

 ルクリウスは理由もなく人を殺すタイプではないが、理由があるなら躊躇なく殺す。


「……わかった。引き取ろう」


「くくく……最初からそう言えばいえばよいのに」


「ソフィーと似ている理由を教えろ」


「いいじゃろう。腹違いの妹ということらしい」


「……」


 なんとなくわかっていた。ここまで似ているのなら血縁者だろう、と。


「王の子を孕んだメイドを愛人にでもすればよかったじゃろうが、もうすぐ正妻に子どもが生まれるときでタイミングが悪かったとか言っておったな」


「……それは本当なのか?」


「まあ儂は王宮の事情など知らんが嘘でもないだろう。多少の金を渡して事情を知っていた庭師とリクリエト村に行ったのまでは向こうも把握しておった」


「……そうか」


 知ってしまえば腑に落ちる点があった。


 リクリエト村はひどく貧乏というわけでもなかったが、それでもいきなり子どもが一人増えても大丈夫なほど余裕がある家は少なかった。

 それなのに血縁でもない俺をあっさり引き取れたのにはそういう裏事情があったわけだ。


「まあいい……それで王の頼みってなんだ? 俺のこと殺そうとしたくせに頼み事ができる面の皮の厚さには感服するが」


「ふむ……アイルゴニスト王国とハーフレイル王国が戦争になった話は知っとるか?」


「知らん」


 2年近くこの山に引きこもって誰とも合わない生活をしていた俺が知っているはずがなかった。


 ハーフレイルはアイルゴニストの東にある王国だ。

 国の規模としてはアイルゴニストと同程度だったはず。

 両国の関係はそれほど悪いわけではなかったと記憶していた。


「なんでハーフレイルと戦争になったんだ?」


「飢饉で民を養いきれんからじゃ」


 ハーフレイルはアイルゴニストとアガリオン山脈の中間に位置しており、豊かな水と広大な土地を使った農業が盛んな国だ。

 しかし『疫病』による労働人口の減少とここ数年の異常気象による収穫量の減少によって食うや食わずというところまで来ているらしかった。


「問題は魔王が死んだということじゃな。これ以上『疫病』によって人口が減る心配はない。子どもが生まれたり、もっとひどい状況のアガリオン山脈の東から山を超えて逃げてきたものもおる。去年あたりから人は増え出しているそうじゃ。死ぬ数が減ったらそりゃ増えるじゃろうて。しかし一度減った食料の生産は急に増やすことはできない」


「……俺のせいか」


「間接的にはな。このまま行ったらジリ貧なのは目に見えておる。他の国と戦争して人口を減らしつつ食料や富を奪おうという狙いもあるじゃろうな。金さえあれば他国から食料を買い付けることだってできる」


「……」


 どうでもいい、とは言えなかった。


「……くそったれな王様はなんで俺に助けを求めた?」


「数に差があるからじゃろう。展開している軍勢はアイルゴニスト7万に対してハーフレイルは13万。ふつうに戦ったら負けるのは目に見えている」


 戦力差は倍近い。

 これで勝つのはよほどの奇策がないと無理だ。

 ただし、勇者であれば、数万の軍勢の差を埋めることだって不可能ではない。


「陵辱と略奪の限りを尽くされるじゃろう。どちらも余裕はない。戦いに負けたらすべてを奪われる。富も命も尊厳も。それはハーフレイルも同じじゃ」


「お願いします勇者様……! 私はどうなっていいですから……アイルゴニストの民をお守りください……!」


 これまで一切口を開かなかった王女様が必死の形相で俺に訴える。


「……それで? 自分と引き換えに十三万人を皆殺しにしろと?」


「……そんなことは」


 王女様は戸惑ったような顔をして俯く。

 

「同じことだ。自分一人には十三万人と同じ価値があると? さすがは王女様だな」


 自己犠牲のつもりか?

 俺は笑ってしまった。

 民のために犠牲になる自分に酔っているのだろう。


「身を守りたいなら好きにしたらいい。俺の力を借りずに自分でどうにかしろ」


「……私はアイルゴニスト王国の第一王女です。アイルゴニストの民のことを一番に考える義務があるのです。勇者様のお力をどうかお貸しください」


 涙で潤んだ目でこちらを見ながらはっきりと言い切った。


 意外だった。

 もう少し怯むかと思ったが、ただの温室育ちの王女様というわけでもないらしい。


「どうするんじゃ?」


「……こんな女はいらない……が、民を見捨てたくはない」


「話は決まりだな。血の誓約を結べ」


 ルクリウスが嬉しそうに言った。


「……そこまでする意味があるのか?」


「儂が持ってきた話じゃからな。誓ってもらわねば困る」


 血の誓約。

 魔法契約の一種であり、かなり強力なものだ。

 誓約者は誓約主に対して絶対の服従を誓う。

 反抗を繰り返すと死をもって償うことになる場合もあるため、ほとんど使われることはない。


「……私は結びます」


 真っ直ぐ俺の目を見て王女様は言った。


「……いいだろう」


 本人が結びたいというのであれば拒否する理由はない。

 俺はナイフを使って王女の利き手の甲に丸と十字の傷をつける。


「私、リーリア・キュルム・カイル・フィン・アイルゴニストは魔王殺しの勇者レイン様に我が血にかけて服従することを誓います」


 傷口から青い炎が吹き出す。

 真っ白な肌を炎がじりじりと焼いていた。


 ナイフで付けた傷口は一瞬で塞がり、入れ墨のように青い線として残った。

 血の誓約は誓約主が破棄しない限り、誓約者側から解除することができない。

 血の誓約が解除されたときに印も自動的に消えるようになっている。


 こうして俺はアイルゴニスト王国第一王女リーリアと血の誓約を結んだ。


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