青き空、君想ふ

東雲一

「時が静止した日」

 もし、世界が明日で突然、終わりですって言われたら、僕だったらどうするだろうか。そんなこと考えたことは、正直、今までなかった。


 だけど、この日、考えざるを得ない状況になってしまった。明日、巨大隕石が地球に衝突しますなんてニュースが流れた。どうせ、フェイクかと思ったが、どこを探しても、フェイクなんて記事は見つからなかった。


 まじかよ.....本当に、巨大隕石が衝突するのか。そんなのあまりに突然過ぎる。


 現在の人類の技術力では、隕石の衝突を防ぐすべはなく、ただ、その時を待つしかないのが現状だった。確実に明日、僕の人生は終わりを迎える。


 明日、隕石が落ちるとなると、平和な日常を過ごせるのは今日だけだろう。


 隕石のニュースが流れたのは、早朝で、スーツに着替え、勤め先の会社に出勤しようとしていた時だった。こんな日に、会社に行く人は何人いるのだろうか。おそらく、あまり多くないように思う。そんなことを考えていると、上司から、会社が休みになったというメールが来た。そうか、やっぱり、そうなるよな。明日で終わるんだ。働いても、働かなくても、同じだろう。


 僕は、一人、アパートに住んでいた。最近、親はどうしているだろう。会社勤めになって、家族のもとを離れてから、会って話すことをしていない。久しぶりに親の元に行き、一緒に過ごしたくなった。明日で終わるのなら、もう一生、親に会えないということになる。それは嫌だった。


 急いで、スーツを脱ぎ、私服に着替えると、親の住む、隣の県に向かうことにした。いつもなら電車に乗って2時間くらいで行けるのだが、駅まで行ってみると電車は、動いていなかった。車道は、渋滞していた。皆、考えることは同じらしい。親に連絡して車に迎えに来てもらうこともできなさそうだ。


 僕は、徒歩で家へと向かうことにした。この貴重な一日を徒歩で、過ごしてしまうことになるが、不思議と、それもいいかなと思えた。


 徒歩で、向かったことがないから、どれくらいかかるのか、よく分からないが、半日はつぶれそうな気がする。


 僕は、独り身で、結婚はしていなかった。もちろん、結婚願望はあったけれど、残念ながら、ご縁が今までなかったのだ。明日、終わりとなると、僕は、独り身で一生を終えるらしい。


 そんな僕を、神様は哀れに思ったのか、この日、運命の出会いをした。といっても、遅すぎる出会いだ。


 僕が、線路沿いの歩道を歩いていると、青空を仰ぐ長髪の女性に出会った。彼女を見た瞬間、心がざわめいたのを感じた。僕は彼女を知っている。名前も顔も、その温もりもーー。


「佳奈なのか......」 


 僕は、彼女に向かってそう言った。彼女は、こちらに気づいて笑顔を浮かべると言った。


「田月くん、久しぶりね」


 彼女の浮かべる笑顔に僕は、顔が赤くなった。


「ああ、久しぶりだな。高校の時以来か」


 佳奈とは、同じ高校で同級生だった。高校生になって初日、周りは、知り合いと話すなか、僕は、一人、机に座り、寂しさをまぎらわすために、小説を読んでいた時、初めて、声をかけてくれたのが彼女だった。


 その時の、笑顔を忘れられず、恋に落ちた。だけど、僕は臆病な性格だったから、最後まで、彼女に思いを伝えることはできず、離れ離れになってしまった。今、思えば、彼女に告白をしていれば、何か今の生活も変わっていたのかもしれない。


「明日、隕石が衝突するのね。あまりに突然で全く、実感がないわ」


「僕もだよ。明日になったら、この周辺の景色も、なくなってしまうんだろうな」


「そうね、目に焼き付けておかないとね。田月くんは、今日、何しに行くの?」


「僕は、ちょうど、親のところに帰ろうかと思って、歩いているところだ。まだまだ、かかりそうだけど、最後くらい、親と過ごしたいなと思ってな」


「そうなの。親思いの田月くんらしい」


「佳奈は、今から、どこかに行くのか?」


 僕の問いかけに、佳奈は、少し戸惑いを見せた風だった。何かやましいことでもあるかのような、印象を受けた。


「私は......ダムに行くの。この近くに、ダムがあるから。気分転換にいいかなって」


「ダムか。この辺に、ダムなんてあったんだな。佳奈が、ダムに行くのは、なんか意外だな」


「そうかもしれないわね。田月くん、それじゃあ......、行くね」


 そう言って、佳奈は、寂しそうな表情を浮かべ、背中を向けて立ち去って行く。僕は、直感的に、佳奈が良からぬことを考えているのではないかと思った。親のいる家に向かう途中だが、少しの間、寄り道をすることになりそうだ。


 佳奈に見つからないように密かに、あとを追った。この予感が、ただの心配事で終わればよいのだが。


 佳奈が言っていた通り、ダムがあり、彼女は、ダムから勢いよく出る水流を眺めていた。水流を眺める彼女の目は、光を失い、虚ろな目をしていた。


 佳奈は、しばらくすると、ダムの塀を上り、目を閉じ、身を投げ出す姿勢をとった。嫌な予感が的中した瞬間だった。


「駄目だ!佳奈!それは駄目だ!」


 身を隠していた僕は、咄嗟に、彼女の手を掴んでいた。彼女は、相変わらず晴れない表情を浮かべ、驚く素振りも見せなかった。


「離して、お願い......」


 佳奈は、僕に、今にも消え入りそうな声で言った。


「いや、離さない。君の死ぬところなんて見たくはない」


「ねぇ、どうして?明日、どうせ、みんな、隕石が衝突して死んじゃうんだよ。明日、死ぬんなら、死に方くらい選ばせてよ!」


 声をあららげて叫ぶ佳奈は、泣いていた。何が彼女をここまで、追い詰めてしまったのか、俺には分からなかった。ただ、明日、隕石が落ちるからという理由だけではない気がした。


 佳奈は、僕の手を振り払おうとしたので、しっかりと手を握った。


「何で、佳奈は、自殺をしようと思ったんだよ?良かったら、聞かせてくれないか?」


 僕の手を振り払おうとしていた佳奈の動きが止まった。


「自分が許せなくなったの。私は、田月くんが思っているような女性ではないわ。だって、私、人を殺したんだもの」


「何だって、どういうことなんだ、それは......」


 佳奈が人を殺したなんて、にわかには、信じられない。正直、頭が混乱した。何の理由もなく、彼女がそんな野蛮なことをするとは思えなかった。


「私は、仕事をやめたの。他に、やりたいことがあったから、新しい仕事をしたいと思って。でも、簡単に、仕事にはつけなかった。何度も何度も面接に落とされたわ。それで父親と喧嘩になって、誤って殺してしまったの。私のわがままのせいで父親は命を落としてしまったの」


「でも、父親を殺そうと思ってやったことはないんだろ。今も、父親を殺してしまったことを悔いているじゃないか」


「それがどうしたっていうの?父親を殺したことにはかわりないじゃない。私は、自分が許せないの。明日、隕石で死んでしまっては、意味がないのよ。自分の手で、こんなろくでもない私の命を絶たせてよ」


「佳奈、それは卑怯だよ。君が、父親の命を奪ってしまったのなら、最後まで生きて、その罪を償うべきだ」


「明日、死んでしまうのよ。それでも、生きないといけないの?」


「佳奈の人生は、佳奈のものだ。本当は、口出しすべきではないのかもしれない。だけど、これは僕の願望なんだけど、君には生きてほしいんだ。僕のそばにいてほしい」


「な、なによ、それ!」


 佳奈の顔は、赤く染まっていた。

 俺は、なんていうタイミングで告白してしまったのだろう。咄嗟に、彼女になんとか生きてほしくて、ついて出た言葉が、彼女への告白だった。


 だけど、それが功を奏したのか、先ほど悲壮感が漂っていた彼女は、穏やかな表情を浮かべていた。何だかの心境の変化があったことは間違いない。


「はあー、なんか、あなたの話を聞いていると、自殺することが馬鹿らしく思えてきたわ」


 佳奈は、そう言うと、笑顔を見せた。彼女の笑顔を見て、僕も、顔を赤くした。


「じゃあ、諦めてくれるのか?」


「ええ、あなたのいうように最期まで生きてみようと思ったの」


 彼女は本心でその言葉を言っているように思えた。僕は、彼女を掴んだ手を離した。手を離しても、今の彼女なら大丈夫だと判断してのことだった。


 だけど、次の瞬間、僕は彼女を握る手を離してしまったことをひどく後悔した。


 手を離した直後、強風が僕たちを襲った。佳奈は、風に煽られて、バランスを崩し、ダムから身を投げ出すように落ちたのだった。


 このままでは、彼女は死んでしまう。そう思った時にはすでに僕は、彼女を助けようと自ら身を投げ出し、彼女とともに落下していた。


 佳奈は、僕が一緒に落ちているのを見て、あわてて言った。


「どうして、田月くんまで、落下しているの。私だけで良かったのに。だって、私はここからもともと落ちて死のうと思っていたんだから。田月くんが、一緒に死ぬことなんて、これっぽっちもないのに」


「自分でも分からない。気づいた時には、君を助けようと、身を投げ出していた。きっと僕は、君に死んでほしくないんだ。例え、この身を犠牲にしても」


「なにそれ、分からないわ」


 佳奈が、そう言うと、僕は優しく彼女を抱き締めた。


「君を死なせたりしない。僕がこのまま、下敷になれば、もしかしたら、助かるかもしれない」


「やめて、そんなこと」


「もう、僕は君のもとに飛び込んでしまった。どうせ、明日、隕石で死ぬんだ。最後くらいかっこつけさてくれよ」


「今のあなたに何を言っても、やめないのでしょうね。最後にあなたみたいに自分をこんなにも、愛してくれる人に出会えて良かった......」


 佳奈は、僕を抱き締めると、目を瞑り、僕の口元に顔を近づけた。唇に彼女のあたたかい感触が伝わった。こんな幸せの中で、命を失うのだ。隕石で、死ぬよりも、ずっと良い。


 僕も、目を瞑り、その時を待った。風を切るような音をたてて、僕たちは落下し、身体にものすごい衝撃が伝わったと思うと、水しぶきが上がる音がして、僕は気を失った。


 

 ※※※


 とてつもない衝撃を感じた時、確実に死んだなと思った。だけど、僕たちは、奇跡的に生きていた。かなり水流に流されたところで、佳奈が僕を助け出して、近くにあった神社まで運んでくれていたのだ。昨日、雨が降っていたから、水かさが上がり、落下距離が短くなっていたことが関係していたのかもしれない。それでも、僕たちが助かったのは奇跡的なことだった。


「生きてたな、僕たち」


「ええ、死んだかと思ったわ」


「だな。助かって本当に良かった」


「......やっぱり、私たち、明日になったら死ぬのかな」


「さあな。今は、あまり考えたくないよ」


「ねえ、ここ神社なんだけど、お祈りしていかない。明日、隕石が落ちませんようにって」


「いいな、それ、お祈りしよう」


 僕たちは、鐘を鳴らし、手を合わせると、お祈りをした。


 どうか隕石が落ちませんように。そして、二人で一緒に幸せな日々を過ごせますようにーー。


 僕は、佳奈の手を握りしめ、顔を赤らめながら言った。


「佳奈、もし、仮に隕石が落ちずに、二人無事だったら、僕と結婚してくれないか?」


 佳奈も、恥ずかしそうに顔を赤らめて、すぐに、返事がかえってきた。

 

「はい」


 彼女は、満面の笑みを浮かべていた。高校生になって、初めて、話しかけられた時の彼女の笑顔そのものだった。あの時が僕にとって最も幸せを感じた瞬間だったと思う。それが、今、この瞬間、何年もの時を経て、再び彼女の笑顔を見れて僕は本当に幸せだった。


 この彼女との幸せな瞬間に、僕はもうひとつ、心の中でお願い事をした。


 どうか、神様、このまま、時間を止めて、ずっと二人でいさせてくださいとーー。



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