第16話 アスティノミア

 あたり一面が静寂に包まれると遅れるようにして肉の焦げた臭いがユピたちの鼻腔をくすぐる。彼らの目の前には先ほどまで生きていた魔術師が黒焦げになって転がっている。黒焦げになった肉塊という凄惨な光景であるが、普段からそのような光景に慣れていたユピやレギナは黒焦げになった肉塊から視線を外す。しかし、このような戦いに不慣れなミューズは目の前に転がる肉塊を見て口元を抑えていた。


 つい先刻まで確かに生きていたそれは黒い肉塊となっており生前の姿など判別することができない。それどころか死の匂いが彼女の鼻腔まで漂ってくる。ミューズは耐えきれずに視線を逸らしながら口元を抑えるが、脳裏に焼き付いた光景はそう簡単には消えない。


 ミューズの姿を見たレギナが彼女を包み込むように抱きしめると、優しい手つきで彼女の頭を撫でる。慈母のようなレギナの手つきは不思議とこことよく、ミューズは次第に心を落ち着けていく。そしてミューズの心が落ち着いていくのと同じように異変に気付いた周囲の人々が集まってきた。


 先ほどまで周囲に展開されていた人払いの結界は術者の死亡とともに解かれており、昼時ということもあって人通りの多いことから野次馬が集まるのも時間の問題であった。ただし野次馬たちも次の瞬間には興味を示したことを後悔することになるのであるが。


 異変に気付き、歩みを止めて様子を伺いに来た人々の瞳に映るのは焦げ臭さを感じさせる黒い塊。すぐにそれが人の身体だと理解することはできなかったが、その肉塊を凝視していく内に薄っすらと残る人の面影から肉塊が人間だと認識する。


 その頃には目の前の凄惨な光景に耐えきれず蹲ってしまう者までいた。唯一の救いは野次馬の中に子供がいなかったことだろう。この時間、子供たちは学校にいるため街中にはいない。この光景は子供にはあまりにも刺激が強すぎる。とはいっても、黒い肉塊を見てしまった野次馬たちが三日三晩その光景に魘されるのは避けられないことであろうが。


 野次馬たちが凄惨な光景に気分を害していると、彼らの後方から白い制服に身を包んだ一団が姿を現す。


「どいた、どいた!」


 人混みをかき分けるようにしてユピたちの前に姿を現したのは白い制服に身を包んだ十人ほどの魔術師である。彼らはユピたちの前に転がる焼死体を見るとすぐに状況を察したのか、人払いの結界と人々の心を落ち着ける精神魔術を行使した。


 魔術適正の低い野次馬たちはすぐに影響されたのか、何事もなかったかのようにその場から立ち去る。既に認識している事象について人払いの魔術は効果が薄いとされているが、魔術適正の低い者にとっては後発でも作用することは知られている。


 逆に魔術適正のある者たちには効果は期待できないのだが、そのような者たちは白服の一団が登場すると同時に足早に現場を後にしていた。今回の事件に無関係である魔術師にしてみれば下手に関与を疑われるよりは逃げた方が得策ということだ。


 そのことを理解しているのか白服の一団も足早に去った者たちを追おうとはしなかった。その代わり黒い大剣を片手に焦げた肉塊の前に立っているユピのことを警戒しているようだ。


 白服の一人がユピに警告する。


「我々はアスティノミアだ。右手に握る剣を下ろしてもらおうか」


 アスティノミアと名乗る一団は黒剣アダマス・ヴァリアスパティを握るユピに向かっていつでも魔術を行使できる態勢をとっていた。彼らはユピたちの纏う制服から全員が魔術師だということを理解していた。


 これに対して抵抗する意思のないユピは黙って黒剣アダマス・ヴァリアスパティを鞘に戻すと両手を上げて口を開く。


「抵抗する意思はない。それに俺らは被害者だ」

「被害者? 五人も黒焦げにしといて?」


 ユピの主張に対して白服の一人が責めるように声を上げたのは二十代前半の女性だ。ユピはその女性を一瞥すると言葉を吐き捨てる。


「何も調べずに犯罪者扱いか」


 不機嫌そうに吐き捨てたユピの魔術回路がわずかに揺らぐ。これを察知した白服たちが一斉に術式を構築して魔術の行使直前まで行った。


 そして白服の一人が警告するようにユピに名乗る。


「我々アスティノミアはアカデミアに所属する警察組織だ。ここで貴様が抵抗する意思を見せるとならば、我々は規則に則って貴様を断罪する。これは立派な自治行為だ」

「最初から断罪する気が見え見えの連中に従うとでも?」


 そういってユピが先ほどの女性を睨む。


「状況から判断すれば、あなたがこの状況を生み出したと判断できるわ」

「それは勝手な判断だろ」

「ならば大人しくしなさい」

「あいにく俺は刀を向けられた状況で鎧を脱げるような世界で生きていないんだ」


 その言葉がユピの抵抗の意を示していることは明確だった。まさに一触即発ともいえる状況であるが、そこで一人の男がユピの前に突然降り立った。


 まるで瞬間移動してきたかのように音もなく、大気を滑るようにユピの前に姿を現したのは白い制服に身を包んだ黒髪の男だ。年は二十代後半から三十代前半といったところだろうか、白い紋章の入った帽子を右手で抑えながら降り立った男は立ち上がると右手で後方にいた白服の一団を制する。


「提督!」


 その男の登場に白服の一人が提督と叫ぶ。どうやらユピの前に立つ白い帽子の男は彼らの上司に当たるらしい。白い帽子の男はチラリと後方に視線を送ると彼らに手を下ろすように命令する。


「君たち、今すぐ術式を解除しなさい」

「し、しかし!」

「大丈夫。この少年が少しでも抵抗する意思を見せたならば僕が消し去ります」


 その言葉に戦闘態勢に入っていた白服たちは一斉に準備していた術式を解くと白帽子の男に向かって直る。彼らの動きを見たユピは目の前に立つ白帽子の男を見据える。


「これで事情聴取ができそうだ」

「随分と呑気な術師だな」


 ユピに向かってニコッと笑みを浮かべる白帽子の男であるが、彼の所作には一切の隙が無い。そればかりか魔術的な波動も感じさせない彼の動きから相当な実力者だということは容易に理解できる。ユピの後方でミューズの頭を撫でていたレギナも警戒心を露にしている。


 けれどもユピたちとは対照的に白帽子の男は周囲の状況を見渡し、何かを閃いたかのように手を叩いた。


「なるほど、君たちは彼らに襲われたわけだ。そして応戦しているうちにリーダー格の男が自爆をした。おそらくリーダー格の男はそれでしょう」


 そう言いながら白帽子の男が指さしたのはユピの近くに転がっていた焼死体であった。確かにその男が仲間たち諸共を業火の海で飲みこんで黒焦げにしたのは事実だ。


「まるで全てを見ていたかのような言い草だな」

「見ていたと言ったら?」


 ニヤリと笑みを浮かべる白帽子の男。その笑みは先ほどまでのニコッとした笑みとは違い、何か意味を含んでいるかのようだ。だがユピはすぐにその笑みの裏に何もないということを察した。


「くだらないな。大方、あんたは襲撃者の正体を知っていてリーダー格の男は俺の一番近くに転がっている死体が可能性が高いと判断したんだろ? それにこいつだけ他の死体に比べて良く焼きあがっている」

「ふふん、正解」


 白帽子の男は再びニコッと笑みを浮かべるとレギナに視線を移す。


「君がレギナ・ソスピタ・フォルトゥーナだね? そして君が護衛のユピ・テルタ―」

「私のことを知ってるとは驚きだ」

「君は昔から有名人だからね。それに入学後は君の護衛の方が目立っている」


 笑みを浮かべる白帽子の男に対してレギナはきつい視線を返す。


「安心してよ、君たちがアカデミアに在籍している限り、僕たちは味方さ。僕たちの役目はこの街の秩序を守ることだからね」

「街の秩序を守るという割には襲われたけどね」

「こっちも色々あってね。言い訳じゃないけど、これはプロシアの息がかかった連中さ」


 プロシア。その単語を聞いた瞬間、レギナの表情が一層厳しくなった。

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