第12話 扇動
「それでは授業を始める」
教壇に立つスキンヘッドの大男の声とともに教室にいた四十名の新入生たちが一斉に姿勢を正す。入学式の翌日とあって浮かれている生徒も多いが、授業が始まれば彼らは勉学に集中する。
アカデミアではクラス制による授業形態がとられており、入試試験の結果など様々な要素を加味してクラスを決定する。最大の特徴としてはクラス分けに国籍は加味されておらず、人種ごとにクラス分けをするなどという前近代的なクラス分けは行われていない。
そのためユピたちの在籍するクラスにも様々な国籍の生徒たちがいた。ちなみにユピの隣には雇い主であるレギナの姿があり、レギナの後方にはミューズの姿がある。ムルキベルは他のクラスに配属されているが、多くの新入生たちが入学したアカデミアで三人が同じクラスになったことは嬉しい偶然だ。
「そこまで改まる必要はない。最初の一週間はどれもガイダンスだから実質的に始まる来週までに学園生活に慣れてもらえれば問題ない」
教壇に立つ大男が新入生たちの緊張を解こうと気を使うが、その言葉を真に受けて気を抜く新入生はいない。アカデミアは各国から集められた精鋭たちが在籍する場所であり、少しでも油断すればすぐに周囲に置いていかれるような場所だ。
そのため彼らが常時気を張っているのは仕方のないことであった。
ただ一部の生徒は教官の言葉を真に受けたのか、近くにいた他の生徒たちと雑談を始める。気を張る必要はないと言った教官であるが、何も雑談していいとまでは言っていない。ましてや彼らの会話が下賤者となれば話は別になる。
「見ろよ。あの候補生うちのクラスらしいぞ」
「ほんとだ。よくもまあのうのうと」
「どうせ入試も家の力を使って入ったに違いないな」
わざとクラス中に聞こえるように話す三人の男子生徒たち。教官から注意されないことを言いことに彼らの話はエスカレートしていく。
「でもあの剣豪を破ったって話だぞ」
「馬鹿野郎。あいつもその剣豪もヤポニアの人間だ。裏でカネが動いたか、もしくは圧力をかけたんだろう」
「じゃああれって仕組まれた事なのか」
「当たり前だろ」
わざとらしくユピのことを悪く言う三人組の男子生徒たち。当人であるユピは気にした様子を見せていないが、彼の近くに座っていたミューズが今にも立ち上がりそうな剣幕を浮かべている。
命の恩人であり、実力のあるユピが悪く言われることを看過できなかったミューズだったが、彼女が立ち上がる前に教壇に立つスキンヘッドの男が三人組を注意した。
「おい、少しうるさいぞ」
「すいませーん」
教官の言葉に反応したのは赤髪の男子生徒。三人組の中でも積極的にユピの悪評を広めようとしていた中心人物であった。彼は注意されたにもかかわらず、話を止めるどころか教官に問いかけた。
「でも、おかしくはありませんか? なんでここに候補生がいるのか。これは俺以外も感じていることですよ」
「くだらん。そこにいるユピ・テルターは実力で合格を勝ち取ったまでだ」
「なら、どうして候補生なんですかね。ヤポニアで有名な剣豪に勝ったと聞きましたが、その実力があって候補生はおかしいでしょう。むしろ剣豪に勝ったのではなく、剣豪を買ったのではないかと勘繰るのが当然の判断だと思いますが」
赤髪の少年の指摘を受けた教官は手元にあった名簿に目を通すと男子生徒の名前を確認する。
「お前はイノメノス共和国のカマシュトリか」
「ええ、俺こそが共和国の炎の狩人と呼ばれるカマシュトリ・ミシュコアトルですとも」
「ならばいいことを教えてやる。あそこにいるユピ・テルターは少なくともお前よりは強い」
「へぇ、それは興味深い」
教官に言われてユピの方を睨みつけるカマシュトリ。その表情には余裕は感じられず、怒りが満ちているように感じられた。
「お前のように会って間もない相手に吠え散らかさず平然としてるんだ。人間としてどっちが強いかなんて一目瞭然だろう」
「つまり俺は人間性であいつに劣っているというのか」
「そういうことだ。わかったら黙って授業に集中しろ」
不穏な空気が教室に漂うと、他の新入生たちは居心地の悪さを感じてしまう。主な原因は発端であるカマシュトリなのだが、不要にあおった教官のせいでカマシュトリはずっとユピの方を睨みつけている。
しかし当人であるユピはカマシュトリと目を合わせるどころか耳を傾けている素振りも見せない。その態度が逆にカマシュトリの神経を逆なでする。
「おい、候補生。無視しようたってそうはいかねぇ。お前みたいな不穏分子がいるだけで俺たちには悪影響なんだよ。だから今すぐ立ち去れよ」
カマシュトリは近くにいた新入生たちに視線を送った。多くの生徒たちは彼の視線に気づかないそぶりを見せたが、最初に彼と話していた二人が同調するように立ち上がる。
「そ、そうだ!」
「俺だったら候補生なんて恥ずかしすぎて耐えられないぜ」
「ほら見ろ。お前のクラスメイトたちもこう言っている」
クラスメイトといっても騒いでいるのは四十人いる中の三人。それをクラスの総意ととるにはあまりにも不明瞭な意志であるが、彼らにとっては気にすることでもない。
他の新入生が声を上げない時点で彼らの意思しか介在しないのだから。
「ここはお前みたいな卑怯者がいていい場所じゃないんだよ。アカデミアは各国から選ばれたものしか入学を許されない場所であり、縋りつく場所じゃないんだよ」
ユピのことを煽るように声を上げるカマシュトリであるが、彼は絶対に自分から手を出そうとはしない。なぜなら彼が描くストーリーでは先に怒りを露にしたユピが手を出し、それをカマシュトリが実力で抑え込むというものだったから。
彼はあくまでも加害者にはならない。被害者として正当防衛を適用させるためにカマシュトリはユピの神経を逆なでしようとしていた。
だが最初からカマシュトリのことを相手にしていないユピはわずかに視線を送るとすぐに背ける。その態度を見たカマシュトリが言う。
「ははっ、ここまで言われて言い返せないとはとんだ臆病者だ。みんなも見ただろ、こいつは不正入学した卑怯者だけでなく、ボロクソに言われても何も言い返せない臆病者だ。こんな奴がクラスメイトでいいのか?」
「……がう」
「ああん?」
カマシュトリの言葉に誰かが反応した。だがその声はユピのものではなく女子生徒のものであった。
「違う……」
「なんだと?」
「ユピさんは卑怯者でも臆病者でもない!」
声を張り上げながら立ち上がったのはユピの近くに座っていたミューズだ。彼女は立ち上がると凛とした瞳でカマシュトリのことを見つめる。
「なんだ、てめぇ」
「あなたはユピさんの実力を見ていないから好き放題言えるの! 本当はここにいる誰よりも強いのにユピさんは不当に評価されているだけです!」
声を上げたミューズに驚きながらもカマシュトリは毅然とした態度をふるまう。
「それは興味深いな。ここにいる誰よりも強い候補生とは傑作だ」
「君、少々騒がしいぞ」
「ああん?」
ミューズに続いてカマシュトリの方を見たのはレギナだ。彼女はミューズのように感情的にはなっていないが、冷ややかな視線をカマシュトリに送っている。
「ああ、そうか。お前がその候補生の主っていうヤポニアの貴族か」
「だったらどうしたというのかね」
「主に守ってもらわなきゃいけない雑魚をどうして雇っている。まさかその雑魚に惚れてるのか?」
「くだらない質問だが、彼の実力にほれ込んだというのは間違ってはいない」
ユピの実力を買ってレギナはユピを護衛にした。それならば惚れていると言っても間違いではない。
「はん、女二人に守ってもらうような雑魚に実力がねぇ。なら、俺と決闘しようじゃねぇか」
今だに一言も発しないユピに対して決闘の申し込むカマシュトリ。ここまでお膳立てしてこの申し出に乗らないというならばユピはいよいよ臆病者の烙印を押されてしまうだろう。
けれどもユピにとってそんなことはどうでもよかった。
「少し黙れ」
「あ?」
初めて口を開いたユピから出た言葉はそれだけであった。あまりに低い声だったためカマシュトリもすぐに言葉を聞き取ることができなかったが、意味を理解するとすぐに怒りが湧き上がる。
そしてユピに言い返そうとした瞬間だった。彼の身体にすさまじい悪寒が走ると彼はその場に座りこんでしまう。
ゾクゾクとした感覚が彼の身体にまとわりつくような感覚。それでいて何かに心臓を掴まれる気がすると呼吸が激しく乱れ、カマシュトリは胸をおあせながら息を荒げる。けれども彼の視線はユピから外すことができず、その視線がユピに向いている限りカマシュトリの呼吸は荒くなっていく。
一体何が起きているのかクラス中が理解できていなかったが、当人であるカマシュトリだけはユピによって何かをされたと理解する。だが理解したところで彼には何もできなかった。ただ胸を抑えながら荒い呼吸でユピのことを見つめることしかできないカマシュトリ。
呆れたようにユピが視線を外すとカマシュトリの異変は泡沫のように消えていく。まるで全てが夢だったかのように心臓は鼓動を取り戻し、呼吸も落ち着いていた。近くにいた生徒が大丈夫かと問いかけるが、カマシュトリの耳には届いていない。
彼はただユピのことを強く睨みつけることしかできず、それ以上は何も言おうとはしなかった。何が起きたのか理解できていない生徒たちは戸惑いを見せていたが、教官であるスキンヘッドの大男は何事もなかったかのように授業を再開するのであった。
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