第10話 動悸
「よくやった。さすがは私の見込んだ男だね」
「いいかげんにしろ。俺の意思を無視して勝手に決めるのは今回を最後にしてくれ」
拍手をしながら二階にある観覧席から降りてきたレギナはユピに対して祝福の言葉を送ったが、当のユピは不機嫌そうに注文を付ける。
今回の一件はレギナの独断に端を発したことであり、ユピの意思によるものではない。これまでもユピの意思を無視した決定はあったが、今回ばかりはユピの意思を完全に無視されたといってもいい。だからユピの方も強く出る。
しかしレギナは気にする素振りも見せずに微笑を浮かべながら返す。
「別にいいじゃないか。こうして君の実力を見せしめることで君のことを不当に卑下する不届き者は減るのだから。そうだろう、ムルキベル・ヴァルカン・ヤヴィシュタ」
レギナはユピの隣に立っているムルキベルに視線を送ると、ムルキベルは嘆息したようにつぶやく。
「おかげで僕は大恥をかいたけどね」
「自分を見つめ直すにはいい機会になったと思うが」
「相変わらず手厳しい。けど君の言う通り、僕は少々天狗になっていたようだ」
「井の中の蛙という方が正しいと思うがね」
「本当に遠慮がないね……」
ユピの前に何もできずに大敗したムルキベルは困った表情を浮かべる。ヤポニアでは剣豪として知られる自分が魔術戦になったとはいえ手も足も出なかった。
そのことがムルキベルに悔しさを抱かせると同時にわずかばかりの高揚感を抱かせた。コテンパンにされたというのに心のどこかで喜んでいる自分がいることを理解できなかったムルキベルであるが、一つだけ確かなことはユピに勝ちたいという感情が生まれていることだ。
「だが今回ばかりは独断専行がすぎるぞ」
「それについては私も少し反省しているよ。ただ少しでも君の実力を知らせておく必要があったんだ」
「どういう意味だ」
「近いうちにわかるだろう」
明確な回答を避けるようにレギナは講堂を後にしようとした。その行為にはユピに対して黙って着いてこいという意志が込められており、ユピは渋々レギナの追従する。
だがムルキベルがユピに待ったをかける。
「ユピ・テルター」
「なんだ?」
「僕はいつかまた君に決闘を挑む。その時は絶対僕が勝つからな!」
「楽しみにしてるよ」
その言葉を残してユピも講堂を後にする。残された新入生たちは先ほどの激闘の余韻に浸っているのか、それとも衝撃が抜けないのか、なかなか講堂を立ち去ろうとはしない。
彼らが見つめるのは講堂の中心。具体的にはユピが戦っていた場所であり、旧世代の魔術と揶揄される雷属性が行使された場所だ。アカデミアに入学して間もない新入生たちは主流とされる四元素論に深くは染まっていないためその事実を受け入れることができた。
四元素論至上主義に染まる前に旧世代の魔術について触れられたことは彼らにとって幸運なことかもしれない。今回の一件はアカデミアの門戸を叩いたばかりの彼らの知見を広げるのに大きな役割をかったに違いない。
ユピの戦い方を見て何を感じるか。それは彼ら新入生たちの今後を左右する大きな転換点になったのかもしれない。
新入生たちの受けた衝撃を他所に講堂を後にしたレギナは足早にその場から立ち去ろうとする。そしてユピは追いつくと彼女の背中に向かって問いかける。
「お前は一体何から逃げているんだ?」
ユピのその一言で足早に歩いていたレギナの足がパタリと止まる。
「逃げてる? この私が?」
「違うのか」
「つまらない冗談はやめてくれたたまえ。いったい私が何から逃げているというんだ」
ユピの方を振り向こうとしないレギナであるが、その声は確かに震えていた。まるで何かを恐れるように声を震わすレギナは毅然とした態度をとろうとするものの、ユピの方を振り返ることはできない。
レギナは紛れもなく何かに恐怖していた。しかしそれが何なのかユピにはわからないため、こうして直接聞いているのだ。けれども聞いたところで簡単に教えてくれるレギナではない。
「言いたくないなら別にいい。ただ一応俺はお前の護衛で、一応お前のことを守る義務がある。だから話したくなったら教えてくれ」
ユピの言葉を聞いたレギナは俯いていた顔を上げる。
「君はいやいや護衛をやってるはずだが」
「もちろんだ。けど、やるからには全うするのが俺のポリシーだ」
「随分とうれしいことを言ってくれるじゃないか」
レギナの声の震えが収まる。するとレギナは再び歩み始めるが、今度は先ほどよりも緩やかな歩調だ。
「君は気づいていないだろうが、講堂にはエウブレス・クリュノメスの姿があった」
「エウブレス・クリュノメス?」
どこかで聞いたことのある名前にユピは首をかしげるが、その名前が一体誰を指しているのかはわからない。しかしその正体はすぐにレギナの口から告げられる。
「エウブレス・クリュノメは新入生代表として登壇していたイノメノス共和国の人間だ」
「代表ってことは俺たち新入生のトップってことか」
「その通りだ。特にクリュノメというのは共和国の中でも優秀な魔術師に送られる称号であり、エウブレスは八歳にして史上最年少でクリュノメの称号を得た魔術師。私たちの世代で最強の魔術師と呼ばれるほどの猛者だ」
アカデミアに共同出資する三大国とはプロシア帝国、ヤポニア皇国、そしてイノメノス共和国の三つである。前者二国では皇帝によって統治されているのに対し、イノメノス共和国だけは連邦国家という形体をとっている。
そのためイノメノス共和国には貴族社会というものが存在せず、人民が平等に扱われている。それ故に有望な人材が様々な家庭から排出され、イノメノス政府は積極的に有望な人材を育成する。それは言ってしまえば個人主義的国家とも言える弱肉強食の社会であった。
そんな社会の中でも特に秀でているのがエウブレス・クリュノメスであった。
「で、それがどうかしたのか」
「どうやら私が気にしすぎたようだ」
「どういう意味だよ」
「忘れてくれ。君のおかげで落ち着くことができた」
この話はここでおしまいとばかりにレギナは話を打ち切った。ユピにしてみれば納得がいかないが、無理に問い詰めたところでレギナは口を割りそうにはなかった。なぜならレギナはいつものレギナに戻っていたから。
これ以上の追及を諦めて黙ってレギナの後を追うとしたユピであったが、そこでユピを呼び止める声がする。
「あ、あの……」
「お前は……」
ユピが振り向くとそこには意外な人物がいた。
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