第7話 波乱の入学式
「新入生代表、エウブレス・クリュノメス」
「はい」
名前を呼ばれるとエウブレスと呼ばれた少年が立ち上がり壇上へと歩みを進める。今日はアカデミアの入学式が執り行われており、敷地内でも一番大きいな講堂に新入生の全員が集まっていた。
司会に呼ばれて壇上に上がった少年は今年の新入生の代表であり、新入生のほとんどが彼の名前を知っているほどの有名人である。しかし壇上に立つ彼らの代表であるエウブレスよりも注目を集めている新入生がいた。
その人物はちょうど新入生たちの列の後方に位置しており、前方から多くの新入生たちがその振り返りながらその人物に視線を向ける。
「おい、またお前が注目を集めてるぞ」
注目の視線を浴びていたユピは隣に座る金髪の少女に話しかける。その少女はヤポニアの貴族令嬢であり、ユピの雇い主でもあるレギナである。彼女の類まれな容姿は確かに注目を集めるほどであり、新入生たちが壇上よりもレギナに注目してしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
けれどもレギナの方は毅然とした態度でユピに言葉を返す。
「何を言っているんだね。今回は君が注目を集めているんだよ」
「俺が?」
言われてみれば確かに視線が自分に向かっているようにも感じられるユピであったが、なぜ自分が壇上のエウブレスを差し置いて注目を集めているのかわからない。やはり彼らはレギナのことを見ているのではないかと思い始めるユピの耳にある言葉が聞こえた。
「おい、あれって」
「間違いないな」
「まさかあんな奴が紛れ込んでいるとはな」
「とんだ恥知らずがいたもんだ」
「普通、候補生で入学するか?」
自身に蔑視といえる視線を送る新入生たちから出た候補生という言葉が良い意味ではないと察するユピは堪らず隣に座る金髪の主に尋ねる。
「候補生ってどういう意味だ」
「その言葉の通りさ。君の制服と私の制服を見比べて気づくことは?」
「俺だけ制服のエンブレムがないな。なんかの手違いか?」
「とぼけた振りをしても無駄だよ。君も気づいているんだろう」
レギナを始めとしてユピを除く新入生の全員は胸元にアカデミアの校章が入ったエンブレムがつけられている。しかしユピの制服だけにはエンブレムがなく、代わりにエンブレムがいつでも付けられるような無地のスペースが用意されていた。
一見するとわかりにくい差異であるが、エンブレムに注目した途端にその差異は明らかなものになる。
「このエンブレムがないから俺が注目を集めているってことか」
「そういうことだね。まあ君にとっては些細なことだろうが、他の新入生にしてみれば大事なんだろう」
候補生というのは各学年に十人分用意されている補欠のような制度だ。アカデミアに入学できる新入生は定員が定められており、まず最初にアカデミアの統括理事会が各国の優秀な人材に推薦を出して入学を約束させる。
次に残った枠を一般枠として入試試験を行い不足分を選抜する。こうしてアカデミアは毎年のように新年度に定員を用意しているのだ。アカデミアは各国からの評価も高く基本的には途中で退学する者はいないが、中にはやむを得ない事情で退学する者もいる。
そういった場合のために用意されているのが候補生だ。候補生は正規の定員に不足が出た際にその枠を巡って候補生間の中で選抜試験を行い、優秀な成績を収めた候補生を一般の生徒に格上げする。しかしこれは建前上の精度であり、実際にはまったく機能していない制度といってもいい。
アカデミアの歴史において途中で退学した生徒の数は片手で数えるほどしかおらず、そこに候補生が入った事例はない。
なぜならそもそも候補生になった新入生は入学する意思を示さないのが通例であるから。候補生というのは言ってしまえば補欠のことであり、入学したところで周囲から浮いてしまうのは必至だ。ましてやアカデミアは各国から選抜された若者たちが集まる場所であり、彼らは国に帰れば優秀な人材である。
そのような人物が周囲から卑下されるような環境に自ら身を置こうなどとは思わない。それに仮に候補生から正規の生徒になれたとしても成績は最下位に変わりなく、結局のところ周囲から浮いてしまうのだ。
ならば自国で優秀な人材として登用された方が今後の人生を考えたても得策といえる。だから候補生としてアカデミアに入学する人物はいないのが普通だった。
「なるほど。ここもここでしがらみが面倒って訳か」
「そういうことだ。ただ君の実力ならすぐに周囲を見返すことだって可能だろうし、そこまで卑下する必要はないと思うね」
「俺が卑下してると思うか」
「もしかすると君は意外とナイーブな人間かもしれないからね」
「だったらすぐにこの場から去ってお前からも逃げてやるよ」
「それは困ったね。私は君なしじゃ生きていけなくなってるんだから」
「はいはい」
二人がそんな会話をしているうちに入学式は幕を閉じた。
式を終えると新入生たちは講堂を後にするが、やはり候補生であるユピは周囲から注目を集めずにはいられなかった。中にはユピのことを軽蔑する者たちまでいたが、直接ユピに罵詈雑言を吐き捨てるものまではいない。
ただしそれは一人の少年を除いての話だ。
他の新入生たちと同じように講堂を後にしようとしたユピたちの前に一人の少年が立ちふさがる。黒い髪の少年はユピたちの前に立つと得意げに挨拶をする。
「久しぶりだな、レギナ・ソスピタ・フォルトゥーナ。先々月の夜会の時以来か」
少年が話しかけたのは新入生たちの注目を集めるユピではなく、その隣にいたレギナの方であった。講堂から外に向かう新入生たちの流れを遮るようにユピたちが立ち止まったため、新入生たちは何事かと気にしながらも流れに乗って外へと出ていく。
そんな新入生たちを気にする素振りも見せずに少年は話を続けた。
「どうやら約束通りアカデミに入学したみたいだな」
得意げな顔をする黒髪の少年に対してレギナの方は面倒くさそうな表情を浮かべる。淑女であるレギナは普段から感情を表に出さないような訓練を積んでいるが、今回はあえて感情を表に出した。
しかしレギナの意図とは対照的に黒髪の少年は話を続けた。
「それで例の話は受ける気になったか?」
「はぁ、君は少し相手のことを気にしたらどうかね。ムルキベル・ヴァルカン・ヤヴィシュタ」
「何を言うんだ。僕は常に君のことしか考えていないぞ。なんせ君は僕の将来の伴侶なんだから」
貴族社会においてレギナの年齢で結婚相手が決まっていることは珍しくはない。ましてやレギナはヤポニアの有力貴族ということを考えれば結婚相手の一人や二人がいてもおかしくはない。
けれどもレギナの反応は少々違っていた。
「君はまだ婚約候補の一人だろうに。勝手に婚約者を名乗られては私も色々困るよ」
「何を迷うことがあるというんだ。僕のヤヴィシュタ家は君のフォルトゥーナ家と同じヤポニア四大貴族の一つだ。立場ある人間の相手は立場ある人間の方がふさわしい。違うか?」
レギナがヤポニアの有力貴族であるならば、この少年ムルキベルもまたヤポニアの入力貴族であった。そして有力貴族であるムルキベルは何とか同じヤポニア四大貴族の一つであるフォルトゥーナ家からレギナを娶ろうとしていたのだ。
有力貴族同士が婚姻関係を結ぶことで力を強固なものにする話はよくあることだ。そしてレギナのもとには多くの有力貴族から婚約の話が来ていた。
「確かに気味の家柄は素晴らしいだろうね。ただ私も一人の乙女であるのだから自由恋愛くらい楽しみたいというのが本音さ」
「だからいつもどうすれば君は僕に惚れてくれるのかと聞いてるじゃないか」
「そうやって何でもすぐに答えを求めるところがときめかないといつも言っていると思うが」
ムルキベルに応えるレギナは退屈そうであった。事実レギナはムルキベルのアプローチに辟易しており、すぐにこの場から立ち去りたいと思っていた。
一方のムルキベルはどうにかレギナに取り入ろうとするが、そこで隣にいたユピの存在にようやく気付く。
「ところで、君の隣にいる冴えない男は誰だ」
「ん、ああ、気になるのかい?」
「もちろん。君の隣は僕しか似合わないからね」
ユピの制服を見たムルキベルが軽蔑の眼差しで睨みつけるが、ユピは気にするそぶりを見せずに軽い挨拶をする。
「俺はユピ・テルター。一応この女の護衛をやっている」
「ふん、候補生ごときが護衛だと? 笑わせるな」
「別に俺も好きでやっている訳じゃない」
「ならば即刻この彼女から離れてアカデミアからも消えることだな」
「そうしたいのは山々だ」
ユピもできることならレギナの護衛だけでなく、アカデミアからも去りたいというのが本音だった。こんなところにいたところで不当に貶されるだけであり、仮にアカデミアを卒業してもユピの人生には何も影響を及ぼさないから。
しかしそのようなことは当然レギナが許さない。
二人の間に割って入るようにレギナが告げる。
「この男はとても頼りになるぞ。何なら君より強いかもしれないね、ムルキベル・ヴァルカン・ヤヴィシュタ」
「なっ……」
試すような視線を送るレギナに対してムルキベルは初めて受ける侮辱の言葉に怒りを露にする。たとえ相手が同じ貴族であったとしても、侮辱行為ともとれるその言葉を看過できるほどムルキベルは大人ではない。
顔を真っ赤にしながらムルキベルが声を荒げる。
「取り消せ、今すぐその言葉を取り消せ! レギナ・ソスピタ・フォルトゥーナ!」
「断る。紛れもない事実だからね」
「いくら君がフォルトゥーナ家の人間だからといって口が過ぎるぞ。このヤヴィシュタ家次期党首である僕がそんな候補生に劣るはずがない」
声を荒げるムルキベルを見て周囲の新入生たちはより一層ユピたちを避けるように距離をとるが、変わらずユピたちに興味を持っているのは確かであった。
そしてレギナは新入生たちの視線を見逃さなかった。
「ならば確かめてみるといいさ。君が私の護衛に劣るかどうか、決闘で」
「ふん、いいだろう。僕が勝ったら先ほどの失言を謝罪してもらうぞ」
「いいとも。なんなら君が勝ったら惚れやってもいい」
「その言葉、忘れるなよ」
「もちろんだとも。貴族の言葉に二言はない」
自分の意思は聞かれないまま勝手に決闘が決まったユピは咎めるようにレギナを睨むが、彼女は微笑みを浮かべながらユピに近づく。
そして周囲の人に聞かれない程度の小声でユピに言う。
「これだけ騒ぎを起こせば野次馬も集まるに違いない。そこで君の実力を見せつければ評価も変わるだろう」
「まさか俺のためにやったと言いたいのか?」
「そうだといったらどうするかね」
「女狐めといってやる」
「主に向かってひどい言い草だ。まあ今回は君の顔を立てるというよりは、あのお調子者の鼻を折りたいって言うのが本心だがね」
まるでいたずらっ子のように答えるレギナだが、とてもいたずらで済ませられるような問題ではなさそうであった。
「それで拒否権は」
「この状況であると思える君のポジティブさは見習いたいところだね」
「はぁ、わかったよ。だがこれが終わったら少々真面目な話がある」
「まさか君まで私の婚約者候補に名乗りを上げたいのか?」
「そのふざけた口を縫い付けてやる」
「では私は今のうちに針と糸を隠しておかなければならないようだ」
こうしてユピはムルキベルと決闘することになってしまった。
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