第6話 雷属性
戦いの幕が開けると同時に最初に動き出したのはユピであった。ユピは地面を蹴ると一瞬にしてエルモンドへ接近を試みるが、エルモンドも何もしないわけではなかった
「封じろ、ティエラ」
エルモンドの詠唱と同時に講堂の地面が隆起して土の盾が生まれる。それは先ほどミューズが生み出した土の壁に似ているが、ミューズの壁よりも薄く小さい。けれども密度はエルモンドの方が上であり総合的な防御力ではエルモンドの土の盾の方が勝っている。
「ぐはっ……」
土の盾を展開したエルモンドであるが、次の瞬間には何故か左頬に突然の衝撃を受けて後方へ倒れこんでしまう。ジンジンと痛みが遅れてやってきた左頬を抑えながら目の前を見上げるエルモンドの視界に移りこんできたのはユピの姿であった。
ユピとの間に土の盾を展開したエルモンドであったが、なぜか土の盾はユピの背後にあった。しかも土の盾はダメージを受けた様子もなく、展開時と何も変わっていない。
何が起きたのか理解できなかったエルモンドであるが、両者の戦いを外から見ていた者たちはユピがエルモンドの土の盾が形成されるよりも先に、エルモンドの眼前に迫っていたことを理解していた。
にわかには信じがたい事象であるが、ユピの脚力がエルモンドの魔術展開速度を上回ったことになる。体術が魔術を上回ることがないから人類は魔術を使用するというようになったというのに、ユピはその歴史をあざ笑うかのように魔術の行使速度を上回って見せた。
「これはあいつの分だ」
「な、なんだと!?」
冷ややかな視線でエルモンドを見つめるユピ。
「いいから早く立ち上がれよ。まさかこの程度で終わりってわけじゃないだろ」
「くっ、ヤポニア風情が舐めるなよ」
エルモンドは地面についていた両手を軸にして後方に跳躍するとユピに向かって再び魔術を行使する。
「フローガ、リピ!!」
エルモンドの突き出した両手にはそれぞれ魔法陣が展開される。右手に展開された赤い魔法陣からは膨大な量の炎が撃ち出され、その炎が左手に展開された緑色の魔法陣から撃ち出された突風と交じり合うと一瞬にして爆炎が生じる。
その爆炎が数メートルしか離れないユピに向かって撃ち出されたのだ。
講堂の中が一瞬にして熱気に包まれるが、エルモンドは気にすることなくユピに向かって爆炎を撃ち出し続けている。
「ハハ、ハハハ! どうだヤポニア人、これがエレメントマスターである私の力だ! 業火に焼かれながら己の過ちを悔いるがいい!」
嬉々とした声をあげながら爆炎を浴びせ続けるエルモンド。
これほどの火力を生身の身体で受けたならば骨を残して肉は一瞬で焼き尽くされるに違いない。誰もがユピは爆炎によって身を焼かれたと思った刹那、爆炎が一瞬にして霧散した。
一瞬にして霧散した炎の中から現れたのは傷どころか煤一つ付いていないユピの姿。
「確かにお前は四属性を使えるみたいだが、同時に扱えるのは二属性が精々というところか」
ユピの視線の先にあるのはエルモンドが爆炎を生み出すと同時に背後で崩れた土の盾。今では盾の形状を失ってただの土の山になっている。
これはエルモンドが同時に扱える属性が二つまでということを暗示していた。
「これでエレメントマスターとは呆れる」
「な、なぜ爆炎が効かないんだ!」
「さあな」
エルモンドの問いに答えることなくユピは冷ややかな視線を向ける。そこには一切の興味がなく、ただ廃棄物を見るような目である。
生まれて初めて向けられる軽蔑の眼差しに怒りを露にするエルモンドが再びユピに向かって魔術を行使した。
「撃ち落とせ、キーナ!」
エルモンドの展開した青い魔法陣から一斉に流れ出た大量の水がユピに向かって襲い掛かる。その魔術は先ほどのミューズとの一戦で使用した魔術と同じであるが、不純物が混じっていないため全く別の魔術に感じられた。
大量の水が襲い掛かろうとしてるにも関わらずユピは気にした様子もなく立ち尽くす。その光景を見たエルモンドがわずかに笑みを浮かべると次なる魔術を行使する。
「ティエラ! キーナ!」
エルモンドが叫んだ言葉は土と水を司る魔術用語。大量の水がユピに襲い掛かろうとする直前にエルモンドが行使した魔術が発動したのはユピの足元だった。
突然泥土に変化した泥土がユピを足元から飲みこもうとする。エルモンドが最初に行使した大量の水はその量こそ膨大であるが、魔術の威力としては低位の技だ。そのためエルモンドは低位だが注意を惹きつけるには十分な水の魔術を行使してユピの意識を逸らし、その隙を狙って足元からユピの肉体を飲みこもうとしたのだ。
「調子に乗ったな、ヤポニア人! だが安心するがいい。その沼は貴様の首元までしか飲みこまない。貴様の無防備な頭はこの私が心行くまで蹴飛ばし、業火で焼き尽くし、最後は水の中でもがき苦しませてやる。貴様が殺してくれと懇願してもその目を抉り、鼻を割き、耳を斬り落として貴様のすべてを奪いつくしてやる!」
教育者としてあるまじき行為を口にするエルモンドは嬉々としながらユピに向かって憎悪の言葉を投げつける。対してユピの方はまだ何もしていない。
異なる方向から同時に襲い掛かる脅威に対処できない。そのように感じ取れたエルモンドは今度は大きく笑みを浮かべた。勝った、エルモンドが確信したその時であった。
「ケラウノス」
ユピが一言だけ発する。ケラウノスが何を指しているのかエルモンドには分からなかったが、ユピが雷属性を使うということからそれが雷を司る魔術用語なのだろう。
しかし雷属性は人類から捨てられた旧世代の魔術だ。そのような魔術を行使したところで自分の魔術は防がれないはずだった。だからエルモンドは直後、自分が目にした光景を理解することができなかった。
ユピが一言発した瞬間、彼の足元から稲妻が八方に広がって撃ちだされる。たったそれだけだというのに稲妻は一瞬にして泥土となった地面を固め、襲い掛かろうとしていた膨大な量の水を蒸発させた。一体何が起きたのか、その場にいた誰もが予想外の展開に息をのむ。
「な、なにをした!?」
「お前は教師だろ。ならば俺が何をしたかわかるはずだ」
「あ、ありえない! か、雷がエレメントマスターである私の魔術を封じるなんて!」
雷属性は人類から捨てられた旧世代の魔術であり、現在の魔術とは比べ物にならないほど脆弱な魔術であるというのが今日の常識である。
だが今エルモンドが目撃したのは現在魔術が旧世代の魔術に敗北した光景であった。
「い、インチキだ! 場外干渉だ! こんなことはあってはならない!」
「お前も魔術師ならわかるだろ。今のが紛れもない真実だということが」
ユピが歩み寄るようにエルモンドに近づく
「ふ、ふざ、ふざ……!」
ユピの言葉を否定しようとしたエルモンドであったが、彼の声帯が機能しない。より正確に言うならばユピから発せられる威圧感によって上手く言葉を発せなかったのだ。
腰が抜けるように座り込むエルモンドは必死に四肢を動かしてユピから距離をとろうとするが、地面を上手く掴めないのか、まるで摩擦が無くなってしまったかのようにその場で手足をバタバタさせることしかできない。
「う、あ、う……」
必死に言葉を紡ぎ出そうとするが、エルモンドの口から発せられるのは単一の音のみ。それでも偶然かエルモンドの発した言葉で魔術が起動する。
起動した魔術は土属性の初歩的な魔術だ。ユピに向かって撃ち出されたのは土の礫であり、殺傷能力にしてみれば水滴と大差ないだろう。それでも魔術には変わりがないことは事実だ。
水滴ほどの威力しか持たない土の塊がユピに向かって撃ち出されたるが、次の瞬間にはギリギリ視認できるほど微弱な電撃によって土の礫を砕け散る。
ユピはただエルモンドのことを見下す。
「ひ、ひぃぃぃ……」
ユピに対する恐怖心を拭えないエルモンドは必死に四肢を動かして何とかユピから距離をとろうとするが、虚しいことに動けたのは数センチ程度。それくらいの距離ならばユピが少し歩みを進めればすぐに縮まってしまうだろう。
一体エルモンドに何が見えているのか。尋常でないほどの汗を流すエルモンドに対してユピは小さくつぶやく。
「所詮この程度か」
自分に向かって落胆する態度を見せるユピに対してエルモンドは何かを言いたそうであったが、言葉がうまく出ない。口が動いているにもかかわらず口から出てくるのは掠れた空気の音だけだ。
ユピを前にして言葉を発せないエルモンドの姿は講堂にいた他のプロシア人に衝撃を与えたに違ない。自国でもエレメントマスターとして有名な人物が雷属性という旧世代の属性を使うヤポニア人に完膚なきまでに叩きのめされたのだから。
しかも武器を使わないというハンデ付きでだ。
「さて、勝負はついたということでいいか?」
ユピは腰を抜かしたままブルブルと震えるエルモンドの対して決着がついたと尋ねるが、エルモンドは顔をそむける。それがエルモンドの僅かな抵抗だということは明らかだった。
実力でどうすることもできないエルモンドであるが、立場を使えばユピたちの合格を防ぐことができる。エルモンドのプロシア人としてのプライドが最後の抵抗を試みるが、ユピは甘い人間ではなかった。
「そういえば試験で一方が死んでも事故死という扱いになるんだったよな」
「……!?」
ユピの言葉にエルモンドは驚いたように視線を戻す。確かに試験において一方が死亡しても事故死扱いにはなるが、それはあくまでも受験者が死亡した時の対応だ。そもそも試験官が負けることを想定されていない試験において試験官側が死亡した際の対応など規定されているわけがなかった。
けれどもユピの表情は本気だった。
ユピは救いを求める視線を向けるエルモンドに対して拳銃を真似た右手を構えると、もう一度エルモンドに問いかける。
「これが最後のチャンスだ。俺たちの入学を認めないならば三秒後にお前の頭は胴体から離れて地面に転がり落ちる。俺たちの合格を約束するか?」
エルモンドにとってその三秒は人生で一番長い三秒間だったに違いない。プロシア人としてのプライドと自身の生存本能が幾度となく葛藤を繰り広げる。
結局エルモンドは一秒も経たずに首を縦に何回も必死に振ってユピたちの合格を認めた。その姿はエレメントマスターとしてはあまりにも無様で尊厳のないものであったが、エルモンドの生きたいという願望が現れた瞬間であった。
こうしてエルモンドはアカデミアの門戸を叩くことができたのであった。
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