第5話 ルール

 それは一瞬の出来事だった。


 どこからとなく撃ち出された巨大な斬撃が講堂の中に蔓延っていた泥水の塊を一瞬にして霧散させる。濁流に飲まれていたミューズはようやく解放されると咳きこみながら周囲を見渡す。


「ごほっ、ごほっ……」


 喉に入った泥水を吐き出すように咳きこむミューズは呼吸を整えながらゆっくりと周囲に視線を送る。講堂にはエルモンドの他に受験者が数人しかいなかったため、ミューズはすぐに自分を助けてくれた存在を見つけることができた。


 そこにいたのは巨大な黒い剣を握る白髪の少年。その少年は剣を構えたまま試験官であるエルモンドのことを睨みつけていた。


「貴様、自分が一体何をしたのかわかっているのか?」

「もちろんだ。プロシアの腐った人間からヤポニアの将来有望な人材を守った」

「ほう、エレメントマスターの称号を持つこの私を腐った呼ばわりするか」

「当たり前だ。このノイトアールは中立を掲げているというのに、お前みたいな差別主義者を腐った人間と呼んで何がおかしい」


 中立都市ノイトアールでは確かに国籍に関係ない扱いを目指している。アカデミアも将来世代間の敵対意識を緩和させるために設立された教育機関だが、そこで教鞭をとる大人たちの間には差別意識が根強く残っているのが現状だ。


 彼らは戦争をしていた時代に幼少期を過ごしているため敵対意識が残っているのも仕方がないと言えば仕方がないことである。しかし、だからといって殺人行為を許容はできない。


 エルモンドがユピのことを見据える。


「貴様、名前は?」

「ユピ・テルター。お前の大っ嫌いなヤポニア人だ」

「なるほど。貴様の主張は分かった。そして貴様が受験者というなら規則に則って試験を行ってやる。ただし不慮の事故が起きても責任は取れないがな」


 それはある種の殺害予告である。エルモンドは試験を口実にユピのことを手に掛けようとしている。そしてそのこと隠そうともしない。


 あからさますぎる差別主義者であるが、エレメントマスターである以上、彼は国際的に評価されている人間だ。例え人格に問題があったとしてもだ。


「それで貴様は何属性を使う?」

「雷だ」

「はっ、これは傑作だ。あんだけ大口をたたいて使う属性が雷とはな。ヤポニア人の中にはまだ前時代の人間が残っているのか」


 雷属性という言葉に反応したのはエルモンドだけではなかった。講堂にいた受験者の大半がユピの雷属性という言葉に嘲笑を浮かべている。


 なぜなら雷属性は四元素論から除外された旧世代の魔術属性だから。かつては雷も四元素論の一部として考えられていたのだが、あらゆる側面から劣っていることから四元素論から除外された。それはプロシアに限った話ではなく、国際的な話だ。


 それゆえに雷属性は嘲笑の対象であった。エルモンドからしてみれば蟻が戦車に挑んでくるようなものである。


「ところで具体的な合格基準を提示してもらいたい。このままでは俺がお前を倒したところで不合格にされそうだからな」

「ふん、まさか雷などというチンケな魔術師がエレメントマスターであるこの私に勝とうというのか?」

「ならどうした?」

「ハハハハハ、実に不愉快なヤポニア人だ。いいだろう、貴様が私に勝利した暁には貴様の合格を約束しよう。ただし途中で泣き喚いても試験は中断しない」


 エルモンドがユピのことを睨みつける。


「それともう一つ条件がある」

「なんだ、ハンデでも欲しいのか? ひ弱なヤポニア人らしい考え方だ」

「そうだな、確かにハンデがあった方がいい」


 そういうとユピは右手に持っていた黒剣アダマス・ヴァリスパティを背中にしまう。それをみたエルモンドが一層表情を厳しくする。


「どういうつもりだ?」

「言っただろ、ハンデが必要だと。俺はお前との戦いで剣を使わない。だから俺が勝った際にはあいつもも一緒に合格させろ。これが条件だ」


 ユピが指さしたのは壁際で意識を失っているミューズ。けれどもエルモンドの瞳はユピにしか向いていなかった。


「舐めるなよ、小僧風情が……」


 ユピの提示した条件はあまりにもエルモンドを、いやアカデミアの教師を愚弄するものであった。元々アカデミアの合格基準は試験官側の勝利を前提に作られており、その上で受験者を評価する。


 けれどもユピは試験官に勝利宣言しただけでなく、さらにハンデまでつけると言ったのだ。これはあまりにもエルモンドのことを蔑む行為である。ましてや雷属性という旧世代の属性を使うと言っているのだからエルモンドが怒りをあらわにするのも無理はない。


「エレメントマスターの本気をもって貴様を駆逐する。この私に舐めた態度をとったことを地獄でも後悔させてやる。簡単には殺してやらないから覚悟しろ」

「契約成立だな。では始めようとするか」


 ユピの言葉を合図に両者の戦いが幕を開ける。

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